第七話 巡合 五
「まわりが儂をどう呼ぶか、聞こえとっただろう。点空。これが儂の名だ。法天寺では、大天狗が槍を教えたと伝えられておる。自分を天狗だと思いたくて、点空などと天狗に似たまぎらわしい名をつけたのだ」
ぶわはははは。自らを天狗と名乗りたい年寄りは、大きく口をあけて笑った。
「年をとっても修行をしても、見栄を張りたい気持ちはなくならんわ」
女を宿房で寝泊まりさせること。髪を剃らぬこと。諸々の問題を寺からも指摘されたが、点空が押し切った。戦で親と居所を失ったみなしごを保護するとの名目で、二間四方の一室が冴に与えられた。
ただひとつ、寺が譲らぬ事態があった。その解決に、点空が冴の部屋を訪れる。
「今着ておるのは巫女の服か」
懐かない猫の目で、冴は「そうだ」と無言で伝える。
「ここは寺だ」
「神社の恰好はならんのか」
「おお、やっと話らしい話ができたの」
皺だらけの目元に笑い皺を加え、冴の顔を覗きこむ。目を合わせたくないのか、冴は開け放たれた戸から縁側越しに、果てのかすむ広大な境内を眺める。五重塔が間近にあった。様々な堂の屋根は反り、丸い飾りの宝珠をのせている。植えられた木は皆太く高く育ち、そこかしこには立ち働く僧侶たち。筵を厚く巻いた丸太を棒で突き、武芸の研鑽に励む者もいる。
「巫女がどうのではなく、血まみれの服がいかんのだ。夜叉のようでお主には似合っとるが」
冴が眉間に皺を寄せた。
「怖い顔をするな。僧兵がうじゃうじゃいても、建前では殺生を禁じておるでな。ほら、これ」
墨染の僧衣と黄みがかった生成りの袴が床に置かれた。腰を伸ばすと、点空はひとけのない一角を指さした。ひと抱えほどもある丸太が、何本も地に打ちこまれている。
「あそこで待っておる。着替えたら来い」
座って話すより、体を動かしたほうが口も軽くなると考えての誘いだがそのじつ、点空は冴の槍捌きを間近で見たいのだった。いそいそと丸太へと足を運び、宿房の一部屋に目を凝らす。
待つほどもなく、細く長い墨染の影が点空の視界に入る。袴を膝下までくくり上げているため、脛の長さがよく目立つ。それなりの速度で歩んでいても、頭、肩、腰が一切ゆれない。
「おお、なんとも強そうではないか。と、実際に強いが。ほれ、やってみろ」
九尺の棒を立てたまま投げて渡す。藁で分厚くくるまれた丸太から視線を外さず、冴は棒を宙で掴む。すぐさま、かつりと硬い響きが夏空に上った。筵を突き破った棒先は、丸太の中央を寸分違わずに突いている。冴は点空の声を待たず、二度、三度とくり返す。五度目の突きを放った時、棒が折れた。
「そう力むな。どこまで敵の体を貫くつもりなのだ。その剛力だと、柄の半ばあたりまでいくぞ。深く刺さりすぎて、槍が抜けんわ」
「どうすれば良い」
点空の狙いは当たった。冴がごく自然に口を開いた。
「一尺ほども貫けば十分だ。自分の重心が崩れぬ範囲で突いたら、後は引け」
その場で点空が突いてみせる。引く棒の風に、筵からの藁屑が吸い寄せられる。
「ほれ」
また冴に棒が投じられた。冴の次の一撃は、手本と同じように藁屑を引き寄せる。点空は「ほう」とこぼして目を見開き、冴は無心に突きを打ちこむ。いつの間にか僧たちが集まり、冴の稽古を見物していた。
「一度言っただけであれだ」
点空が誰にむけてとなく感心の声を漏らした。その間も、硬く高い音を丸太はたて続けた。巻いた藁の繊維を、刃のない棒が一瞬で断ち切っている。
