第36話 対峙する砂丘、引けない一線
「見つけたッ!!」
セリアの鋭い声が、凍てつく夜の空気を切り裂いた。
俺とカオルは砂丘の中腹で足を止めた。
振り返って見上げる砂の稜線に、月明かりを背にして二頭のラクダが立っている。
激しい疾走の熱が、ラクダの鼻と、その背から滑り降りたレイラとセリアの口元から、白い蒸気となって絶え間なく吐き出されていた。
「……やっぱり追ってきたか」
俺は小さく息を吐き、隣のカオルを見た。
カオルは、凍える手でジャミングを施したデバイスを庇いながら、砂の上に静かに立っていた。
急激に冷え切った彼女の体温が、そのまま氷のような落ち着きとなって、見下ろしてくる二人を射抜いている。
「ハァ……ハァ……っ。あんたたち、本当にいい度胸してるじゃないの。まさか、あんなお粗末なジャミングでGECOの目から逃げ切れると思ってたわけ?」
全身から汗を流し、肩で息をしながら、セリアが一歩,、砂を踏みしめて下りてくる。
その耳の裏で真っ赤に明滅する通信機が、冷たい夜の闇の中で異様なほど熱を持っていた。
「セリア、レイラ。悪いがマ・カレシュに行く。これ以上、あの配信のミッションに付き合う気はない」
俺が冷徹に告げると、レイラがよろめくような足取りでラクダから離れた。
手綱を限界まで握りしめていた彼女の手のひらには、くっきりと深い圧迫痕が赤く残っている。
「ダメよ、カイ。戻って」
吐く息は熱く、声はひどく震えていた。
「……これ以上進んだら、運営が本当に黙っていないわ。あんたたちがどんなに優秀な技術者でも、組織を敵に回して無事でいられるはずがないのよ!」
「優しいのね、そこのお二人さんは」
カオルが一歩前に出た。
凍える砂漠の冷気が、彼女の言葉から一切の感情を削ぎ落としていた。
彼女の鋭い視線は、レイラたちの耳の裏で異様に発熱している、あの極小の通信パッチへと注がれる。
「私たちの安全を心配してくれているのは本気でしょうね。……でも、それだけじゃないでしょ? その耳の裏の機材――中央とリアルタイムで繋がってるそれ、システムインフラのプロの目を誤魔化せると思わないことね」
「それは……っ」
セリアが言葉を詰まらせた。
「職務、保身、それとも同情? 私たちがこのまま逃げ切ったら、あんたたちの立場もGECOに潰される。――違う? 結構よ、どれも人間らしくて責める気にはなれないわ」
カオルは冷えた指先で首元を庇いながら、すっと目を細めた。
「だけど。――それだけじゃない理由が、あなたのその目にあるみたいだけど?」
砂漠の風が、不自然なほどぴたりと止んだ。
レイラの呼吸が限界まで浅くなる。
カオルは知っている。
カイの失われた過去も、本当の名前も。
自分には逆立ちしても手に入らないカイの「すべて」を、見見下ろした砂丘の底に立つあの女は、最初から持っているのだ。
レイラの右手が、無意識に動いた。
砂丘を滑り降り、カイに向かって、まっすぐに伸ばされる。
だが、その震える指先は、カイの泥まみれのジャケットに触れる数センチ手前で、見えない壁に阻まれたようにピタリと止まった。
届かない。
「……嫌よ」
宙を彷徨う手に、冷たい夜風が絡みつく。
「何が、エンタメよ……何がエージェントよ……! 私は、そんなことのために追ってきたんじゃない……っ! カイ、お願いだから行かないで……。私の前から、いなくならないで……っ!」
宙で止まったままのレイラの手から、一人の女としての悲痛な叫びが、夜の砂漠に響き渡った。
横に立つセリアは一言も発さなかった。
ただ、手綱を握る手袋の革が、血が滲むほど強くきしんでいた。
砂漠の恐ろしい冷たさが彼女の指先の熱を奪っていくが、その手は絶対に手綱を離しようとしなかった。
俺は、宙で震えるレイラの手と、冷たい夜風の中で佇むセリアを静かに見つめた。
そして、手にしていたスコップを、乾いた砂に深々と突き立てた。
「レイラ、セリア」
俺は二人の目を、真っ直ぐに見つめ返した。




