第一話 化け物退治 弐
おお、と住職の口から意味ありげな音が漏れた。自分の額を見るかのように瞳を上げる。
「この世のものとは思えん矢は放つ用心棒がいる、と聞いたことがある」
「それです。どこに行けば会えるか、知っていますか」
与助は知らずのうちに、僧衣の袖を掴んでいた。
「いやあ。こんな村では誰も知らんだろう。商いをする者なら、ひょっとすると」
翌日は朝早くから町におりた。すると、毛皮屋、薬草屋といった小商いの者まで、冴の名を知っていた。ただ、知っているだけで、庄兵衛や和尚から聞かされた以上の話はない。
めし屋で店主に尋ねていた時のことだ。隅で酒を飲む大がらな男が、与助を手招きした。衿が乱れ、黒々とひげを生やしている。斜めに背負った長大な刀が、与助の足を竦ませた。
「見たところ、お前は真っ当な生業に就く者のようだが、何故冴をさがす」
庄兵衛からの言いつけとも明かせず口籠っていると、男は与助の肩を軽く打った。与助を呼びつけた時からは想像もできない、やけに人懐こい笑みをうかべていた。
「まあ良い。商人でもない男が冴をさがすのだ。口にできん理由があるのだろう。わしはな、先ほど大店の用心棒に雇われると決まり、機嫌が良い。わしの知っていることを教えてやる」
男の話は、冴の仕事ぶり関するものだった。
冴は、高価な商品を陸路で運ぶ商人から雇われる。ただ、荷車にはつき従わず、見えないところで護衛に当たる。
これは用心棒の世界では、非常のことだと男は言った。賊がひと目で、容易には荷を奪えないと思わせる役目が用心棒にはある。そのため、用心棒は目立つ身なりをし、己の力量以上に強そうに見せるのが常である。
今、与助の目の前で楽しげに語る男の風貌が、おそらくはこの男の本質とは異なり、恐ろしげなことに納得のいく話だった。
しかし、冴は姿を隠してしまうのだ。荷主は、「冴」と大書きされた幟を立てさえすれば、賊に襲われない。
自身の死など歯牙にも掛けぬ賊たちが、冴の矢には恐怖する。腕、脚、首がちぎれとび、胴体を射られれば、矢は完全に突き抜け、はらわたを撒き散らす。鎧を着けていても、役に立たない。
百発百中の神業は、どれほどに逃げても追ってくる。背中を貫き、頭を吹き飛ばす。破壊された死体は、野盗ですら目を覆うのだった。
「滅法高い報酬がいるそうだ。わしは酒代を稼ぐのが精いっぱいだがの」
がははと喉の奥を見せて笑い、男は猪口の酒をあおった。
「冴を見たことがありますか」
「ない。物騒な噂が耳に入るだけだ」
別れ際、大きな店を当たるようにと忠告され、与助は出入りのある材木屋へと足を運んだ。
「ううん……」
馴染みの番頭だったため、気やすく教えてもらえると踏んでいたぶん、しかめっ面でにらまれたのは、大きな落胆だった。
「冴について、なにか知っていますか」
それでも与助は声をしぼり出した。
「その前に、だ。お前は真面目で、荒れた世界とは無縁と思っておったが、何故やつをさがす」
めし屋で気前よく話してくれた男と、同じことを番頭も問うた。
すべてを明かしても、この番頭なら自分に悪いようにはしないと思いながらも、与助は口をつぐんだ。だんまりを決めこんでいれば、先ほどの男のように番頭もいろいろと話してくれるのではないか、と期待の線をつないだ。が、あっさりと断ち切られた。
「人には言えない理由でやつをさがしているとなると、お前のことを避ける者が増えるぞ。悪いことは言わん。二度とやつの名前を出すな。今日の問い掛けは忘れてやる」
言ったきり顔を伏せ、いそがしげに帳面をめくり始めた。店を出た与助が通りの角を曲がるのを陰から見届け、番頭は鼻の右脇を引き上げた。
「一介の木こりが、殺しの稼業になんの用があるというのだ」
与助は、朝からなにも食べずに夜を迎えた。これまでの働きで、冴と自分とでは生きている世界がまったく違う、と身に沁みた。ごく普通に日々を過ごすぶんには、決して直に接することのない人物なのだ。冴の影は見える。しかし、影をとらえることは雲を掴むようなもので、一切の手ごたえがない。明日もまた、町で冴の噂を求めるつもりだった。夏の陽に刺され、土埃と汗にまみれて。
村に帰る力と時が惜しい。与助は、町の外れに緑を盛る、鎮守の森を訪れた。鳥居をくぐり、本殿の軒下で体を横たえる。
あと四日で、冴を庄兵衛の前に連れ出さねばならない。だが翌日、その貴重な時を丸一日、無駄に費やした。鎮守の森に戻り体を休めようにも、浅い眠りにしかならない。おゆうの顔が胸を責め、息苦しさで瞼があく。
まだ薄暗いうちから隣村へと通じる峠に身を移したのは、他領にも行き来している商人に問えば、手掛かりを得られるのではないか、と思案した結果だった。
二日間、なにも食べていない。空腹で目をまわしながら、道ゆく人を呼びとめる。尋ねても尋ねても、与助の願いは空に散る。そのうち、立っていることも困難になった。
通りに掲げられた「だんご」の幟に誘われ、長い坂の中ほどに縁台をならべた茶屋に入った。二人前の団子をゆっくりと噛む。舌や頬の内側に沁みる甘みに目を閉じた。湯気のように意識が薄れる。
気がつけば、与助は泥田にはまりこんでいた。見る先では、縄を掛けられたおゆうが連れ去られていく。
「待て」
脛を泥から抜き前に出ようとするが、軸足が沈むばかり。もがけばもがくほど、与助は泥にとらわれる。おゆうは引き摺られながら眉を八の字に寄せ、与助へと白く美しい顔をむける。
「おゆう」
妻には手が届かず、自らは泥に呑まれていく。
「おゆう」
叫んだ口にぬるく濁った水が流れこんだ。
頭を強くふった拍子に、体が大きく縁台の上で滑り目が覚めた。
「おつかれのようですね」
店主の白く伸びた眉の下には、黒の眼帯があった。湯呑を与助の横に置く。
「目覚めの水は旨いものです。どうぞ」
ふちまで注がれた水の面に、おゆうの顔がういた。与助の目に、涙の膜が張る。人前で泣くわけにはいかない。気をまぎらわせようと、湯呑を唇に当てた。味などわからぬ心持ちのはずが、与助はかすかな甘みを探り当てた。
「龍神様からの恵みの水です。いかがですかな」
隻眼に似合わぬ柔和な笑みが、与助の口から声を引き出した。
「夢に出るほど、気になることがあるのです」
「おゆうさん、のことですかな。寝言にしては、はっきりと」
だから知っているのです、とでも言うように、年寄りはゆっくりと頷いた。
「弓を使う用心棒をさがしています。名は冴です。なにか知っていますか」
「さあ、手前のような年寄りにはさっぱり。どうしてまた、茶屋で居眠りするほど懸命にさがされるので」
「いきさつを語るわけには、いかないのです」
頭をさげ、妻が人質に取られています、とだけ小さく告げた。
「あなた様は、木こりか石工といったところですか」




