第七話 巡合 弐
冴は、垢にまみれたふたつの顔を見詰める。よく似た兄妹だった。頬はこけ、顎は尖り気味だが低い鼻と黒味の勝った瞳は、荒んだ日々からかろうじて愛嬌を奪われずに済んでいた。
追い剥ぎにあった時から、冴はとある決断を下していた。礼を欠いたとの自覚があり、足を遠ざけていたあの場所に頼らざるを得ない、と。
「みよ、四日ほど歩けるか」
「歩けば死なないの」
切実な返しだった。冴の首が、うむと縦にふられる。途端にみよの頬が晴れた。
「どこに行くの」
心配よりも、期待を滲ませた声音へと変わっていた。
「寺だ。私が子供のころ、世話になった」
「姉たんにも子供のころがあったんだ」
冴の跳ねた目じりが、やんわりとさがった。
「そりゃあ、あるだろう。それより、みよ。さっきは冴と呼んだのに、また『姉たん』なのか」
うん、と笑顔が光る。
「冴よりも、姉たんって感じなの」
そうか、とひと言残し、冴は顔を伏せた。髪が垂れ、忍んで笑う拍子に合わせてゆれる。
「好きに呼んでくれ。さあ、お前たちはもう寝ろ」
話が一段落ついた時、すでに夜の帳は旅路への視界を覆っていた。
明朝の出発を言い渡し、冴は二人を社に入れた。自身は木の幹に背を当て、立てた片膝に額を置く。剣は地面に転がす。鍔の下に石を噛ませ、柄を少し高くうかせていた。事があった際、すぐさま手に取るための用意だった。
金目の物とは縁遠い子供二人を、野盗が襲うとは思えない。しかし、殺すことだけを目的に人を狙う者もいる。冴が十歳の時、そうだったように。
*
剃髪を為された頭がおよそ三十。川原の石の如く寄り集まったすべてが、微動だにしない。墨染の僧衣に、裾をすぼめた括り袴。手に手に九尺の槍を持っている。穂の形が独特である。初夏の朝日をはじき返すのは、十の字に交わる刃。この十文字槍は、法天寺の僧兵だけが使いこなせる代物だった。
「賊どもが荒れ寺に巣を作ったと聞いたから来てみれば……」
ひと目見た時、僧たちはごうと強い風を浴びたかと錯覚した。それは殺戮の風。山門の内側では、血の嵐が吹き荒れていた。
体から離れた野盗の頭が、点々と散らばっている。鈴なりとなったが誰にも求められず、虚しく地に落ちた熟柿のように。
鼬と鼠の戦いだった。ひとり暴れる大がらな若者と、ただただ斬られる卑小な男たち。いや、斬られる野武士たちの体つきは小さくはない。動くたびに命を奪う若き猛者が、並外れて大きいのだ。手足が長い。開けた大口から雷のような怒号が放たれる。顔が返り血で赤いため、歯がやけに白く目立つ。肩で断ち切った短い垂れ髪の躍る様は、羽を広げた猛禽を思わせた。
「ひいふうみいよう」
立ち尽くす僧兵の壁が割れた。人さし指で宙を小刻みに叩きながら、小がらな年寄りが前に出る。見る人に猿を思わせる風貌だ。長く白く伸びた眉が、瞼を隠すように垂れていた。老僧の手にも十文字槍。
「点空様」
「二十三。たったひとりでこれだけ斬るとは。すごいのお。お主らにできるか」
点空と呼ばれた老僧の問い掛けに、ひしめく坊主頭が横にふられる。点空は黙って頷き、野武士の惨殺へと目を戻す。転がる岩が当たる物をすべて砕き、押し潰すような剣だった。鉞を大木に打ちこむ木こりにも見える。
「もう刃こぼれで斬れんだろうに。それでも、ほれ」
猛者が刀を右腕一本で横にふり、首を刎ねた。頭がそこに落ちるとわかっていたかのように、地に触れると同時に素足で踏み砕く。
「惨い」「人じゃない」「鬼だ」
一騎当千と評される法天寺の僧兵たちが、顔をしかめた。
「力任せに振り回す。剣の術理も理合いもあったもんじゃない。そのくせ、刃筋だけはしっかりと立てておる。斬れぬ刀でも、力と速さで叩き切る。人の為せる業ではない」
点空の呆れと感嘆の混じった声は続いた。
「儂が見るに、あの者は女だぞ」
ええ、と黒い僧衣の間からどよめきが湧く。
「上衣は焦げ茶、袴は黒とすっかり色が変わっておるが、あれは巫女装束ではないかの」
点空の見立てどおりだった。元は白衣に緋袴。それが焦げ茶と黒になったのは、分厚く重なり乾いた血のせいだった。
最後のひとりとなった野武士が、山門目掛けて走り始めた。ひげにまみれた頬が涙で濡れている。僧兵たちに助けを求めているのか、いないのか。たしかめる術はすでにない。血まみれの巫女の投げた剣が、野武士の体を貫き通していた。胸から突き出た刀身は二尺ほどもあった。刃がこぼれ、曲がり、血で汚れていても、朝の陽を浴び場違いなきらめきを放っている。
「野盗の一味か」
低いが、濁りのない声だった。
点空は歩み来る女を、視界の隅に留めおいた。二十幾人もの野武士が、何故たったひとりに命を奪われたのかわかったのだ。女の目は人を金縛りにする。
目じりが鋭く跳ね、刀の切っ先を思わせる。眼光に射竦められた者は斬られ、腰を抜かした者も斬られ、恐怖に体を痺れさせながらも逃げをうった者も屠られる。先ほどのように、投じた剣で刺し貫かれ。
「寄るな」
僧がひとり、槍を構えた。女へと刃をむける。男の太く黒い眉には過分な力が入っていた。
「よさんか。槍を引け」
点空の制止が終わらぬうちに、女は槍を分捕っていた。すかさず無手の僧を突く。
「無茶をするな」
女の突きに自らの槍を合わせ、穂先の軌道を点空がずらした。新たな死人が出ずに済む。
金縛りに落ちぬよう、点空は肚に気を溜めた。首を反らせ、無茶な女の目を見据える。向かい合うと、二人は大人と子供ほども体つきが違った。
「儂が相手になる。爺だがこの中で一番強いぞ。ほれ、もそっと広い場所でな」
槍先を本堂前にむけ、若い僧たちに嗄れ声を張った。
「野盗どもの死体をどけてくれ」
僧兵は野武士の屍を引き摺り、散らばった手足を薪のように重ねて運ぶ。点空は頭を蹴り飛ばしている。意外なことに、女も片づけに力を貸していた。首の失せた胴体を片手で無造作に抛り投げる。度を超えた剛力に、点空は目を見張った。




