第四話 風雲児 四
左兵衛は腰蓑ひとつで山を歩き、幾つもの村を横目に通り過ぎた。途中、りうがひとけの失せた炭焼き小屋から、古びた作務衣を失敬した。秋の山は寒い。夜ともなれば尚更。歩くうちに汗も冷え、左兵衛は体の芯から湧くふるえをとめることができなかった。掌で二の腕をさすりながら歩くせいか、先を行くりうとの距離が開きがちになる。
足元のほとんど見えない山道なのに、白衣に包まれたりうの背中は滑るように進む。つと、緋袴のこすれる音が止まった。
「どうした。つかれたのか」
りうがふり返る。茂る葉を通した月明かりが、暗い木々の合い間にりうの顔を白くうかす。
「もう歩けない」
「そうか。では、木の陰でひと眠りするか。追っ手もないようだし」
木の幹を背にならんで腰をおろす。左兵衛は歯の根が合わず、寝つくことはできなかった。
「寒いのか」
ふっと水辺の匂いが左兵衛の鼻先を掻いたかと思うと、細い腕が首に巻きついた。りうの体が熱い。夏の日差しに焼かれた河原の石を思わせるほどだ。
おりう、とこぼした声はひどく掠れていた。体の芯に刺さった緊張とつかれと、寒さの棘が溶けてゆく。若い娘と抱き合っているにもかかわらず、左兵衛は転げるように眠りの谷へと落ちた。
だが、左兵衛は谷底からすぐに引き上げられる。なにが、と思う間もなく強い力で地面に転がされた。ひと目では数えきれないほどの足の影に囲まれている。
村からの追っ手かと思い見上げたところ、知らない男ばかりだ。ざっと目に入るだけで三十はいる。村人にとらえられたほうが、はるかにましだと思える事態におちいっていた。
左兵衛たちをみつけ出したのは、野盗の集団だった。戦があれば武将に兵として雇われ、戦場で暴れることを生業とするごろつきたち。
「女はもらう。さからえば殺す」
りうの首に左腕を巻きつけた男は、抜き身の刀をさげている。りうの顔に怯えはない。左兵衛にむける切れ長の目は、この先どうするつもりかと問うているように見えた。
これまでの左兵衛であれば、ならず者に盾突くなど考えられなかった。しかし今は、りうと抱き合ったことで龍神の精が爪の先まで満ちている。
左兵衛が無言で膝を立てると、男は刀の切っ先を上げた。
「女を渡せば、命まではとら」
左兵衛はごろつきの鼻っ柱に拳を叩きこみ、最後まで喋らせなかった。小さな村で朽ち果てるよりなかった定めを、自ら砕いた瞬間だった。
「どうだ、泰勝は喜んでおったか」
りうの笑顔に耐え切れず、左兵衛は額を伏せた。差し出した杯は、酒で満たされている。
「これ。おれの主を呼び捨てにするな」
左兵衛は大袈裟に眉を寄せて見せ、すぐに笑みを作り杯を干した。
村でこき使われていた男は、今や戦国武将召し抱えの武士であった。濃紺の小袖を肩の肉が押し上げ、首は太くたくましい。
「私には主人も家来もない。人は人。皆同じだ」
皆同じ、と言いながらも、左兵衛を見るりうの目は格別にやわらかい。戦に明け暮れる夫が久方ぶりに帰宅し、気を弾ませている。
夜の山で荒くれを殴り倒したのが、ちょうど一年前。その場で、野盗集団のかしらに腕っぷしの強さを買われ、一味に加わるよう誘われた。戦場で命をやり取りする覚悟など、そのころの左兵衛にはない。断ろうとしたが、一度やってみれば、と後押ししたのはりうだった。
「して、龍田左兵衛殿は、また手がらを立てたのか」
野盗にまぎれ出陣した左兵衛は、鬼神のような強さを発揮し、武将泰勝の目に留まった。烏合の衆から引き抜かれ、正式な家来となった際、龍神にあやかり「龍田」と名乗った。白壁に囲まれた屋敷を与えられ、左兵衛自らが考案した「笹龍胆に流水」の紋を胴に記すことも許されている。
「よくぞ聞いてくれた。兜首が五つと大漁だったぞ。戦の勝ちは、おれが決めたようなものだ」
胸を張り、左兵衛は杯を突き出す。りうは酒を注ぎはするも、眉はさがり気味だ。
「私は、食べるために殺す魚を思いやり、手を合わせていた左兵衛のほうが好きだ」
「やめろ、昔の話は」
勢いよく杯をあけた。苦みが口と胸の内に広がる。舌打ちの隙を突き、苦みが声となって漏れ出した。
「源蔵。権一。いつか殺す」
りうが鼻で長く息を吐いた。
「驕り高ぶる者は、遠からず地に落ちる。放っておけばよい」
消えぬ傷を説教くさい言葉で片づけるりうに、左兵衛の息は荒れた。膳に杯を強く置く。
「おれが出世するのを、何故喜ばん」
「もっと家にいて欲しいのだ。戦にはもう行かんでくれ」
「おれは戦になど出たくなかった。尻を叩き、けしかけたのはおりうだぞ」
「左兵衛に自信がつけばと思い、言うただけだ。もう自分が強いことは十分にわかっただろう。私は炭でも焼いて静かに暮らしたい」
「なにをしみったれた。折角乱世に生まれ落ちたのだ。おれは名を上げ、一国一城の主となる」
「領地も城もいらん。どこぞの滝のほとりに小屋を建てて三人で時をすごしたい」
小さな幸せを望むりうの声はうとましかった。しかし、気になるひと言があった。
「三人とはなんだ」
「ややこが私の腹におる」
りうは切れ長の目を和やかに細めて笑う。
「おお、でかした」
……あの話、どうする。
歓喜と懊悩が、左兵衛の頭にならびたった。
「来年の今ごろ、おれはわが子の顔を拝めるのか」
りうは笑みを消し、ゆるく首を横にふる。左兵衛は喜びに水を差すなにかがあると直感した。どうした、と手短に問うた。
「春を三回ほど待たねば、子は出てこん」
「何故そんなに先なのだ」
「私が龍神だからだ」
「厄介なものだな」
深い溜め息に肩をしぼませると、りうに手を握られた。
「そう言うてくれるな。人の測れぬ長き世を、私たち龍神は生きておる」
自分が及ばぬ理を語られ、左兵衛は顔を横へとむけた。熱を持ったりうの手が煩わしい。
子がすぐに産まれぬのなら。
眉を寄せ、瞼の裏に書かれた答えを読むように、左兵衛は目を閉じた。
りうの正体を知らぬ泰勝は、一介の村娘を妻とするより、主家の血を引いた女がよかろうと側室の娘を娶るよう左兵衛に勧めていた。主人の思いとこの機会を左兵衛は流したくない。
左兵衛は片側の頬だけを上げ、ねじれた笑みをうかべた。
りうは捨てる。
言葉にした刹那、体の奥から四方八方に光が飛んだ。なにもかもが思いどおりに運ぶと感じた。
「おりうよ。次の戦は長くなる。暫く家を空けるが体を大切にしてくれ」
でまかせを残し、左兵衛は去った。




