第30話 塩への反逆と、砂漠の黒いゼリー
「土を使わない栽培だと……!? そんなバカなことが、本当にできるのか!?」
若き長老サードが、驚愕で声を裏返した。
「ああ。植物が育つのに本当に必要なのは、土そのものじゃない。水と、そこに溶けた栄養、あるいは根を支える土台だ。この村の土は日射のせいで塩分が浮き上がってくる。なら、最初から土を切り離せばいい」
俺は破れた遮光ネットの残骸を拾い上げ、フロが指し示す砂漠の北側にそびえる岩山を睨みつけた。
「サード、村の男たちを集めてくれ。あの岩山から、黒い火山岩を可能な限り運び出す。それと、村にある素焼きの壺をすべてナーサリーに集めてくれ」
「黒い岩と、素焼きの壺……? それで、一体何をする気だ?」
不信感を隠せないサードに、俺は不敵に笑ってみせた。
「砂漠の夜を味方につけるのさ」
砂漠の気候は過酷だが、裏を返せば極端だ。
日中が40度を超える灼熱なら、夜間は一桁台まで急激に冷え込む。
俺たちは日が落ちると同時に、集めた黒い岩をナーサリーの周囲に敷き詰め、その上に素焼きの壺を逆さまにして並べた。
数時間後、夜の闇が土漠を包み込むと、急激な冷気が現場を襲う。
熱を放出しやすい黒い岩と、微細な穴が無数に空いた素焼きの壺の表面が急激に冷やされ、そこに砂漠のわずかな空気中の水分が触れた瞬間――パチパチと音を立てて、大量の結露が生まれ、用意した溝へと滴り落ち始めた。
「な、なんだこれは……! 夜露を集めるなんて真似、俺たちも旅の途中でやるが、こんな量は見たことがないぞ……!」
流れる小川のようになった集水溝を見て、サードや村の男たちが目を見張った。
「ただ風を待つだけじゃ量は採れない。放熱性の高い岩で強制的に局所的な冷気を作り、素焼きの吸水性で表面積を稼いで結露を促す、ローテクな集水システムだ。この水は地下水と違って、塩分を一切含まない純粋な淡水だ。これを、これから造る栽培床に一滴ずつ流す」
裏の通信網では、この泥臭い大逆転劇に、視聴者たちが【おおおおお! 空から降ってくる魔法じゃなくて、砂漠の冷気を使うのか!】【知ってる現象をシステム化するの、マジでプロの仕事】【カイ様、知的すぎて惚れる】と、チャット欄がもの凄い速度で流れ、スパチャの代わりに称賛の嵐が巻き起こっていたが、カイは作業に没頭している。
「マスター、お次の課題です!」
左腕のデバイスからフロの声が脳内に響く。
「純粋な水は確保できましたが、通常の水耕栽培のようにプラスチックのパイプや培養液の循環ポンプはありません。ただ砂の上に流すだけでは、一瞬で砂の底に吸い込まれて溶脱しちゃいますよ?」
「分かっている。だから、保水剤を自作する」
俺は、村の周囲にわずかに自生しているナツメヤシの、廃棄される果肉の繊維を大量に集めさせた。さらに、隊商のリーダーから「南の特定の地層から採れる、水を吸うとベタベタになる不気味な泥の粉(ベントナイト粘土)」を安く買い取った。
前の世界で読んだ、砂漠緑化の論文の知識が、フロの計算回路を通して完璧な配合比率として弾き出される。
ヤシの天然多糖類繊維と、ベントナイトの微細な鉱物パウダーを混ぜ合わせ、そこに先ほど集めた結露水を注ぎ込む。
すると、どうだ。サラサラだった砂漠の粉が、瞬く間に水分を吸い込んで膨張し、まるで黒い高級なゼリーのような、驚異的な保水力を持つ天然の高分子ポリマーへと変異したのだ。
「よし。これを、苗を植える木箱の砂に混ぜ込む」
この黒いゼリー状の土壌は、自重の数百倍の水を蓄え、日中の猛烈な乾燥から根を完全に守る。
しかも、必要な分だけ植物の根に水分を吸わせるため、地表へ水が蒸発して塩が浮き上がる「毛細管現象」そのものを完璧にシャットアウトできる。
一滴の水すら無駄にしない、超節水型の定着農法だ。
「カイ、凄い……! これなら、あのカオルさんが残していった種も、もう一度……!」
泥まみれになりながらヤシの繊維をすり潰していたセリアが、目を輝かせて歓声を上げた。
「ああ。カオルのバトンは、絶対に無駄にしない」
俺は、カオルが残したボロボロのノートの頁に書かれていた、唯一生きていたスイカの親株から丁寧に脇芽を切り取り、自作した天然ポリマーの苗床へと、そっと挿し木した。
数日後。
遮光ネットの下、かつて塩を吹いて真っ白に死に絶えていたナーサリーの真ん中で、みずみずしい緑色の、小さなスイカの新しい芽が、砂漠の力強い太陽に向かって、しっかりと、力強くその葉を広げた。
「……生きてる。俺たちの手で、もう一度、命を繋いだんだ……!」
サードがその場に崩れ落ち、子供のように涙を流した。村の男たちも、お互いの泥だらけの肩を抱き合って震えている。
天から降ってきた、いつ消えるとも知れない魔法の水瓶じゃない。
自分たちの手で山から岩を運び、自分たちの手でヤシをすり潰し、汗を流して作り上げた、自分たちのための本物の技術だ。その価値を、彼らの濡れた瞳が何よりも証明していた。
「カイ、あなたって本当に……」
レイラが、緑の双葉と、男たちの歓声を見つめながら、ぽつりと呟いた。
その琥珀色の瞳には、もう「空の上へのおねだり」を考えていた時の甘えは微塵もなく、ただ真っ直ぐに、泥にまみれた俺の背中への深い信頼が宿っていた。
「よし、第一段階は成功だ。だが、これで満足するなよ」
俺はタオルで額の汗を拭い、村人たちを見回してニヤリと笑った。
「スイカの次は、この村の本当の自立だ。この砂漠の過酷な日射を100%味方につけて、この村に莫大な富をもたらす黒い油のプランテーションを始めるぞ」
カオルの残した落書きの向こう側へ。
俺たちの、砂漠の大開拓は、ここからさらに加速していく。




