第32話 砂漠の再会と、凍りつくオアシス
「カオル……!」
俺は遮光ネットを乱暴に撥ね退け、ナーサリー(苗床)の外へと飛び出していた。
手には、さっきまで苗の根元を整えていたスコップを握りしめたままだ。
陽炎の向こう、砂丘の頂から、一頭のラクダが文字通り滑り降りてくる。
その背で、なりふり構わず大きく手を振っている人影。
見間違えるはずがない。東京の、あの無機質な研究所で、データばかりを睨んで擦り切れていた俺の心を、いつも突拍子もない言葉で引っ張り出してくれた――俺の、幼馴染だ。
「お、おい、カイ! 待て! あれは……あの時の黒髪の娘か!?」
後ろでサードが驚愕して呼び止める声も、今の俺の耳には入らなかった。
俺は赤茶けた砂を蹴り、激しく砂煙を上げる一頭のラクダへと真っ直ぐに走り出していた。
「カイ――っ!!」
砂丘を駆け下り、ラクダから滑り落ちるようにして降りてきたカオルが、なりふり構わずこちらへ向かって走ってくる。
その声を、その姿を、正面から脳に浴びた瞬間――俺の頭の中で、失われていたパズルの最後のピースが凄まじい音を立てて噛み合った。
激しい眩暈。脳裏を駆け巡るフラッシュバック。
アフリカの乾いた空気、突如として反転した重力、割れた空、そして――真っ白に染まる視界の中で、必死に俺へ手を伸ばしていた少女の泣き顔。
(そうだ……俺の名前は……)
レイラが村の伝説からとって、偶然つけてくれたと思っていたその名前。
(俺の名前は、最初から『カイ』だったんだ……!)
「カイ、カイ、カイ……っ!!」
正面から、凄まじい勢いでカオルが胸に飛び込んできた。衝撃で二人して砂の上に倒れ込む。
「遅いのよバカ……っ! どこまで歩かせるのよ! どんだけ探したと思ってるのよ……っ!」
カオルは俺の泥だらけのシャツを両手で掴み、子供のように声を上げて泣いた。
あいつの持ち前だった強がりも雑草魂も、いまは全部どこかへ吹き飛んでいた。
ただ々、生きて再会できた安堵の涙が、俺の胸を濡らしていく。
「……カオル。すまん、本当に、すまん……俺がお前をこの世界に巻き込んだせいで……」
「もういい、いいから! 生きててよかった……本当に、よかった……!」
俺はカオルの背中に手を回し、強く抱きしめた。
地球から遠く離れた理不尽な箱庭で、ようやく巡り合えた唯一の半身。
二人の間には、誰にも踏み込めない感動の空気が流れていた。
それを見つめる、二人のエージェントがいた。
ナーサリーの影から立ち尽くすレイラは、いつもよりずっと静かな目で、泥まみれで抱き合う二人を見つめていた。
彼女の耳の裏の通信パッチが、チカチカと不規則に明滅している。
『(レイラ……。あれが、カイがずっと言ってた「カオル」ね……)』
物陰から見守るセリアの声が、ローカル通信越しに響く。いつものツンとしたトーンではない。どこか諦めたような、寂しげな声だった。
『(ええ、そうみたい。……本当に、まっすぐな人。カイが命がけで探すわけだわ)』
『(チャット欄、大騒ぎよ。「ついに本命登場」「シーズン1から続いた最大ミッションクリア!」って。……ねえ、私たちの役目、これで終わりかしら)』
『(……さあね。でも、私たちの仕事は「環境開拓を記録すること」でしょ。あんなに嬉しそうなカイ、初めて見たわ)』
二人はプロのエージェントだ。
視聴者のウケも、自分たちのポジションも理解している。
そして何より、カイがどれほどの執念でこの「カオル」という存在を追い求めて土を耕してきたかを、誰よりも特等席で見てきた。
だからこそ、その再会の重みに、静かに息を呑んでいた。
「……カ、カオル。とりあえず、落ち着いて立ち上がろうか」
「ぐすっ……うん。……ん?」
涙を拭いながら俺の腕を借りて立ち上がったカオルは、そこで初めて、周囲からの視線に気がついた。そして、その視線の先にある「激変したオアシス」の光景にも。
彼女がシステムの裏口から推測していたのは、もっと悲惨な、あるいは一時的な物資で誤魔化されたオアシスだったはずだ。
しかし、目の前に広がっているのは、規則正しく配置されたホホバのプランテーション、緻密な集水インフラ、そして地球の環境技術と現地のローテクが融合した、圧倒的な泥臭いプロの現場。
カオルは驚愕に目を見開いた後、複雑な、どこか切なげな目で見つめている褐色肌の護衛と、遠くから静かに見守っている銀髪の技術者をじっと見つめた。
俺が自分のいない場所で、この過酷な世界を生き延びるために、彼女たちとどれほど濃密な時間を過ごし、この未来への緑を築き上げてきたか。
その「絆」の空気感を、カオルの鋭い勘が一瞬で察知する。
カオルはゆっくりと俺のほうを振り返った。
その瞳からすっと涙が消え、砂漠の気温が、一瞬で絶対零度まで急降下する。
「ねえ、カイ」
「なんだい、カオル」
「ちょっと聞きたいんだけど」
カオルは、レイラとセリアを交互に指差しながら、おそろしく静かな、地を這うような声で言った。
「そこの、やたらスタイルが良くて可愛い子たちは、誰かな? 私は必死にシステムと戦ってたんだけど……あんた、随分と心強いビジネスパートナーに囲まれて開拓してたみたいじゃない?」
「いや、これは断じてそういう関係ではなく、純粋な農業技術の提供と、現地の環境改善における真摯な信頼関係であって――」
「黙れ。後でテントの裏でじっくり説明してもらうからね」
カオルの容赦ないツッコミが炸裂する。
感動の再会から一転、ピリついた空気のなかで、俺は必死に言い訳の言葉を探すのだった。




