第七話 巡合 拾壱
話に区切りがついたところでみよが起き、朝の支度を済ませた。
「さて、行くか」
冴が腰を上げた時には、もうみよを左腕で抱えていた。いつ妹の体に手をまわしたのか。伊助にはまったくわからなかった。これも天稟のあらわれなのだろうか。
「姉たん、あたし歩けるよ」
「私がみよに触れていたいんだ。済まんが、じっとしていてくれ」
「兄たんが歩いてるのに、あたしだけ楽して」
つぶらな瞳が横にならぶ兄へと動く。冴に抱えられているため、見下ろす形になる。
「みよ、気にすんな。お前はまだ小さいんだ。助けてもらえ」
妹を見上げ、伊助は笑う。兄のやわらかな顔に、みよも笑う。二人のやり取りに、冴はひっそりと目を細めた。
「ねえ、どうして姉たんはあたしたちを助けてくれるの」
突然の問いは、冴の腕の中からだった。
「姉たんはお金をもらって仕事をするんでしょ。あたしたち、お金払ってないのにどうして」
答えを返さず、冴はみよの頭を撫でた。長い指が髪を梳く。心地が良いのだろう。問いの答えを待っていたが、幼子の瞼はさがる。呼吸がゆるやかなものに変わった。
「みよ、また寝ちゃったね」
「ああ。今までが大変だったのだろう。ほっとしたのかもな」
明日、自分が死ぬかもしれない。大切な人がいなくなるかもしれない。小さな胸は怯えでいっぱいだったのだ、と伊助は気づいた。親の仇を自らの手で取りたいと願うのは、妹に消えぬ不安を抱かせるのと同じだとも思い至る。
「冴は前に、法天寺での仕事を教えてくれたよね」
「掃除や草むしりのことか」
「うん。法天寺に入ったら、僧兵にならなきゃいけないの」
「普通の僧を目指して法天寺の門を叩く者もいる。半分だな、荒法師になるのは。槍の才がないと断念したり、怪我で槍を続けられなくなったり。いろいろな理由で、切り換える者もいる。一度門をくぐった者には、なんらかの居場所がある」
なんらかの居場所、と伊助は口の中でだけ呟いた。
蝉の声は常に耳に入るせいで最早ないのと同じだった。滝の落ちる音、川の流れる音が耳に障らぬのと同様に。音とともに、伊助の内側へと新たな考えが沁みこんでゆく。冴はみよの寝顔に目を遣り、瞳に和やかな色を灯す。静かな道のりは冴が破った。
「あの山は、法天寺の領地だ」
見晴らしの利く場で、冴が先の景色へと指を伸ばした。今、下っている山道を終えれば寺領に入る。もうすぐ、この旅は終わる。伊助は胸から重石がとれ、広く伸びやかな心地になる反面、大きな穴が空いたように感じた。
兵法者になる。父母の仇を討つ。無念を晴らすことを支えに、今日まで生きてきた。しかし、冴と話せば話すほど心がゆらぐ。
天稟のない自分でも、兵法者を目指して良いのか。それとも。
冴から、もっといろいろなことを教わりたい。他愛のないことでもいい。もっと話したい。
規則正しく入れ替わる自分のつま先にばかりむけていた目を、短い垂れ髪に移そうとした時、長い腕で胸を押された。道脇の茂みが音をたてている。
胴や臑当で身を固めた男たちが湧いて出た。二十人ほどもいる。賊一団の頭目だろう。岩を思わせる大男が、ひとりで歩み寄る。抜いた太刀を肩に預けている。無精ひげにまみれた顔には、いびつな笑みを張り付けていた。目が暗い。
これまでに襲った旅人は皆、この男の巨躯と白刃に恐れをなし、言われるがままに身につけたすべてを置いて逃げた、と容易に想像できた。
「ちっ。たいした金になりそうもないな」
