第八話 老い武者 四
荷馬車一台がかろうじての山道を、男十人で列を組む。一行の進みが遅いのは、彦蔵の足には幸いだった。
役人の屋敷は山をふたつ越えた先だ。前回の荷運びでは、ふたつ目の山中で災いにあった。今その道を村の男たちは歩いている。暗がりが多く、人の行き来は乏しい。獲物が通るとわかっている賊には、絶好の狩り場となる。通る、とわかっていれば。
男たちは錆のういた槍や刀を固く握り、左右をふさぐように立つ木々の隙間に目を配る。あって欲しくないと願うことほど重なる、と村人たちは思い知った。
道脇の茂みから、すさんだ顔が二十ほども湧いて出る。これは日ごろの行いの報いではない。どれほどに搾り取ろうが、年貢を横取りしようが、しもじもは泥をすすって生き延びる、と新たな庄屋は考えていた。
「逃げるぞ」
足をとめた若者の肩を彦蔵は引いた。次に八郎を捕まえようと前に出た。
荷を置いていけば、野盗どもは追ってまで殺しはしない。道の左右に茂る草木は、退散する者にとって恰好の目隠しとなる。来た道を駆け戻っても良い。だのに、村人は動かない。
「娘や女房を売るわけにはいかん」「命に代えても守り通さねば」
述べる決意とは裏腹に、荷車の後ろで怯えて身を縮めるばかりだった。
いや、ひとりだけ賊へとむかう者がいた。八郎。手には槍。
「やめんか」
転げるように彦蔵が追い掛けた結果が、賊との鉢合わせだった。
「お父の仇」
ふん。賊が鼻先で笑った。
彦蔵は得物を投げ捨て、小さな体に飛びつく。彦蔵の肩を熱が貫いた。かつて戦で太股に深手を負った時に等しい熱だ。両膝を地につき、肩に刺さった槍の柄を掴んだ。
うああああ。八郎の叫びが彦蔵の耳を叩いた。細い背中が賊へとむかう。勢いよく槍を突く。賊が吹き飛んだ。
彦蔵は口をあけたまま首を捻じり、地に伏した賊を見た。子供の繰り出した槍で、大の男が両足を地からうかし、転げるだろうか。しかも、八郎の槍が突いた方向にではなく、横にだ。
「あとは儂がやる」
八郎の衿首を掴み、後ろへと抛り投げた。
ひとりやられたことで頭に血がのぼったのだろう。賊どもは目の色が変わっていた。
駄目だ。もう、逃げられん。黙ってやられるくらいなら、少しでもこいつらを。
彦蔵は食いしばった歯の内側で、声にならない呟きをこぼした。傷口から手を離し、槍を拾った。構える。肩がひどく痛み、力が入らない。
「なんだ爺」
太刀を振りかぶった男の体がまた、横へとさらわれる。そこから殺戮が始まった。首を断たれ、頭を地に落とす者。腹が破裂し、臓腑をぶちまける者。血飛沫が賊どもの惨状を覆い隠すが、見る間に数を減らすのがわかる。
山におわす神が、非道の者を成敗している。彦蔵には目の前の出来事が、人の力を超えた祓いの儀式に思えた。
残された野盗が踵を返す。が、すべて命を刈られた。
「助かったのか」
胸の底を浚うような深い息を吐くと、痛みが戻った。傷を掌で押さえた。指の間から血があふれ出る。量と温度に、しかめた顔が項垂れていく。山の静寂が両肩にのって暫く。明るい声が響いた。荷車の向こう側からだ。
「済まぬ。血止めをしてくれ」
必死でしぼり出した彦蔵の依頼に村の男たちは集まったが、荷の無事を喜ぶだけだった。早く、と急かしても誰ひとりとして彦蔵には触れない。
「自然に止まるだろう」「血止めなんかできんし」「帰りに拾ってやる。ここで待っておれ」
命の際に、他人事の言葉がならぶばかりだった。それどころか。
「お役人様に、彦蔵の手がらをお教えせねばな」
「やめてくれ。儂がやったのではない」
「なにを言う。勇ましかったぞ。おう、と大声をあげて賊をなぎ倒す。爽快だったわい」
村人全員が頷いている。彦蔵の首が、また深く垂れた。この者たちは背を丸め、あるいは頭を抱え、目をつぶりふるえていただけだ。なにも見ていない。
「村に強い侍がいると知れ渡れば、盗賊も出なくなる。治ったら、また頼むぞ」
彦蔵に否も応も言わせず村人たちは去った。ただのひとりも振り返らない。八郎すらも。
彦蔵は瞼を閉じた。このまま寝入ると、死ぬ。わかっていても、目を開ける気にはなれない。
沈んだ気持ちを撫でていると、声を掛けられた。人が真正面に立ったことに、まるで気づかなかった。
「もう、愛想が尽きただろう」
黒の頭巾で髪と口元を覆っている。顔はわからない。だが、間違えようがない。常軌を逸した背丈と鋭利な目、棍棒と見紛うばかりの弓。
「矢でやったのか」
「喋るな」
冴が傷口に手拭いをきつく押し当てた。解いた頭巾で腋をしぼるように締めあげる。
