第5話 発酵する大地と、最初の双葉
地下水脈を掘り当ててから、三日が経過した。
俺は毎朝、太陽が昇るのと同じ時間に起きると、真っ先に広場の「土のベッド」へと向かった。
そして左腕のフロを呼び出し、土壌の温度や水分量、わずかな変化を細かくスキャンしては、自分用のデータとして記録し続ける。
緑化は魔法ではない。
日々の徹底した観察と、小さな変化を見逃さない現場の品質管理こそが、成功への唯一の道だ。
「よし……順調だな」
ヤギの糞と枯れ草を重ねた土のベッドからは、うっすらと白い湯気が立ち上っていた。
内部の温度は六十度近くまで上昇している。
水と太陽熱の力で、眠っていたバクテリアたちが一気に目覚め、猛烈な勢いで有機物を分解・発酵させている証拠だった。
「おい、よそ者!!」
背後から、怒気に満ちた声が飛んできた。
振り返ると、日に焼けた痩せぎすの若い男が、数人の村人を引き連れてこちらを睨みつけていた。
確か、村の自警団のようなことをしている青年、ザキだ。
「毎朝毎朝、せっかく掘り当てた綺麗な地下水を、こんなゴミの山にジャブジャブかけやがって! 俺たちの飲み水が減るだろうが!」
ザキが、俺が作った土のベッドを足で蹴り飛ばそうとする。
「やめて、ザキ! カイは村のためにやってくれてるのよ!」
後ろから駆けつけてきたレイラが、ザキとの間に割って入った。
「村のためだと? ただの土遊びじゃねえか。こんな干上がった石ころだらけの土地で、草一本生えるわけがない! 俺たちは何年もそうやって絶望してきたんだ!」
ザキの叫びには、長年の飢えと諦めがこびりついていた。
後ろにいる村人たちも、「その通りだ」「よそ者は水を使うな」と冷ややかな視線を向けている。
俺は無言のまま土のベッドに手を突っ込み、熱を持った土をひとすくい掴み出した。
そして、ザキの目の前にスッと突きつける。
「なんだよ! クソを投げつける気か!?」
身構えるザキに、俺は静かに言った。
「いいから、匂いを嗅いでみろ」
「……は?」
ザキは訝しげに鼻を近づけ――そして、ポカンと口を開けた。
「……くさく、ない?」
「ああ。悪臭はないはずだ」
ヤギの糞の臭いは完全に消え去っていた。
代わりに漂っているのは、雨上がりの森の中を思わせる、深く豊かな生命の匂い。
「完全に発酵が完了し、微生物が定着した。ここはもうゴミの山じゃない。『生きた土』だ」
俺はレイラを振り返った。
「レイラ。君が食料にしている、あの干からびた豆の備蓄を一つもらえるか?」
「え? う、うん」
レイラがポケットから、石のように硬く縮んだ茶色い豆を取り出して渡してくれた。
俺は村人たちの見ている前で、ふかふかになった土のベッドにその豆をそっと埋め、優しく土を被せた。
「ザキ。一週間だけ待て。一週間で、俺が結果を証明してやる」
俺の言葉に、ザキは「……ふんっ、どうせ無駄だ」と吐き捨てるように言い、村人たちを連れて去っていった。
『マスター・カイ! 彼らの態度は極めて非協力的です! 私の電撃ショック機能で少しお仕置きを……』
「馬鹿なことを言うな。彼らはただ、希望を持つのが怖いだけだ。……フロ、土中の豆に適切なバイタル促進波を当てろ。ただし、不自然じゃない程度にな」
『イエッサー! こっそり微弱な生体エネルギーを照射しておきます!』
(この世界には、こういう「チート」もあるからな。だが、完璧な土の土台がなければ、いくらチートをかけても豆は腐るだけだ)
使えるものは、最新のAIだろうが監視者のシステムだろうが、すべて利用させてもらう。
――そして、一週間後。
いつものように朝の巡回に来た俺の背後で、ザキの震える声が響いた。
「嘘だろ……」
土のベッドの前に、ザキや長老をはじめとする村人たちが群がり、地面を食い入るように見つめていた。
赤茶けた死の大地に、ぽつんと。
力強く、瑞々しい緑色をした「双葉」が、朝日に照らされて顔を出していた。
「芽が出た……。本当に、土が生き返ったんだ……!」
レイラが両手を口元に当て、ポロポロと涙をこぼしている。
「これが緑化だ」
俺は村人たちに向かって、はっきりと告げた。
「土を育てれば、必ず緑は応えてくれる。俺一人じゃ足りない。お前たちの力が必要だ」
ザキは呆然と双葉を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。
やがて彼は、何かを噛み殺すように強く唇を噛み締めると、ゆっくりとこちらを向き、深く頭を下げた。
「……すまなかった。俺にも、その土の作り方を教えてくれ」
絶望の箱庭に、確かな希望が芽吹いた。
(これでいい。村の連中が自分たちで土を作れるようになれば、この村は強力な「補給拠点」になる。そうすれば――俺はカオルを探すために、この箱庭のさらに奥へと進める)
双葉を見つめる村人たちの歓声を聞きながら、俺はまだ見ぬ遠い空へと視線を向けた。




