第四話 風雲児 弐
「龍神様にしては、随分と優しげな顔だが」
滑らかな鱗に覆われた頭からは、鼻筋が素直に伸びている。穏やかな目には、小鳥のさえずりがよく似合う。一度は勘違いしたが、まさに鹿のような面立ちだった。
「私は雌でまだ若い。ひげや尖った鱗はない」
龍神に雄雌があることを、左兵衛は初めて知った。たしかに、声に濁りはなく細く軽やかだ。
「何故、頭しか出さんのだ」
「人とはまったく異なる身を晒すのが、恥ずかしい……」
「龍だと恥ずかしいなら、人に化けるのはどうだ。龍神様なら、それぐらいできるだろう」
左兵衛と暫く視線を重ね、龍神は静かに沈んだ。滝の落ちる音にも消されずに、とぷんと軽い響きを残し、頭の頂が水に呑まれた。やがて、角の先も視界から失せた。
左兵衛は四つん這いになり水面の奥を覗きこんだ。青い鱗はどこにもない。水に溶けてしまったのか、淵の底に転がる大きな岩が透けて見えるだけだ。時折、動くものがあり目を見張る。淵を横切る魚の影だった。三つ影を数えたところで、後ろから声を掛けられた。
「この姿で、おかしくはないか」
左兵衛と変わらぬ年ごろの、髪の長い娘が立っていた。白衣と緋袴をまとい、左右の腕を体に巻きつけている。自分の身が、人目に触れるのを少しでも抑えたいそぶりだ。娘は顎を引きながらも、切れ長の目を左兵衛へと据える。顔が赤い。
「答えぬか。私の姿は、へんではないか」
小首を傾げる仕草が愛らしい。
「ま、ま、まったく、へんじゃない」
尻の土埃をはたき、立ち上がる左兵衛の顔も赤かった。
向かい合うと、娘の顔が大がらな自分よりも上にあると知った。これほどに背の高い女に会うのは初めてだ。驚きでつい見入る。目が合った。娘と同じ拍子で、左兵衛も俯く。滝の岩を打つ音が、若い男女の間をすり抜ける。気まずい沈黙を破ったのは娘だった。
「お前の名は、なんという」
「左兵衛です。あなた様は」
「私には名がない」
娘はふっと口元をほころばせた。
「左兵衛が名をつけてくれ」
頬に笑みを湛え、期待の眼をむける娘に左兵衛の心はういた。あれやこれやと考えたのちひとつ、思いついた名を口にした。
「りう、はどうだろうか」
「龍神の『りゅう』から、『り』と『う』をもらったのか」
「そうだけど、つまらん名前だったかな」
あはははは。娘は晴れた声をあげた。
「良い名前だ。気に入った」
左兵衛は頬をゆるめ、頭をかいた。りうがあまりにも真っ直ぐに視線を寄越すため、首から上が熱くて仕方がなかった。
「やっと笑ったな。さいぜんは深刻な顔をしておったので、心配したぞ」
だから声を掛けたのだ、とりうは言った。
年ごろの娘と口を利くのは、初めてだった。しかも、りうは村娘の誰よりも美しい。心のうちで、ぬくもりがやわらかに膨らむ。
しかし、りうの次の言葉で冷え固まる。
「どうして、左兵衛は手で水を汲めなくなるのだ」
ひと晩考え、解消の糸口すら見えなかった憂鬱が、左兵衛の体をしおれさせる。
「どうした。黙っておってはわからん」
りうの催促に、村の長の息子に、大剣の舞いにて腕を切り落とされる旨を告げた。
「それは難儀だの。して、大剣の舞いとはなんだ」
十五を迎えた村の男が、成人として認められるための儀式。これが大剣の舞いだった。
村人の扮した鬼が、長大な竹光を金棒の代わりに振り回す。鬼の手にする竹光が身の丈ほどもあるため、この名が付けられている。
対する若者は、定寸の竹光を振るい、荒ぶる鬼を切り伏せる。
鬼役の村人は、主役である若者を打ち据えるつもりなどない。若者は若者で、鬼を傷つけはしない。すべてが芝居であり、切るも切られるも演技である。
観衆は、大袈裟に苦しみながら倒れる鬼の仕草を笑い、大見得を切る若者に歓声を送る。無事終えた稲の収穫を神に感謝する祭りでもあり、村の娯楽だった。
しかし、今年の大剣の舞いに笑い声はないだろう。主役を張る権一は本身を用い、鬼役の左兵衛は血を流すのだ。
途切れがちに左兵衛が語る間、りうは腕を組み、目を閉じていた。晴れぬ声を漏らす口が閉ざされてすぐ、りうは眉間の皺を解いた。
「何度か打ち合い、腕を切られる前に演技で倒れてしまえ」
「いや、切られることが大切なんだ」
「なんだ、腕を失いたいのか」
「まさか。誰が好んで片腕になどなろうか。だがな、これは源蔵様に拾われた時から決まっとるんだ。おれの背負った定めだ」
「そんな決め事、破ればよい。定めなんぞ、気の持ちようでどうとでも変わる」
「無茶を言うな。権一様は真剣をふる。竹光でどうしろと。おれは剣のふり方も知らんのだぞ」
「私が教えてやろうか」
「りう様が」
「様はいらん。おりうで良いぞ」
りうが、にっと笑う。楚々とした顔立ちが、お転婆に変わる。
「じゃあ、あの、おりう」
「なんだ」
先ほどの恥じらいが嘘のような無邪気さだ。龍神とはいえ、りうも若い娘だった。
「剣を使えるのか」
「剣でも槍でも弓でも、人におくれをとるわけがない。私をなんだと思っておる」
細身の棒を握り、向き合った。左兵衛は鍬をふり上げたような構え。りうは左兵衛とは逆に、棒の先を地面にすらすほどさげている。頭も肩もがら空きだ。
しかし、剣のことはわからない左兵衛から見ても、りうにはまったく隙がなかった。
腰を隠すほどに長い髪がきつく束ねられ、顔がくっきりと見える。明るさのはじけていた頬は引き締まり、軽く寄せられた眉の下の目が、刃の如く光っている。
「打ってこぬのか」
ふっとりうは眉をゆるめ、頭を差し出すようにさげながら前に出た。つられて左兵衛は棒をふりおろす。たしかに当たると思えた棒先は地面を叩き、左兵衛の肩がぱしりと音をたてた。目の前にいたはずのりうが、真横にいる。りうがどう動いたのか、まるでわからない。
「大剣の舞いでは、権一の剣をかわしにかわして、諦めさせてはどうだ」
さぞや名案と踏んだのか、りうの口元が得意気にあがる。桜色の唇に、左兵衛は見惚れた。
滝つぼのほとりは、冷たく澄んだ空気に満たされている。だが左兵衛は大汗をかき、りうと立ち合う。りうの打ちは鋭いうえに攻めの兆しがまるで読めない。構えた棒が突然動き、襲い掛かる。あっと思った時には、左兵衛の肩や手首で、棒先が軽い音をたてた。