「我々では、あんな音は出ません」
「足捌き、腕の運び、体の軸の回転。なにもかもが人とは思えん速さなのだ」
「凄まじい迫力です」
「冴に気圧されると、やられるぞ。あの悪い癖がなければ、儂もお陀仏だった」
僧たちは顔を見合わせ、首を捻った。癖、と呟き冴の動きに目を凝らすが、また首が傾く。
「突きの起こりが丸見えなのだ。今もほれ。肘を引く。腰が沈む。息を吸って詰める」
僧兵たちの目が、冴の腕、足腰、顔に留まって暫く。たしかに、との囁きが横へと広がった。
「気づかんのも無理はない。冴の勢いには目が眩むわい。技なんか蹴散らしよる」
冴が動くと風が吹く。浴びたものは身が竦み、斬られるのを待つばかりとなる風が。傍で見るだけでも、僧たちは殺気を肌で感じていた。ばきりと乾いた音が響き、風が止まった。
「爺さん、また折れてしまった」
「なんだ、その口の利き方は」「爺さんではない」「点空様と呼ばぬか」
居並ぶ僧たちから叱りが飛ぶも、呼ばれた本人が笑っているのだから始末がつかぬ。
「良い良い。たしかに儂は年寄りだ。冴用に頑丈な棒を作らんとな」
*
主不在の炭焼き小屋で伊助とみよは夜を過ごし、冴は星空を頭上に広げた。今日も陽は昇る。三人の旅が始まる。朝は魚。陽が高くなってからの食事は、山道沿いの茶屋で済ませる。
「お団子、美味しいね」
みよが左右の頬を膨らませ、目を細める。伊助も口いっぱいに団子を詰めているため、「うん」と頷きを返すだけだ。きれいに身をこそげ落とした竹串が、皿に積まれる。伊助が最後の一本をみよにむけると、冴が追加を注文した。
腹の皮が張れば、瞼が落ちる。しかも兄妹は歩き通しだ。伊助が舟を漕ぎ始めた時、みよはすでに眠りの渦に飲みこまれていた。短くなった髪を頬に流し、冴にもたれている。縁台に座って眠る幼子に気遣い、冴はみよの頭をそっと自分の太股にのせた。
山は深い。夏でも、木の葉をゆらす風は涼しい。みよは眠り続ける。規則正しい寝息と、葉のさざめきが静かに調和する。みよを起こさぬよう、冴は殺気を封じている。二人が食べきれなかった団子を噛み、茶をすする。
みよの頭のぬくもりを堪能していると、伊助が舟から降りた。三度ほど瞼を上下させ、冴に焦点を合わせる。なにかを言おうとする。冴はしいっと息だけで言い、人さし指で自らの唇を押さえてみせた。冴の耳にかろうじて届く声が、山の囁きを縫う。
「みよが楽しそうで良かった。前からよく笑ってくれるけど、どこか無理してて。本当にうれしそうに笑うのは、ひさしぶりに見た」
自分の無言が人に恐れを与えることを、冴は十分に知っていた。ましてや相手は子供。浅く頷き、口を開こうとする。が、その前に伊助が言葉を繋ぐ。よほどに言いたいことがあるのだろう。しかも他愛のない話ではない。妹の笑みで喜んでいた先ほどとは、頬の硬さが違う。
「俺、兵法者になりたいんだ」
伊助の告白に、冴は眉ひとつ動かさない。端的に問い返すだけだった。
「なってどうする」
「父ちゃんと母ちゃんの仇を討つ」
「相手が誰だか、知っているのか」
うう、と伊助は言葉に詰まった。村が戦場になり、武装した群れに父母は殺された。どこの誰が手に掛けたかはわからない。だが、伊助の胸中には抑えられない火があった。
「雑兵足軽なら、誰でもいい。あいつら全部が、俺には仇に見える」
村の生き残りは、伊助をとめた。年寄りは、「余計なことはするな。目をつけられるとまたやられる」と露骨に顔をしかめた。




