表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
43/50

第八話 老い武者 四

 荷馬車一台がかろうじての山道を、男十人で列を組む。一行の進みが遅いのは、彦蔵の足には幸いだった。

 役人の屋敷は山をふたつ越えた先だ。前回の荷運びでは、ふたつ目の山中で災いにあった。今その道を村の男たちは歩いている。暗がりが多く、人の行き来は乏しい。獲物が通るとわかっている賊には、絶好の狩り場となる。通る、とわかっていれば。

 男たちは錆のういた槍や刀を固く握り、左右をふさぐように立つ木々の隙間に目を配る。あって欲しくないと願うことほど重なる、と村人たちは思い知った。

 道脇の茂みから、すさんだ顔が二十ほども湧いて出る。これは日ごろの行いの報いではない。どれほどに搾り取ろうが、年貢を横取りしようが、しもじもは泥をすすって生き延びる、と新たな庄屋は考えていた。

「逃げるぞ」

 足をとめた若者の肩を彦蔵は引いた。次に八郎を捕まえようと前に出た。

 荷を置いていけば、野盗どもは追ってまで殺しはしない。道の左右に茂る草木は、退散する者にとって恰好の目隠しとなる。来た道を駆け戻っても良い。だのに、村人は動かない。

「娘や女房を売るわけにはいかん」「命に代えても守り通さねば」

 述べる決意とは裏腹に、荷車の後ろで怯えて身を縮めるばかりだった。

 いや、ひとりだけ賊へとむかう者がいた。八郎。手には槍。

「やめんか」

 転げるように彦蔵が追い掛けた結果が、賊との鉢合わせだった。

「お父の仇」

 ふん。賊が鼻先で笑った。

 彦蔵は得物を投げ捨て、小さな体に飛びつく。彦蔵の肩を熱が貫いた。かつて戦で太股に深手を負った時に等しい熱だ。両膝を地につき、肩に刺さった槍の柄を掴んだ。

 うああああ。八郎の叫びが彦蔵の耳を叩いた。細い背中が賊へとむかう。勢いよく槍を突く。賊が吹き飛んだ。

 彦蔵は口をあけたまま首を捻じり、地に伏した賊を見た。子供の繰り出した槍で、大の男が両足を地からうかし、転げるだろうか。しかも、八郎の槍が突いた方向にではなく、横にだ。

「あとは儂がやる」

 八郎の衿首を掴み、後ろへと抛り投げた。

 ひとりやられたことで頭に血がのぼったのだろう。賊どもは目の色が変わっていた。

 駄目だ。もう、逃げられん。黙ってやられるくらいなら、少しでもこいつらを。

 彦蔵は食いしばった歯の内側で、声にならない呟きをこぼした。傷口から手を離し、槍を拾った。構える。肩がひどく痛み、力が入らない。

「なんだ(じじい)

 太刀を振りかぶった男の体がまた、横へとさらわれる。そこから殺戮が始まった。首を断たれ、頭を地に落とす者。腹が破裂し、臓腑をぶちまける者。血飛沫が賊どもの惨状を覆い隠すが、見る間に数を減らすのがわかる。

 山におわす神が、非道の者を成敗している。彦蔵には目の前の出来事が、人の力を超えた祓いの儀式に思えた。

 残された野盗が踵を返す。が、すべて命を刈られた。

「助かったのか」

 胸の底を浚うような深い息を吐くと、痛みが戻った。傷を掌で押さえた。指の間から血があふれ出る。量と温度に、しかめた顔が項垂れていく。山の静寂が両肩にのって暫く。明るい声が響いた。荷車の向こう側からだ。

「済まぬ。血止めをしてくれ」

 必死でしぼり出した彦蔵の依頼に村の男たちは集まったが、荷の無事を喜ぶだけだった。早く、と急かしても誰ひとりとして彦蔵には触れない。

「自然に止まるだろう」「血止めなんかできんし」「帰りに拾ってやる。ここで待っておれ」

 命の際に、他人事の言葉がならぶばかりだった。それどころか。

「お役人様に、彦蔵の手がらをお教えせねばな」

「やめてくれ。儂がやったのではない」

「なにを言う。勇ましかったぞ。おう、と大声をあげて賊をなぎ倒す。爽快だったわい」

 村人全員が頷いている。彦蔵の首が、また深く垂れた。この者たちは背を丸め、あるいは頭を抱え、目をつぶりふるえていただけだ。なにも見ていない。

「村に強い侍がいると知れ渡れば、盗賊も出なくなる。治ったら、また頼むぞ」

 彦蔵に否も応も言わせず村人たちは去った。ただのひとりも振り返らない。八郎すらも。

 彦蔵は瞼を閉じた。このまま寝入ると、死ぬ。わかっていても、目を開ける気にはなれない。

 沈んだ気持ちを撫でていると、声を掛けられた。人が真正面に立ったことに、まるで気づかなかった。

「もう、愛想が尽きただろう」

 黒の頭巾で髪と口元を覆っている。顔はわからない。だが、間違えようがない。常軌を逸した背丈と鋭利な目、棍棒と見紛うばかりの弓。

「矢でやったのか」

「喋るな」

 冴が傷口に手拭いをきつく押し当てた。解いた頭巾で腋をしぼるように締めあげる。

 痛みでつぶりそうになる目をこじ開け、彦蔵は冴の顔を凝視した。冴が、遠い過去の記憶と一分のずれもなく重なる。

 切れ長の目には懸命の色がうかぶ。手負いの者が助かるようにと一途に願っている。表情がないぶん、目に宿る色合いは鮮明だった。


 気を失っていたのだろう。彦蔵が目をあけると、景色が一変していた。賊とは道でやり合ったはずだが、今は山の中に身を横たえている。立ち並ぶ木の間を、軽やかな音が縫う。おそるおそる、音の方角へと首を捻った。肩が痛むのでは、と怯えたが鈍く疼くに留まっている。

