第三話 りうとさえ 参
「娘は目を疑う剛力でして。男二人が汗かき運ぶ丸太を、ひとりで軽々と」
奉行は浅く首を縦にふり、先を話すよう促す。
「親子で頭抜けて背が高く、涼し気な立居振舞。なにかと目につく二人なのです。村の者は龍神の化身などと言い出す始末でして」
「興の深い親子だの。一度、連れて来い」
奉行の命令を伝えるため、忠兵衛の遣いがりうのもとへと道を急いでいる最中、子らは肩を寄せ合い、畑のへりで眉をひそめていた。
「芋が全部食われる」
五助が足元から石を拾い、振りかぶった。
「ならん。猪が怒りよる」
さえはとめたが石は浅い弧を引き、毛深い背で跳ねた。土に埋まっていた鼻があがり、首筋の毛が逆立つ。間を置かず、猪は突進した。
五助が跳ね飛ばされる寸前、さえが猪の横っ腹に肩で当たる。一頭とひとりは宙にうき、土煙を巻いて転げた。
さえが先に立つ。地面を踏みしめ、腰を落とした。拳を強く握り固める。猪は目の前だ。獣が胴をふるわせ起き上がり、さえに飛び掛かかった。
がすりと鈍い音がたつ。さえが生まれて初めて、すべての力を注いで繰り出した攻撃だった。右の拳が一寸ほど、猪の額にめりこんでいる。二撃目を放とうと左の拳を握りしめたが、使わずに済んだ。腰を抜かした五助が倒れた猪を見詰め、はああと深い息を吐いている。
「姉様、助かった」
「ほら、立って」
笑顔で手を貸すさえに、先ほどの鋭さはない。
「すごい」「強いな」「さすがは龍神の娘」
子らの称賛を耳に、さえは家路に就いた。
「母様」
猪退治を報告しようと張り切るさえの声を、りうの重い言葉が覆った。
「村を去ろう」
「どうしたの」
「忠兵衛から奉行の前に出るようにとの話があった。大名召し抱えとなり、戦で利用されるのは目に見えとる。人を殺すために力を使う気はない」
「母様」
さえは短く言い、唇を引き結んだ。浅い皺が、口元に線を彫る。
「人に関わるのは、もうやめたらどうか」
洪水、崖崩れ、並外れた大風。りうはそれらを事前に知らせる。当初は感謝されるものの重なるうちに、りうが災いを招き寄せていると言う者が出る。人智の及ばぬ力を示すりうを、禍神と見なすのだった。
「私は、人という生き物が愛おしくてな。放ってはおけんのだ」
「明日、村の子に別れを告げてから去るのでも良いか」
「まあ、明日のうちに消えれば、大事にはならんだろう」
いや。事態は急転し、最早取り返しがつかないところに至っていた。
庄屋はりうの断りを即座に上へと伝えた。奉行は激高し、忠兵衛を追い返す。家来に命じた。
「りうなる女を連れて来い。できぬなら殺せ。ほかの者の手には渡すな」
神殺しは格別の罪。自国の兵に祟りがあってはならぬと奉行は考え、雑兵を差し向けるよう指示する。その日の夜には雑兵の手配は済み、翌日にはりうを襲う段取りがついた。
庄屋は奉行の動きを知らない。
さえは名残を惜しんだが、子らは顔をそむけて立つばかり。笑みを交えて五助に語り掛けてもだんまりだ。一夜のうちに、村が奉行の怒りを買ったと広まった結果だった。りうのせいで、と。
さえが挨拶のために小屋を発ったのは早朝。りうは庄屋にひと言詫びてから去ろうと、昼過ぎに里へと足をむけた。その時すでに、雑兵の群れは庄屋の屋敷に火矢を撃ちこんでいた。
女をひとり殺すだけでは、さしたる儲けにならない。蔵から金目の物を奪い、奉行には庄屋が抵抗したと言う。銭で雇われ、戦場で掠奪と殺戮を尽くす雑兵に道理はなかった。
里に下りてすぐ、りうは異変を捉えた。焦げ臭い。野焼きでは到底及ばぬ臭いの厚さだ。巡らせた瞳に太い煙が映る。方角は庄屋屋敷。
りうが駆けつけると、白壁の外で忠兵衛が蹲っていた。
「母が、母が家の中に」
緋袴にすがり、「助けてくれ」と大の男が泣く。
りうは走った。館の前には具足をつけた武者。その数およそ三十。兵どもには構わず、茅葺屋根にまで火のまわった屋敷へと飛びこむ。
「今のがりうだ。鉄砲用意」
この雑兵がしらの大声で、庄屋も、遠巻きに見る人々も、雑兵の押し寄せた理由を知った。
さえも走っていた。胸が騒ぐ。天になびく黒煙目指して風を切る。じきに火元を囲むたくさんの後ろ姿が見えた。