もし冴が眠るみよを抱いていなければ、無精ひげの賊は近づくことも、口を利くこともできなかったはずだ。冴は今、殺気を封じている。
「殺して遊ぶか」
太刀の峰で自らの首を叩き、口を曲げてまた笑う。
「なんだお前、女か。どえらくでかいな」
冴は大男よりもまだ上背があった。
「この餓鬼どもはお前の子か。餓鬼が目の前で殺されるのは辛いだろう。よく見ておけ」
わざとらしく太刀を振り上げる。これで冴が怖れると思いこんだ、隙だらけの動き。冴は静かに立つだけだ。表情にはなにひとつ変化がない。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ」
目を剥き、声を荒らげた。脅しの効かぬ相手は初めてらしい。切っ先を冴にむける。
ふん。冴が鼻の先で笑い、口の端をきつい角度で吊り上げた。
「法天寺が恐ろしくて、この先に入れないのだろう。狩られるからな」
「なめてんのか、てめえ」
突き出された白刃に、冴は一度たりとも目をむけない。
「ほいっ」
冴の掛け声には、この場に不似合いな軽さがあった。まるで、賊に聞かせるためのような。左腕に抱えたみよを、冴は真上に抛った。賊は空へとのぼる子を追い、顎を上げる。
大男がこの世で見た最後の光景は、宙を舞う女児となった。入道雲を背に、淡い紅の袖や裾が広がっている。
冴は剣を抜き、賊の首を斬り、刃を鞘に納めた。石火の出来事。あまりの速さに、切られた体すらも反応できない。刃が首を通り抜けても、男の頭は両肩の間にのっていた。
冴が賊の胸を右足裏で押し飛ばす。そこで初めて、血が太く噴き出した。水でいっぱいになった桶を投げたように、男の体は血を撒き散らしながら野盗の群れへと飛んだ。男の頭が、すとんと真っ直ぐ地に落ちる。まるで達磨落としだ。
宙を舞ったみよが戻って来る。冴が両手で受けとめる。みよはまだ、眠っている。
転げた賊の頭が、伊助の足に当たった。賊は目を開いたまま、命が絶えている。首だけの死人と目が合い、伊助は腰が抜けた。夢中で這い、逃げた。二十ほどもいた賊どもも、悲鳴を残し逃げていく。
「生首ごときでなんだ、そのざまは」
冴が頭を茂みの中に蹴りこんだ。伊助は歯が鳴り、肩も腕も背中も膝もふるえている。尻は、植わりでもしたように動かない。冴が前に立つ。伊助は妹を抱えた大きな影に首を反らせた。
「伊助」
天から声が降り注ぐ。
「おとなしく生きる道を選べ」
大きな右掌が差し出された。武芸の稽古に明け暮れ、分厚い皮で覆われている。
「お前の分も、私が殺してやる」
冴の手を握る。はっとするほどの温かさだ。
また冴を見上げてすぐ、強い力で尻の根が切られた。足裏を地につけ、二本の足で伊助は立つ。ふるえが消えていた。
「どうしてお前たちを助けるのか。前にみよが問うたのを覚えているか」
蝉の音に冴の声がのる。
「次は、私の番だと思ったんだ。私も助けてもらったからな、子供のころに」
「姉たんを助けるって、すごい人がいるんだね」
いつ起きたのか。みよが拍子良く明るい声を入れた。
「ああ。すごい人だ。猿みたいで、お喋りでな」
冴がやんわりと頬を上げ、みよの頭をさすった。
みよが目覚めても冴は降ろさず、大きな身振り手振りを交えて話す幼子を、終始柔和な顔立ちで撫で、ぽつりぽつりと言葉を返す。
伊助は、とある考えを頭の中でまわしながら、妹の笑い声に自分もまた、笑みをうかべるのだった。
みよには楽しく過ごして欲しい。悲しませてはいけない。足を一歩前に出す毎に、伊助の意思は強く固まった。