痛みでつぶりそうになる目をこじ開け、彦蔵は冴の顔を凝視した。冴が、遠い過去の記憶と一分のずれもなく重なる。
切れ長の目には懸命の色がうかぶ。手負いの者が助かるようにと一途に願っている。表情がないぶん、目に宿る色合いは鮮明だった。
気を失っていたのだろう。彦蔵が目をあけると、景色が一変していた。賊とは道でやり合ったはずだが、今は山の中に身を横たえている。立ち並ぶ木の間を、軽やかな音が縫う。おそるおそる、音の方角へと首を捻った。肩が痛むのでは、と怯えたが鈍く疼くに留まっている。
軽やかな音は、岩に伝う水だった。細く頼りなげに見えるが、緑の苔が鮮やかさを誇るように岩を覆っている。
「目が覚めたか」
岩清水とは逆の側に、冴がいた。木の幹に背中を預け、座っている。
「ここは、どこだ」
「彦蔵の小屋から山を五つほど越えた」
「儂を背負って山を五つ」
絶句する間に、冴が言葉を差しこんだ。
「安心しろ。もう血は止まっている。見かけどおり、丈夫だな」
命に関わる深手が、痺れたような鈍い感覚に置き換わっていた。右肩へと頭を傾け、鼻を利かす。青く刺すような匂いをとらえた。
「膏薬が貼ってある。痛むようなら言え」
聞けば、幾度も傷の手当てがなされたとのことだ。二日二晩に渡り。
「何故こうまでしてくれる」
「私はよろず屋だからな」
「お代がないと働かんのではないのか」
「すでにもらっておる」
雨よけにひと晩屋根を貸し、粗末な食事を出しただけだ。額の奥を探しても、線で繋がるものはない。
「手負いの武者を殺す女の話だ」
もしや、と背中に予感が走る。頭に届くころには、確信へと変わっていた。冴が次になにを言うか。聞き漏らさぬよう耳を澄ます。
「私の知らぬ母の行いを教わり、感謝している」
冴は両の膝をたたみ、深く頭をさげた。肩で切り揃えた髪が、地についた手を覆う。白いうなじを見せ、冴は動かない。
「いや、そのように威儀を正さずとも」
慌てて身を起こそうとすると、さすがに肩を痛みが刺す。冴が寄り添う。牛のような巨体を片手で抱き起こし、座らせた。
「丁度良い。膏薬を貼り替えるか」
露わになった傷口は、糸で縫い合わされていた。金創手当ての術は彦蔵も心得ていたが、初めて見る技だった。冴は手際よく処置を済ませ、山の下り側を指さした。
「この先に道がある」
彦蔵も長い指に従い目を遣る。
「この山を越える人は多い。あいにく、茶屋がない」
彦蔵には、話がどこにむかっているのかがわからなかった。冴の顔を見ても、答えが記されているわけもない。
「彦蔵。やり直したいと言っていなかったか。ひっそりと暮らしたいとも」
小屋の中での話だと、彦蔵は思い当たった。
「茶屋の主として、ここで暮らせ」
「客が来んだろう。いかつい顔に片目。しかも無口ときておる」
「そうか。私にはよく喋っていたではないか」
「儂は茶を淹れたことがない。不味いに決まっておる」
「飲んでみろ」
竹筒が差し出された。水面に映る光には丸みがある。
「旨いの」
山の葉の滴を集めたような清々しさだった。傷んだ体に沁みる。
「この水だ」
冴が岩清水を指さす。
「これで茶を淹れろ。この湧き水は、おそらく誰も知らん」
「この水を使えるのは、儂だけということか」
ふと、疑問が差した。
「誰も知らん湧き水を、たまたま知っておったのか」
冴は軽く目を閉じ、垂れ髪を左右にゆらす。
「水に呼ばれて知った」
「まるで龍神だな」
龍神。そうかもしれない。あの強さ、堂々たる体躯、ただならぬ気配。どれをとっても、人の枠を超えている。
突拍子もないことには納得ができても、どうにも腑に落ちぬことがある。商売っ気のある女には見えない。だのに、人の通りを掴み、茶店の有無を知り、あらかじめ水をみつけておく。
「やけに手慣れておるの」
「茶店を始めるに当たっては、両手両足の指では足りんほど、手を貸してきたからな」
「茶屋のあがりを冴に渡せばよいのだな」
「いらん。代わりに、いろいろと話を仕入れ、私が訪れた際に教えてくれ」
「話……。いったい、どんな」
「いろいろ、だ。それと、私の弓や槍を預かってくれ」
「それだけで良いのか」
これまで、冴は表情を動かさず、淡々と言葉をならべてきた。が、ふと切れ長の目に、かすかな笑みが混じったように思えた。
「たまに寄る。その折には団子を馳走してくれ」
彦蔵は、自らの頬が大きく上がるのを感じた。
「よし。旨いのが作れるよう、腕を鍛えるわい」
「楽しみにしている。ああ、そうだ。ひとつ、覚えておいて欲しい」
冴が小さく、だがはっきりと口元を笑みの形に変えた。
「私は塩団子より、甘い団子が好きだ」