「のいて」
さえの声に人垣が大きく割れる。さえと、少しでも距離を作るように。
「禍神め」
憎しみを詰めた呟きは、駆け抜けた耳には届かない。
門をくぐったさえの目に、猛る炎から飛び出すりうが映った。庄屋の母を抱えている。長身を折り、左右の腕で囲むように老婆を火から守っていた。りうの黒髪は縮れ、白衣と緋袴は今この時も燃えている。
「出たぞ。鉄砲、狙え」
雑兵がしらが大ぶりな仕草でりうを指さす。間髪を容れず。
「放て」
雷が真横にでも落ちたのか。轟音が空気をふるわせ、りうの体が鋭く振れた。白衣の肩が赤く染まる。庄屋の母など、雑兵どもはどうでもよい。りうが必死で救った命も鉛玉を食らった。それでもりうは、そっと老婆を地に置く。
「第二撃。放て」
胸と腹から血が噴き出す。りうはよろめくが、膝はつかない。
「まだ倒れぬのか。ええい、火矢だ」
叫ばず、うめかず。りうは腕を振り回し、刺さった矢を払う。火の帯は絶え間なくりうを襲う。すっぽりと火にくるまれたさまは、まるで蝋燭の芯だった。
頭を右から左へ、ゆっくりと動かす。炎に絡まれた顔は歯を食いしばり、苦悶でゆがむまいと耐えている。ひとつ辞儀をし、踵を返した。ゆらりと前にかしいだかと思うと地を蹴り、りうは燃える館へと駆けこんだ。
間もなく、屋敷は火の指を天へと伸ばし、屋根を崩した。ひと際太い煙がたちのぼる。
「娘が。娘がそこにおる」
門の外から庄屋が叫ぶ。眉を吊り上げ、さえを指さす。白衣に緋袴。高い背。りうと同じなりだ。
「殺せ」
かしらが命じ、弓が引かれた。さえは逃げずに雑兵の群れへとむかった。
こやつら、生かしてはおけん。
逆立つ髪の力に負け、垂れ髪を束ねた紙が破れた。黒髪が疾風の速度で進むさえを追う。肩に一本、右の胸に一本、矢が刺さる。走りながら掴んで抜き去り、勢いを落とさず前に出る。ぎりりと拳が鳴る。鏃の切っ先が額の皮に触れた刹那、頭をふり、矢の行く先を逸らせた。
「ひいい、化け物だ」
腰の引けた兵へと跳ね飛んだ。
「おおおのれえええ」
顔面を拳で打ち抜く。振り切った腕の風音で、首の折れる音が消えた。後ろ頭を背中にあてた形で男は棒のように倒れた。
刀を奪い、抜いた。手近に立つ男の首を真横から薙ぐ。頭が落ちた。血飛沫を浴びながら次、次、次。雑兵がしらに袈裟斬りを見舞う。刀身が折れた。さらに殺そうと新たな刀を拾う。
しゃがんだ背中に石が当たった。雑兵は逃げ去り、村人たちが白壁の内側に満ちていた。
「お前たちがいなければ、屋敷は燃えず、母は死なずに済んだ」
忠兵衛の顔が憤怒で赤い。歯茎を剥き出し、礫を投げる。さえの足元で跳ね、撒き散らかされた腕や頭、はらわたの中に消えた。
「なにが龍神だ」
丸太運びを手伝った男の手からは拳大の石。矢ですらかわすさえが、よけられない。額が大きく裂けた。
「お前らのせいだ」「早う失せろ」「この鬼外道が」
雨のように礫が降り掛かる。大人も子供も。女も男も。さえを姉と慕った五助も投げる。
もう、消えてしまいたい。自分も、とさえは思うが、火の勢いに足が竦む。まわりは高い壁。後ろには炎。頭を抱え、わめきながら村人の群れへと一歩踏み出した。石を手にした者たちの壁が、悲鳴とともに崩れる。人々は散り散りになり、門への道が開けた。
「出た、冴殿」
焔硝を運ぶ列の先頭から声があがる。叫びが山に吸われる前にはもう、冴は馬五頭分の距離を駆け終えていた。木々の間からあふれた野盗の数、およそ二十。
抜き身の太刀をさげた男に、冴は走る勢いのまま迫る。構えた槍先はまるでゆれない。すぐさま突き殺す。影を留めず、新たな骸を作る。刎ねた首が地に落ちる間に、命がふたつ散る。
鋼と鋼の当たる音はない。肉と骨を断ち切る響きのみが連なる。冴は刃筋を立て、振り抜いていく。切っ先を体の芯から外さず、貫き通す。次、次、次。まばたき五つほどの間で、賊は全滅した。首や腕、はらわたが撒き散らかされている。冴が十歳の時、目にした光景と同じだ。
血に濡れた顔を手拭いでふきながら、冴は思う。母に会いたい。死の間際まで人に尽くした母が、人を殺すために力を使う娘をどう見るか。会って問いたい。だがそれは、叶わぬ願い。




