第七話 巡合 拾
迷った目が、自身に集まっていると点空はわかっていた。法天寺槍集団の長であり、冴と心の距離が最も近いとの自負もある。ひとつ、咳を払う。これから述べることを、冴や皆がどう受け止めるだろうか。
「良かろう。だが、冴は槍を使うな」
んん、と男たちに疑問の声が広まり、冴は黙して首を傾ける。点空は続けた。
「野盗狩りは、寺領に入った賊を追い払うだけで、逃げる者を捕まえてまで殺しはせん」
冴はまばたきをくり返す。点空の次の言葉を待っている。
「本当はどこまでも追って始末をしたい。ああいう輩は、生かしておけば必ず迷惑を振り撒く。ならばそれを防ぐため、さっさと殺すのが道理。だが、坊主がそこまでするのもなんだかなあ」
点空はささやかに笑った。よくもまあ、ここまで本音で話せるものだ。
「儂らは一応、仏門で修行をする僧侶なのだ。逃げる者には慈悲を示さねばならん。その点、冴は違う。坊主ではない。慈悲も情けも不要だ。冴に願いがある」
「なんだ」
「逃げる賊を矢で射てくれ。情け容赦のない仕打ちになる。厭な役目を押しつけて済まんが、やってくれんか」
「謹んで、お受けする。かたじけない」
冴は深く腰を折り、長い間、背を伸ばさなかった。
「そう、あらたまるな。儂らは仲間じゃないか。ところで先々のことになるが」
点空は言葉の途中で口を閉ざし、切れ長の目を覗きこむ。
「冴は身の振り方を、どう考えておるのだ」
人殺しの打ち合わせから話が逸れ、場の空気は一段軽いものに変わった。
「先のことはまだなにも」
「もし行き場がないのなら、寺にずっとおって良いのだぞ。というても、法天寺ではなく末寺に行くこととなるがの」
「ここにはいられないのか」
「冴は女だろ。今は子供だからなんとか誤魔化しておるが、年を重ねれば、さすがに法天寺には置いておけん。尼になるよりあるまい」
「あま……。なにが甘いのだ」
ぶわはははは。点空だけでなく、皆が一斉に笑った。
「冴も、とぼけたことを言うのだな」
「なんだ、笑うな。知らんのだ。あまってなんだ」
冴が慌てるほど、男たちの笑い声は大きくなるのだった。
*
伊助は目を覚ましてすぐ、鼻の奥に薄い膜の張る感触を得た。なにかを燻したにおい、とまでは思い当たるが、朽ちかけの床板にはどこにも火の気がない。
「明日、法天寺に着く」
冴は昨日、たしかにそう言った。野宿の場所と決めた古い社に伊助たちを押しこみながら。
板壁の穴から早朝の光が差しこんでいる。みよはまだ眠りの中だ。起こさぬよう、伊助は足を忍ばせ外に出る。冴にどうしても尋ねたいことがあった。みよには伏せておきたいことでもある。兄の口から出た言葉を聞けば、「やめて」と言うに違いないのだから。
「早いな」
伊助が冴の居場所を捉えるよりも先に声が掛かった。冴は社のわきで、尻を地につけていた。片膝を立てて座る正面には、やけに燃えかすの多い焚火があった。火はあがらず、幾筋もの煙がたちのぼっている。社で嗅いだにおいと同じだと鼻が告げる。
「蚊には食われなかったか」
「あ、そういえば」
腕にも足にも痒みがない。
「杉の青葉が効いたようだな。蚊遣りを焚いていた」
長い指が煙の元を宙で突く。
「寝ないで燃やしてたの」
伊助はしゃがみ、細枝で燃えかすを掻きまわした。熾きになった炭が転がり出る。赤く鈍い光が、朝の白い陽の中に混じりこむ。
「夜中に何度か起きてくべるだけだ。で、どうしてこんなに早くに。煙で眠れなかったのか」
「ううん。よく眠れた。ありがとう。あの、俺、迷ってるんだ。それで、ちょっと訊きたくて」
冴は黙ってまばたきをくり返す。
「俺、兵法者になりたいって言ったよね。そうしたら冴は生き延びろって。もう、わからなくて。仇を討つことばっかり考えてたけど、返り討ちにあって死ぬかもしれない。俺が死んだら」
伊助は唇を噛み、社を見た。前歯で封じられた唇は、次を出せない。冴が代わりに言った。
「みよは悲しむだろうな」
仇討ちや兵法者の話をすると、みよは決まって頬を硬くする。妹の不安に気づいてからは、できるだけ思いを内に秘めるようにした。
自分がどれほどのものなのか。大人になれば、返り討ちを怖れずに済む腕前を得られるのか。まるで見当がつかない。ところが今、武芸に精通した者が傍らにいる。
「俺、強くなれるかな」
答えの欲しかった疑問を手短に伝えた。
「修錬すれば、誰でもある程度は強くなれる」
冴からの言葉も短い。
「どうすれば冴みたいになれるの」
伊助の問いには答えを出さず、冴は無言で立ちあがった。糸で天へと吊り上げられるような、兆しの消えた動きだ。ゆっくりと刀を鞘から引き出す。中段に構えた。横から見ているにもかかわらず、伊助は自分に切っ先がむけられているような緊迫を覚える。知らずのうちに腰を上げ、首筋を硬くしていた。
冴が刀をふる。正確には空気を切る音を聞いた、だ。見えない。冴の動きがわからない。
「まずはこういった、ひとりでの稽古をする」
低い声で告げた後、また空気を裂く音がする。やはり刀の振りは、伊助の目に映らない。
「素振りを毎日、欠かさずくり返す」
やってみろ、と柄を握った拳が伊助の胸元へと伸びた。剣は横に倒され、先も横へと逸れている。それでも、伊助は怖かった。人を殺すために作られた道具に圧倒される。指先をふるわせ、なんとか受け取った。生まれて初めて抜き身の刀を手にする。
「構えろ」
見様見真似の中段を作った。上半身が右にずれていることに、伊助は気づかない。
「ふれ。こう、斜めにだ」
冴の手刀が右上から左下に流れ、刃の道筋を伝える。
「初心のころは、真縦にふると自分の膝や足の甲を切る場合がある」
自分で自分を切ってしまう。冴から知らされた事実は、腰の引けた素振りに置き換わった。
「伊助。もっと気を入れろ」
うああああ。自棄気味に声を張り、袈裟斬りで宙を断つ。
「力むな。肩、肘、腰、膝、手首、足首。あらゆるところで動きが止まっている」
さして動いていない。だが、伊助のこめかみに汗が流れた。息があがっている。
「伊助。刀が自分の体の一部だと感じられるか」
小刻みに、首を何度も横にふる。早く、この人殺しの道具を投げ捨てたかった。
「剣が体に馴染むか否かで、天稟の有無がわかる」
「てんぴんってなに」
「生まれ持った才。初めから人よりも秀でているなにか。天稟は武芸の要諦だ。私は投げられた豆粒を槍先で突くことができる。矢の行き着く先が、矢筈から手を離した刹那にわかる」
「そんなの、できないよ。俺に武芸は無理なの」
「いや。大方の者は豆粒を槍先で突くことはできない。できない者同士での争いは、たいてい覚悟の差で勝負がつく。武の道を歩むなら、天稟のある者と出くわさぬよう祈ることだな」