 軽やかな音は、岩に伝う水だった。細く頼りなげに見えるが、緑の苔が鮮やかさを誇るように岩を覆っている。

「目が覚めたか」

 岩清水とは逆の側に、冴がいた。木の幹に背中を預け、座っている。

「ここは、どこだ」

「彦蔵の小屋から山を五つほど越えた」

「儂を背負って山を五つ」

 絶句する間に、冴が言葉を差しこんだ。

「安心しろ。もう血は止まっている。見かけどおり、丈夫だな」

 命に関わる深手が、痺れたような鈍い感覚に置き換わっていた。右肩へと頭を傾け、鼻を利かす。青く刺すような匂いをとらえた。

「膏薬が貼ってある。痛むようなら言え」

 聞けば、幾度も傷の手当てがなされたとのことだ。二日二晩に渡り。

「何故こうまでしてくれる」

「私はよろず屋だからな」

「お代がないと働かんのではないのか」 

「すでにもらっておる」

 雨よけにひと晩屋根を貸し、粗末な食事を出しただけだ。額の奥を探しても、線で繋がるものはない。

「手負いの武者を殺す女の話だ」

 もしや、と背中に予感が走る。頭に届くころには、確信へと変わっていた。冴が次になにを言うか。聞き漏らさぬよう耳を澄ます。

「私の知らぬ母の行いを教わり、感謝している」

 冴は両の膝をたたみ、深く頭をさげた。肩で切り揃えた髪が、地についた手を覆う。白いうなじを見せ、冴は動かない。

「いや、そのように威儀を正さずとも」

 慌てて身を起こそうとすると、さすがに肩を痛みが刺す。冴が寄り添う。牛のような巨体を片手で抱き起こし、座らせた。

「丁度良い。膏薬を貼り替えるか」

 露わになった傷口は、糸で縫い合わされていた。金創手当ての術は彦蔵も心得ていたが、初めて見る技だった。冴は手際よく処置を済ませ、山の下り側を指さした。

「この先に道がある」

 彦蔵も長い指に従い目を遣る。

「この山を越える人は多い。あいにく、茶屋がない」

 彦蔵には、話がどこにむかっているのかがわからなかった。冴の顔を見ても、答えが記されているわけもない。

「彦蔵。やり直したいと言っていなかったか。ひっそりと暮らしたいとも」

 小屋の中での話だと、彦蔵は思い当たった。

「茶屋の主として、ここで暮らせ」

「客が来んだろう。いかつい顔に片目。しかも無口ときておる」

「そうか。私にはよく喋っていたではないか」

「儂は茶を淹れたことがない。不味いに決まっておる」

「飲んでみろ」

 竹筒が差し出された。水面に映る光には丸みがある。

「旨いの」

 山の葉の滴を集めたような清々しさだった。傷んだ体に沁みる。

「この水だ」

 冴が岩清水を指さす。

「これで茶を淹れろ。この湧き水は、おそらく誰も知らん」

「この水を使えるのは、儂だけということか」

 ふと、疑問が差した。

「誰も知らん湧き水を、たまたま知っておったのか」

 冴は軽く目を閉じ、垂れ髪を左右にゆらす。

「水に呼ばれて知った」

「まるで龍神だな」

 龍神。そうかもしれない。あの強さ、堂々たる体躯、ただならぬ気配。どれをとっても、人の枠を超えている。

 突拍子もないことには納得ができても、どうにも腑に落ちぬことがある。商売っ気のある女には見えない。だのに、人の通りを掴み、茶店の有無を知り、あらかじめ水をみつけておく。

「やけに手慣れておるの」

「茶店を始めるに当たっては、両手両足の指では足りんほど、手を貸してきたからな」

「茶屋のあがりを冴に渡せばよいのだな」

「いらん。代わりに、いろいろと話を仕入れ、私が訪れた際に教えてくれ」

「話……。いったい、どんな」

「いろいろ、だ。それと、私の弓や槍を預かってくれ」

「それだけで良いのか」

 これまで、冴は表情を動かさず、淡々と言葉をならべてきた。が、ふと切れ長の目に、かすかな笑みが混じったように思えた。

「たまに寄る。その折には団子を馳走してくれ」

 彦蔵は、自らの頬が大きく上がるのを感じた。

「よし。旨いのが作れるよう、腕を鍛えるわい」

「楽しみにしている。ああ、そうだ。ひとつ、覚えておいて欲しい」

 冴が小さく、だがはっきりと口元を笑みの形に変えた。

「私は塩団子より、甘い団子が好きだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