第一話 化け物退治 参
「何故、木こりとわかるのですか」
「太い胴に盛り上がった肩。掌は白くなるほど皮が厚くなっております」
与助は両手を広げ、目を遣った。指の節は太く、掌は店主の言うように白く色を変えている。この手でおゆうを抱きしめることは、もうないのだろうか。
俯く与助に、店主は声を続けた。
「なにかわかれば、お伝えしたい。名をなんとおっしゃる」
「与助といいます」
「これから家にお帰りで」
「村に帰っている暇はありません。鎮守の森で寝泊まりしています」
もうすぐ陽が暮れる。あと二日しかない。
翌日の日の入りまでを、与助は棒にふった。明日一日しか残されていない。
ここまでさがしても駄目なのか。酒を飲んで気をまぎらわせようか。
捨鉢な思いを起こしたが、頭を鋭くふった。今、こうしている間も、おゆうは冴を連れて戻るのを待っているのだ。
おそまきながら、盗賊や追い剥ぎのほうが冴に詳しいのではないかと考え至り、与助は暗闇となった街道を行き来した。すれ違う者はひとりもいない。
如何にも貧しげな木こりには、賊も興味を示さないようだ。夜道で襲われることもなく、与助はいつの間にか通りの端に倒れ、突っ伏したまま気を失った。
与助の意識が戻ったのは、手首を掴まれたためだ。野盗かと思い、腕をふり硬い指から逃れた。素早く身を起こし、膝を立てる。すでにまわりに闇はなく、薄明るい。
「よく使いこまれた手だな」
与助の手首をとった者から、低い声が伝わる。濁りや野太さはない。褪せた緑と朽ち葉の色が斑を描く、見慣れぬ模様の衣服を身に着けていた。朝日を背にしているため、顔は影になってよく見えない。片膝をつき、与助へと視線を送っていることが気配でわかった。
「鎮守の森がもぬけの殻で手間取った」
意味がよくわからず、与助が首を傾げている間に、影は立ち上がった。頭や肩を一切ゆらさず、真っ直ぐに天へとのぼるような動きだった。
与助は膝を折ったまま、影を見上げる。これまで目にした人の中で、この影よりも上背のある者を与助は知らない。頭が小ぶりなぶん、さらに背が高く見える。その高い背をはるかに超える、長い棒のような物を携えていた。腰には剣を差している。
が、女のようだ。野袴の脛をしぼった脚絆と腕に張り付く筒袖に、男にはないしなやかさが見て取れた。
もしや、と頭の中で閃く稲光に合わせ、問いが降りかかった。
「与助とは、お前か」
背中に、寒気の筋が走る声だった。ふるえに任せ、与助は首を幾度も縦にふった。
「冴だ」
名乗られた途端、与助は全身が痺れ、息が胸の底で止まった。
雲が動き、陽がかげる。冴の顔が与助の目に像を結ぶ。
やはり、女だ。年は自分と幾らも変わらないように思える。短く断ち切られた髪は、束ねられることもなく、毛先が肩に触れていた。
数日の間さがし求めたためか、見入ってしまう。引き締まった頬に鋭く上がった眉。切れ長の目は、見ようによっては美しいのだろう。だが、瞳に宿る冷えた影が、恐れ以外を与助に抱かせなかった。
「話を聞こう」
冴の圧力は、なにかを隠す余裕などまるで与えない。与助はすべてを話した。
年に一度、村の娘が大狒狒の生け贄になること。山の中の祀り場のこと。領主親子が名を売りたいがために、大狒狒を退治しようとしたこと。そして失敗したこと。自分の妻が人質となり、冴を連れて戻らなければ殺されるということも。
与助の声が絶えても、冴は無言だ。腕を組み、動きをとめている。伏せた目からは、ひと筋の感情も見て取れない。
「どうか、庄兵衛様に会ってください」
踏み固められた街道に額を押しつけ、返事を待つ。朝の風が、二人の間に流れた。木々の梢がささやかに鳴る。
沈黙は冴が破った。与助のまったく思いもしない言葉が放たれた。
「私は金を受け取り、頼みごとをこなす。なにをするにも、見返りを求める。お前の頼みごとを受ける見返りはなんだ」
「庄兵衛様が、あなた様に金を払います」
「それは、大狒狒を始末する金だ。お前の頼みごとは、私が庄兵衛を訪れることではないのか」
まさかそこにも金がいるとは。与助は、なにも言葉を返せない。
「私に言うことをきかせたいのなら、金を積め」
「おれには……、金がない」
「だろうな。どう見ても、貧しい木こりだ」
「おゆうの、妻の命が懸かっているんです」
「お前の事情など知らぬ。私は金だけで動く」
唐突に、庄兵衛の人を見下す顔がうかんだ。伝一が、出世すると山中でうそぶいた顔も。胸の底で熱が膨れ上がった。おゆうが、浅く眉を寄せ真っ直ぐに見詰めてくる。時が経つほど、眉は深くゆがみ、目の内に翳りが増してゆく。知らないうちに、熱が唇を割っていた。
「貧乏人は、死ねと言うんですか。なにもできずに死ぬしかないんですか。がめつすぎやしませんか」
ふうふうと、与助の歯と歯の間を熱い息が幾度か通り抜け、急に止まった。
「申し訳ございません。どうか……、どうか庄兵衛様に会ってください」
泣いていた。与助は涙にむせびながら、お願いします、お願いしますと地面にへばりついた。
「与助」
冴の声には、色がなかった。
「私は、身を切るほどの痛みに、大金と同じ価値があると考えている」
冴の片頬が、かすかに上がる。
「私の言うことをきくのなら、庄兵衛の前に行ってやろう」
「なんですか。なんでもききます」
「私が大狒狒を射抜いたらすぐさま、山をおりて村を去れ」
「おゆうは」
「置いていけ」
「そんな……」
「これをのまなければ、私は庄兵衛の前に出ない」
冴は強く言い、唇を真一文字に結んだ。それは、土蔵の分厚い扉が勢いよく閉じられたような拒絶で、心の通じる余地がまったくないことを与助は悟った。
おゆうには、なにがあっても生きて欲しい。冴を庄兵衛様の前に連れ出せなければ、おゆうは死ぬ。
「わ……わかりました。約束……します」
与助はよろめきながら腰を上げ、庄兵衛の屋敷へとむかった。冴は与助のあとに続く。頭も肩もまったくゆらさず滑るように進み、朝の空気をゆっくりと裂いた。
屋敷では、冴と庄兵衛、伝一が向かい合っていた。親子は上座に収まり、冴は右膝を立て床に尻を据えている。刀が、寝かせた側の膝のすぐ横にあった。長弓と矢筒は、部屋の隅に立て掛けられている。こんなものを人が引けるのか、と目を疑う厚みを弓は持っていた。
密談にもかかわらず、障子や襖が開かれている。冴が襲いかかった時、領主親子が少しでも早く逃げ出すための準備だった。家来は遠ざけ、与助だけが庭に置かれた。万が一の際は親子の盾になれ、と命じられていた。両膝を地につけて背を起こし、冴の動きに目を凝らす。
「話は聞いておるな。礼はこれだ」
濃い紫に染められた巾着を、庄兵衛が床に置いた。梨の実ほどの大きさだ。
「中はすべて小判だ。ありがたく受け取るが良い」
「足りんな」




