第四話 風雲児 参
打ちこまれるたびに、左兵衛は体の奥に力が湧くのを感じた。力の質は、明るい。
「そろそろやめよう。また明日な」
棒を左兵衛に渡すと、りうが宙にういた。見えない糸で、天から引き上げられたかのようだ。白衣と袴にたっぷりと空気をとりこみ、滝へとむかう。なびく黒髪に朝の陽が跳ね、光の帯になる。左兵衛は天を舞う龍を思いうかべた。熱をこめて見送るうちに、りうは滝つぼの中に溶けて消えた。
朝の陽はすでに高い。左兵衛は慌てて滝つぼの水を桶に汲み、天秤棒の両端に掛ける。数歩足を進めて首を傾げた。天秤棒が軽い。いつもであれば、棒は肩に食いこみ、腰骨のきしむ思いをする。しかし今朝は一本、鋼が通ったかのように背筋が伸びている。
龍神と人とでは、持って生まれた力が違う。天より舞いおりた龍と、地に足をついて生きる人とでは、まさに天と地ほど力の差がある。りうと言葉を交わし、ともに稽古をすることで、左兵衛の身には龍神の精が注ぎこまれていた。
大剣の舞いまでの五日で、りうの打ちこみの三つにひとつが空を切るようになった。棒を追いかけた風が頬に当たると、左兵衛は胆が縮むよりも、涼やかさに笑みがうかぶのだった。
大剣の舞いの準備に、村は朝から動いた。稲を刈り終えた田の中央に、村人総出で舞台を作る。膝ほどの高さに組んだ土台の上におよそ三間四方、板を隙間なくならべる。舞台の四隅には、背丈をはるかに超える竹が葉を茂らせたままで据えられた。竹と竹の間に紙垂をさげた縄を張る。紙垂は風に吹かれ、頭の上でゆれている。舞台のまわりでは稲木に分厚く掛けられ黄金色の実りが、今年の豊作を示していた。
左兵衛も舞台作りに精を出した。夕刻前にここで起こることを、何度頭にめぐらせただろうか。権一の刀をかわし続けたら、どうなるのか。権一がつかれ果てて終わりになるのか、押さえつけられ、腕を差し出す羽目になるのか。まずなにより、刃を上手くよけられるのか。頬を撫でた風が、左兵衛を前にむかせていた。
舞台はできあがり、大鍋で芋汁が煮られた。甘粥と餅もふるまわれる。いつもであれば、集まった村人から華やいだ声が出る。今日は静かだ。惨劇を見届ける重い覚悟が、人々の間に張りめぐらされていた。
源蔵屋敷の庭で左兵衛は黒鬼に化けた。足の先から髪の生え際まで、炭をなすりつける。真っ黒な顔に目と歯が白く光る。伸び放題の髪をほどき、腰まわりを蓑で覆った。
権一は白衣に紺の袴。後ろでまとめた髪には白い紙をきつく巻きつけ、天へと高く髷を立たせている。いつもにも増して派手な茶筅髷だ。
「うむ。権一よ、立派だ。後はこいつの血で、華々しく門出を祝うだけだの」
源蔵は片側の頬をいびつに曲げて笑い、左兵衛へと顎をふった。
「右兵衛に腕の切られ方をきいておけ」
二度と左兵衛には目をむけず、親子は庭をあとにした。これから、源蔵は舞台の上で権一の晴れ姿を披露し、村人相手に長々と訓示を垂れる。
庭に残ったのは左兵衛と右兵衛だけだ。色の悪い顔が左兵衛へと近づいた。
「何度か斬り合いの真似をするんだ」
欠けた歯の間から息が漏れるため、右兵衛の声は聞きづらい。
「知らせがあったら、こうやって竹光を床に立てろ」
右兵衛は腕を広げ、手にした棒の先で地面を突いた。真横に伸ばした腕は案山子のようだ。
「ちっと痛い思いをしただけで、権一様が一生面倒をみてくれる。ありがてえことだ」
ししし、と右兵衛が笑う。やせてしおれた体。人前で殴られる生活。肘から先のない左腕。
権一に腕を切らせなければどうなるのか。
舞台を作っている間は、不安ばかりが胸を占めていた。だが今は違う。右兵衛のようにはなりたくない。なにがありがたいものか。
