第九話 瓜姫 壱
修錬館は各所に格子窓があるきりで、床、壁、天井のすべてが板張りだった。数日前に梅雨が明け、陽の下に一番乗りを果たした蝉が得意気に鳴いている。開けた窓を抜ける風には、山の頂ならではの涼しさがあった。
板の間中央に冴が座っている。野袴に通した右膝を立て、倒した左の膝の傍らには刀。上衣と袴のがらは、褪せた緑と土色が入り混じり、木陰の茂みを思わせる。垂れ髪が時折風にゆれ、毛先が肩の上を行き来する。
「お招きしておきながら、このような場所でご挨拶申し上げる無礼をお許しください」
清之介は真向かいの冴へと頭をさげた。組んだ足の前に拳を置き深々と。月代の剃りはくっきりと青い。隣では、年を積んだ男が胡坐の膝を掌で包み、これもまた重々しく礼をする。
「物見遊山で訪れたのではない。気にするな」
冴の瞳が館内をひとまわりした。
「立派な稽古場だ。ここで姫に教えるのか」
はい、と返し清之介はまた頭を低くする。
「姫様は武家の奥方の作法として、嫁ぐ前に薙刀を稽古したいとおっしゃいます」
冴が片眉を上げた。
「私が出るまでもなかろう。矢次郎殿は相当の手練れと見受ける」
冴の切れ長の目が清之介の隣へと移った。丈はさほどではないが、矢次郎の肩や胸は老いた今でも厚く、腹は引き締まっている。顎、頬、目じり。いたるところに古傷が刻まれ、瞳には武人としての覚悟が住みついていた。
「槍ならば、儂も教えようもあるが、薙刀ではちと勝手が違う」
矢次郎の低く抑えた声に冴は頷き、瞳を横へとずらす。
「では、清之介殿。そなたもかなりの達者であろう。姫君の稽古相手には十分かと」
「恥ずかしながら、拙者は瓜姫様に勝てません」
武士の面目を失うことだろうに、さらりと清之介は笑った。侍はめったに表情を崩さぬものだが、この若い男には笑顔がよく似合った。
「清之介殿を上回る腕前となると、只者ではないぞ」
「はい。瓜姫様の武芸好きは並ではありません。どうか引き受けてはいただけませんか。古今随一と名高い冴様との稽古を、楽しみにしておられます」
清之介が床に手をつき頭を低くする。矢次郎も額を伏せる。冴は軽く鼻から息を抜いた。
「わかった。どれほどの間、教えれば良いのだ」
「輿入れは秋です。三か月ほど」
冴が引き受けたことで肩の荷がおりたのだろう。清之介はまた頬に笑みをうかべた。
「姫様が御殿でお待ちです」
修錬館の前庭を三人が進む。清之介と矢次郎は肩をならべ、冴を先導した。清之介は背筋が若木の如くすらりと伸び、上背がある。その清之介の黒く艶やかな髷を冴は見下ろしている。
三人のほかに影はない。かつては多くの家来が槍の稽古に励んだ前庭は、人の代わりに蝉の声で埋められていた。
ここは山城である。小城ながらも石垣は高く、その石垣に沿い、細く曲がりのきつい通路が切られている。城攻めにあった際、敵が容易に本丸へとたどり着けぬよう計らった細工だった。
「お耳に入れておきたいことがふたつほど」
清之介が顔を前にむけたまま言うのは、風に紛れた戯れ言として、冴に聞き流して欲しかったからだ。ひとつ目はひどく馬鹿げたこと。ふたつ目は、冴がどう捉えるのかがはなはだ気掛かりなことだった。
まずはひとつ目を切り出す。
「瓜姫様はいろいろと人とは違っておりまして。冴様にも無礼があるかと思います」
「どう違うのだ」
「十五歳になられても、幼子のように無邪気なのです。例えば、人を呼ぶ時に」
「あれか」
清之介の言葉を遮り、冴が御殿へと続く道の先を指さした。道は石垣の角で折れて曲がり、見通しが利かない。
「駆けてくるのが、姫か」
冴の問いに答えようにも、誰もいない。清之介と矢次郎は顔を見合わせた。
「ほら、来たぞ」
冴が言うなり、石垣の角から人影が飛び出した。
「イセ、来たのかあああ」
距離があり、人影の顔かたちはわからない。ただ、高く張りのある声は女のものだ。石垣に反響する声はあまりにも大きく、蝉が黙る。土煙を上げるような勢いで、一直線に迫り寄る。
「瓜姫様です」
清之介が振り返り、冴に一礼する。
「先ほど、姫様がなんとおっしゃったか、覚えておられますか」
「イセ来たのか、と。イセとはなんだ」
「拙者のことです。姫様は人を呼ぶ時に言葉をひっくり返すのです。清之介の清の字を逆さまに読みますと、イセでして」
ん、と口籠り、冴の眉が軽く寄った。その時にはもう、瓜姫は清之介と矢次郎の前に立っていた。それなりの距離を走ったが、瓜姫の息に乱れはない。固太りの体を藤色の上衣と黒の袴で覆い、白鉢巻きが丸顔を凛々しく仕上げていた。
耳に入れたいことがあると清之介は言った。ひとつは聞いた。まだもうひとつ残っている。瓜姫を間近で見ることにより、冴はあとのひとつに見当がついた。瓜姫が何故、清之介を上回る腕前なのかにも。
瓜姫には冴と同じく、異類の血が流れていた。
異類の娘が男二人の間に肩を捻じこみ、冴と向き合う。元から丸い目が皿のようになった。口も丸くあいている。ぽかんとした顔は、あどけない子供そのものだ。
「はあああ。冴は大きいのう」
「これ、姫様。新たに先生となられるおかたですぞ。冴様とお呼びなされ」
矢次郎の注意に瓜姫はにっと頬を上げる。
「ジイヤ、小言は有難く受け取ったぞ」
つぶらな瞳を輝かせ、瓜姫は自分の頭に置いた手を横に滑らせた。冴の胸のやや下あたりに指先がある。
「うおお、わたしは冴の、あ、冴様の半分くらいじゃの」
「半分ということはないだろう」
冴の眉がいつもより下がり、顔から険しさが減じている。
「それよりも姫御前よ」
「なんじゃ、冴。あっと冴様」
舌をちろりと出し、言いつけどおりに様付けで呼び直している。冴がわずかに口の端を上げた。
「やはり、言いにくそうだな。矢次郎殿が気を遣ってくれたが、様はいらん。冴と呼べ。その代わり、私も瓜姫と呼び捨てにする。良いか」
冴の切れ長の目と、瓜姫の丸い目が線で結ばれた。
「もちろんじゃ」
瓜姫はその場で飛び跳ね、笑顔をはじけさせた。




