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第七話 巡合 参

 本堂前を若い僧たちが遠巻きに囲む。点空が槍を両手で握るやいなや、女が突きを見舞った。

 苛烈な攻撃は途切れることを知らず、点空は防戦のいっぽうだった。だが、本堂や人垣となった僧たちで退路を断たれはしなかった。老いた足の後退(あとずさ)った跡は、大きな円を描いていた。今も突きを受けるのと同時に、右踵を斜め後ろに引く。女の勢いを正面から受けずに横へ横へと流している。点空はまたひとつ、女の槍をかわし、感嘆の息を吐いた。

 なんという力と速さだ。人とは思えん。しかしまあ、粗削りなことよ。

 女が音をたてて息を吸う。人は息を継いでいる時は動くことができない。ここが勝機と点空は打って出ようとする。が、右から迫る殺気に素早くしゃがんだ。横殴りの槍が通り抜け、風が頭を撫でる。風は冷えた線を引き、胸の内も撫でた。

 危ない危ない。剥き出しの殺気に救われたの。隙はある。空振りで重心も崩す。だが、すぐさま立て直しおる。まるで踏みこめん。

 法天寺で槍を指南する点空ですら、受けるだけで精いっぱいという事実。だが、女の直線的な動きに目が慣れてきたのも事実だった。怒号を発し、大きく踏みこむ長い足に次の攻めを点空は読む。予想どおり、突きが空気の膜を貫いた。

 いやはや。技もへったくれもないの。生まれ持った才だけで、儂に手も足も出させぬのだから、技などいらんのかもしれん。こやつが技を修得したらどうなるのか。見たい。なんとしても刃を収めさせんと。

 が、刃は連なる。間合いを潰した大きな体が、独楽のようにまわった。薙ぎの穂が、点空の身を胸で切り離さんと走る。攻めの柄と受けの柄が、十の字に交差する。力を振り絞ったのだろう。女の咆哮が空気を割る。点空は自ら膝を伸ばした。女の力にのった老いた体は、水切りの石のように低く速く、地面と平行に飛ぶ。

 なんとまあ。まるで旋風だな。隙を狙っての反撃など無理な話。となると、あれか。少しでも狂えば、儂は死ぬ。この点空、一世一代の賭けに出るか。

 足裏を地に擦らせて着地する。すでに、女は目の前で点空の胸を狙っていた。風を巻く突きを受け流すことに加え、点空は伸びた槍に柄を絡めた。払い除けるのでもなく、正面から受けるのでもなく、女の槍をさらに先へと送り出すかのように、突き出す力の流れに従い引いた。横に張り出した刃が、女の槍に掛かっている。引き落とし。十文字槍ならではの技だった。

 右足の踵を軸に点空が回転する。女の剛力が、今は自身の重心を崩すために利用されている。高い背が均衡を失い、膝を地についた。引く力はまだ消えていない。女は長い手足を器用に曲げ、転がる。転がる勢いを殺さずに片膝を立て、起き上がろうとする。何故なのか。女の眉や目から険が失せていた。唇が丸くあく。驚きが素直に出た子供のような顔。

「参ったか」

 点空は女の鼻面に刃先を置いた。女の右手にはまだ槍がある。柄を握り、拳となった手を地に接している。点空は、女が少しでも手を動かせば突くつもりだった。譲らぬ気合いを、槍先にのせていた。

 こやつはそれがわからぬ腕前ではない。さすがに降参するだろう。

 と、踏んだ点空を仰天させる動きを女は取った。切っ先から顔をずらし前に出た。十文字槍の張り出した横刃に噛みついた。唇の両端が切れ、血が垂れる。点空は槍を引こうとしたが、生木に深く食いこんだ鉈のように動かない。 

 女が刃を噛み割った。すかさず立ちあがる。点空は跳ねるように二歩三歩と下がり、得物を手放した。からりと乾いた音が地で鳴る。

「降参じゃ、降参。もうやめよう。つかれたわい。お主の勝ちだ」

 寸鉄も帯びぬ両掌をふって見せる。しかも笑顔で。

 よくもまあ、この場面で笑うことができるものだ。点空、六十余年にわたる経験が生んだ心の機微は、伊達ではなかった。

「そう怖い目をするな。ほれ、女子(おなご)の顔に傷が増えるのは悪かろう。な、もうやめよう」

 笑い掛ける点空に女は足をとめた。手には槍がある。眉根を寄せ、唇の両端に舌先を当てて血を舐める。物騒な気配を漂わせるが、点空を突くことはなかった。

「儂らは野盗ではない。賊どもを追っ払いに来たんだ。ほれ、まわりの男たちを見てみろ。みんな丸禿であろう。儂らは僧侶、早い話が坊主だ。お主、法天寺を知っているか」

「知らん」 

「随分と素っ気ないの」

 殺気の薄れた女を、点空は仔細に見た。研ぎ上げたばかりの刃を連想させる、切れ長の目。吊り上がった眉が表情に険しさを上乗せする。両端から血を垂らした唇は、手負いの獣のようだ。順に送っていた視線が、ふと頬で止まった。大人にはないやわらかさを残している。老僧は、首から下へと目を移した。体の線が案外に細い。

 こやつ、ひょっとして。

「お主、年は幾つだ」

「十歳」

 僧兵たちから驚きの声があがった。

「なんと。そうだ、まだ訊いておらなんだ。お主、名前は」

「冴」

「なあ、さえよ。法天寺に来んか」

 *

 伊助とみよは社の中で。冴は外で星のまたたきを浴び、夜を終えた。昇る陽が山を黒く、空を白く染める。生まれたての朝を祝うかのように、風が木々の葉を静やかに撫でた。

 朽ちた小屋から、兄妹が歩み出る。みよは手の甲で目やにをこそげ落としている。目を擦っていた手が頭へと移り、髪の中で激しく爪を立てた。

 とうに起きていた冴はすでにひと仕事終えていた。まん丸に膨らんだ手拭いが足元にあった。

「みよ、朝飯の前に髪を洗おう。社の裏手を少しのぼれば、湧き水があるはずだ」

 寝ぼけ眼のみよが転ばぬよう、後ろで細い背中を支えていた伊助が声を高くした。

「え、そうなの。俺たち、もっと下ったところで水を飲んでたけど」

 伊助は、とあることに気づき、小首を傾げた。

「あれ、あるはずってどういうこと。冴は湧き水を見つけたんじゃないの」

「いや、まだ見には行っていない」

「じゃあ、どうしてわかるの」

「水が私を呼ぶんだ」

 自分の頭の上で行き来する話の隙間に、みよが笑顔で入りこむ。

「姉たん、すごいね。水に呼ばれるなんて。龍神様の遣いみたい」

 冴の先導で兄妹は山の傾斜をのぼる。みよの手を引きながら、伊助は前を行く長身に意識を注いだ。脛までしぼった細身の袴が、足の長さを際立たせる。腕も長い。褪せた緑と土色の衣服は、冴を森に溶けこませる。獣道ですらない木と木の間を、滞りを見せずに風のように進む。背中が縦にも横にもゆれない。ふと、ゆれない背中が止まった。半身で振り返る。

「みよにはきつかったな。抱えてやろう」

 腰をかがめて冴が近寄り、手を差し出す。

「ううん。がんばる。あとちょっとなんでしょ」

 にっと唇を横に伸ばし、みよは足を前に進めた。

 たどり着いたのは、十歩ほどでひと回りできるちんまりとした泉だった。

「姉たんの言ったとおりだ。あったね」

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