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第七話 巡合 六

「これから行く法天寺は槍の名門だ。よく修錬を積み、強くなれ」

「冴はとめないんだ。俺の仇討ちを」

「私もそうだったからな」

 ふと、冴の気配が変わった。厳しく寄っていた眉をゆるめ、額を伏せる。

「みよが起きた。行くか」

「ねえ、冴。法天寺に着く前に、少し武芸を教えてよ。冴は強いんだろ」

 ん、と冴は首を傾げた。

「だって、ものすごく大きいし、泳ぐ魚を刀や槍で突いて獲るって言ったよね。俺の短刀を折ったのだって、冴がなにかしたからなんだろ」

 冴があたりを見回す。茶屋に自分たち以外に客はいない。通りにも人影がない。冴が縁台から腰を上げた。風のない空に、煙が一本昇るような静かな動きだった。

「伊助の短刀を折ったのはこれだ。よく見るんだ」

 通りの中央へと歩を進める。ゆるやかな風が地を掃くような足捌きだ。伊助は冴の一挙手一投足を見逃すまいと息をひそめ、目を皿のようにした。

 と、冴の腰に差した鞘が鳴る。かちりと乾いた音だ。冴の右手が、刀の柄を握っていた。

「伊助、見えたか」

「えっと、なにかしたの」

「刀を抜き、横にふり、鞘に収めた」

 伊助の口は半開きで、まばたきが止まっている。息も止まっている。

「抜刀術だな。居合いとも言う。少しゆっくりやる。良いか」

 光の筋を、伊助の目はかろうじて捉えた。夏の日差しが降り掛かっていなければ、抜いた刀身のきらめきには気づけなかっただろう。

「来る日も来る日も精進しろ。労を惜しまず鍛えるんだ。そうすれば、強くなる」

 * 

 冴が法天寺の宿房に根をおろして三か月が過ぎた。意外にも、寺での共同生活をつつがなくこなしている。愛想が悪いのは相変わらずだが、まわりの冴を見る目は変わっていた。僧堂で皆と肩をならべて飯を食い、境内や堂の掃除をし、槍を繰る。夜にも槍。いったいいつ寝ているのか、なにが十歳の女児をここまで虜にするのか。誰もが首を捻るほどに励んでいる。「死に物狂い」とはこういうことだ、と僧兵たちは身に沁みた。丸太を延々と突く。掌の皮は破れ、肉が出た。それでも冴は手をとめない。

 稽古場では、九尺の棒を手に二人一組で打ち合う。綿を革でくるんだ「たんぽ」を先に着けた稽古用の槍は、綿毛をかざすたんぽぽを思わせる外観だ。刃はなく先がやわらかいとはいえ、まともに突きが決まれば三日は痛みで動けぬのだから、生易しい稽古ではない。

 本身の十文字槍を用いた形稽古も行う。ひとつ操作を誤れば皮膚が深く裂ける。これもまた、生易しくはない。

 二人でたんぽ槍を交える乱稽古において、冴は殺気を封じている。冴の持ち味は攻めの槍。ところが時には打って出ず、受けにまわり相手の技を引き出す手伝いをする。手加減ではない。殺し合いと稽古は違う、とわかっているのだ。僧たちとの出会いが殺戮の場であったことを思えば、にわかには信じ難い姿だった。

 三か月という月日は、本当にいろいろなものを変える。丸太相手に突きを見舞う冴の傍らに点空が立つ。

「お主、謝っておったな。ああいうのは、性根の曲がった者にはできんことだ」 

 動きをとめ、声には出さず「ん」と切れ長の目で点空に問い返す。点空は黙したまま、眉を人さし指で何度も擦った。

「なんだ爺さん、痒いのか」

「違う違う。ほれ、眉毛が真っ黒の」

「雄念か」

 冴が古寺で暴れていた際、槍を奪い取った男の名だ。

「おお、ちゃんと名前を知っとるのか」

「それはそうだろう。毎日顔を会わすのだから」

 そう。冴も変わった。口数は少ないが、必要なことは声に出す。無造作に命を奪おうとした非礼を、眉の濃い僧兵、雄念に詫びるくらいには。

 冴はまた、丸太を突く。以前にくらべ、動きが簡潔になっている。力強さと速さは変わらない。いや、増している。

「起こりを消そうとしているのか」

 冴の動きが再び止まった。腰を落とし、構えは解かない。

「よく母様と棒で打ち合った。私の攻めはあっさりとかわされる。爺さんと戦った時もだ」

 冴の視線は手に持つ棒の先端に据えられている。

「私は母様の打ちをかわせない。いつ攻めてくるのかが、まるでわからなかった。ひょっとすると、私の攻めはなにかの合図を相手に送っているのではないかと思ってな」

「起こりがあると、自分で気づいたのか」

 こくりと短い髪がゆれる。

「すごいな。そのとおりなのだ。起こりがなければ、儂は死んでおった。そうそう。ずっと心に引っ掛かっとることがあってな」

 冴は黙ってまばたきをくり返した。これは、冴が話の続きを待っている時の癖だと、点空は知っている。

「お主、すっ転がされた時、殺気が消えとったな。口をぽかんとあけて、子供のような顔になっとったぞ。あっと、十歳だから正真正銘の子供か」

 ほんの少し唇を尖らせ、冴はまばたきで話を促す。

「あれはなんだったんだ」

「母様にもよく転がされて……。いや、なんでもない」

 点空は無駄に年を重ねていない。冴が戦いの最中に、母の影を追ったのだと察した。この戦うために生まれたような乙女は、母をよほどに慕っていたのだろう、とも。

 冴は稽古に戻った。一撃毎に風が舞う。頬に響く高く硬い音をたて、棒先が丸太を打つ。厚く巻かれた筵は、尖りのまったくない平らな棒先に貫かれる。掌の肉は抉れ、柄が血でぬめる。冴は五指にさらなる力を注ぐ。

「これ、冴。もそっと力を抜け。より速く、より強くと逸る気持ちが、体の中で詰まりを作るのだ」

「どういうことだ」

 冴は構えを解き、流れる血を僧衣で拭った。墨染のため目立たぬが、腰のあたりがより黒い色に変わっていた。

「痛そうだな」

「大丈夫だ。それよりも、さっきの『詰まり』とはなんだ」

「水は流れ、風は吹く。途中で岩や戸があれば、水も風も止まるだろう。力と力をぶつけるのでなく、力の通り道を整えてやるんだ」

「わからん」

 冴はまばたきをくり返した。

「あのな、冴。普通は槍や剣の名人になって初めて、立ったり座ったりが滑らかになる。それがお主は、もうできとる。歩く姿なんぞ、どこにもつかえがない。槍もその要領でやってみろ」

「その要領と言われても、歩いたり座ったりは、とくになにかをしているつもりはないんだ」

「肩、腰、膝。ここぞという時のほかには力を抜いて、上手く力を流してやれ。二人で組んでたんぽ槍を扱う時は、良い動きが出とるぞ。まるで舞いのような」

「いつ、舞いになっている」

「かわす時だな。柄で受けるのではなく、体を捌いて槍に空を切らす時だ」

 冴のふる棒を、母が蝶のようにかわしていたのを思い出した。棒と棒を打ち合わせず、ひらりふらりと動く姿は、まさに舞い。冴の得物はいつも母の残像を素通りした。

「まあ、戦いの最中に力を抜ける者は、まずおらん。だからといって、稽古で脱力ができなくても良いというわけではない。力を抜くよう、心掛けてみよ」

「わかった」

「そうか。そりゃ良かった」

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