左兵衛は奥歯を強く噛みしめ、顔を小刻みにふるわせた。
太鼓の合図で大剣の舞いは始まり、左兵衛と権一はすでに三度の攻防を終えた。左兵衛には、真剣を構える権一がやけに小さく見えた。権一の姿が視界の端に入るだけで怯えが走り、身を硬くし、殴られる痛みに備えたこれまでが、薄く軽い過去に変わっていた。権一は白刃を手に目を吊り上げている。だが、まるで恐くない。
権一のやることなすこと、剣のふり始めから終わりまでが丸見えだった。止血のため、舞台下に集められた大量の蓬、縄とさらし、湯を溜めた桶を見る余裕まである。
太鼓がひとつ、強く大きく鳴った。攻守が入れ替わる。左兵衛は権一に切りこむ真似ごとをする。りうであれば楽に捌く打ちこみを、権一は棒立ちで受けてしまう。本当に打つわけにもいかぬため、左兵衛は真似ごとに重ね、さらに手加減をする。
左兵衛の動きに一拍も二拍もおくれる権一は、手心を加えられている事実に気づいた様子はない。額から汗を垂らし、左兵衛のあやつる長大な竹光から必死で逃れている。
太鼓の厚く重い音が、幾度も空気をふるわせた。どどどと連なる太鼓は、腕を切る合図だ。
「おああああ……」
権一が大口をあけて気合いを入れた。肩に余分な力が入り、これから起こることへの緊張がありありとうかがえた。
りうとの稽古は腕を切らせないためだった。だがここはひとまず、段取りに従う。左腕を大きく横に広げ、竹光の先で床を突いた。柄に巻いた指に力を入れる。
おう、おう、と声を張るだけで権一は前に出ない。顔は色が落ち、真っ白だ。
左兵衛は鼻でゆっくりと息を吸い、吐いた。腰抜けの輪郭がくっきりと見える。
十ほども深い呼吸を済ませたころ、悲鳴にも似た奇声があがった。権一が動いた。肩にかつぐように剣をふり上げ、足裏で床を雑に踏みつける。腕を動かす前から、刀がどのような線を描き自分の身に到達するのかが見えた。線のとおりに刀がおりてくる。
刃が腕に触れる寸前、左兵衛は身を捻った。当たると信じた打ちこみが空を切り、権一の体は釣り合いを崩す。よろけて行く先を見失った剣が、攻め手自らの膝に食いこんだ。
足をかかえ泣く権一。膝頭を押さえた指の間から、血がこぼれ落ちる。背中を丸め、情けのない声を出していても、紙できつく束ねた髷は威勢よく天を目指し立ちあがっている。髷は細かく左右にゆれていた。猫をじゃらして遊ぶ玩具のように。
左兵衛は、ふるえる玩具に目の焦点を合わせる。手が動いた。長い竹光の先が、空気を裂いて高く鳴く。権一の髷が切り飛ばされた。髪がばらけ、泣き顔を覆う。
怒声があがった。大口をあけた源蔵が舞台に足を掛けるのを目にし、左兵衛の爆ぜた心は急激にしぼんだ。後先考えずに舞台から飛びおりた。村人の壁が割れる。山に分け入り、歩いてでもきつい岨道を駆けた。息がまるで乱れない。
炭をこすりつけた真っ黒な体は、左兵衛が大がらであることも相まってまさに黒鬼だった。大汗をかいた黒鬼に、りうは笑った。あははははは。滝の音にも負けない大きな声で。
「よかったな」
笑みを残した顔の横で、りうは左右の手をふってみせた。
「ちゃんと両方ある」
「いや、えらいことをしてしまった。どんなお叱りを受けるやら。逃げたせいで余計に怒られる」
「ならば、もっと逃げればよい」
「村の中で逃げ切れるもんか」
「違う違う。村を捨てて逃げるのだ」
「え、村を」
「私と一緒に行こう」
戸惑いがすぐに消えるほど、りうの笑顔はまぶしかった。
「さ。まずはその真っ黒をなんとかしよう」
言うなり、りうは左兵衛を滝つぼに突き落とした。




