第29話 残されたノートと、枯れたスイカ
「……ここが、俺たちの集落の希望の跡だった場所だ」
隊商のリーダーに紹介されたオアシスの若き長老――サードが、浅黒い顔を歪ませて俺たちを案内したのは、村の中央にある、破れた遮光ネットに覆われた無残な苗圃場だった。
中には、カラカラに乾いた砂の畝が並んでいる。
その数箇所に、黒く干からびた植物のツルが力なく地面にへばりついていた。
「これは……スイカ、か?」
俺がしゃがみ込んでその葉に触れると、水分を完全に失った細胞がパサリと音を立てて崩れた。
「ああ。数ヶ月前、このオアシスにふらりと現れた『黒髪の妙な娘』が植えていったものだ。あいつは凄かった。この呪われた白い土をスコップで何度も掘り返し、砂漠の夜露を集める奇妙な仕組みを作って、この地では見たこともない緑の芽をいくつも育ててみせたんだ」
サードは遠い目をして、かつてここにあったはずの景色を回想する。
「俺たちも驚いてな。あの娘と一緒に、毎日泥まみれになって水を運んだよ。もしかしたら、俺たちはもう、この過酷な砂漠を移動し続けなくても、ここで生きていけるんじゃないかって……本気で夢を見たんだ」
「その子は、どうしてここを去ったの?」
レイラが、自分の胸の前に手を当てて、痛ましそうに尋ねた。
サードは自嘲気味に鼻で笑い、懐から一枚の「紙きれ」を取り出した。
それは、粗末な現地の羊皮紙ではなく、明らかにこの世界のものではない、真っ白で上質な『ノートのページ』の破れ残りだった。
「あの娘が去ったのは……そうだな、3ヶ月と少し前だ。ここを離れてからどこへ向かったのかは知らない。南だったか、東だったか。砂嵐の中を、一頭のラクダで出ていくのを見た」
「ある日、突然、奇跡が起きたんだよ」
「奇跡?」
セリアが眉をひそめる。
「ああ。天から、目も眩むような光と共に、山のような食料と、触るだけで水が溢れ出る見たこともない魔法の水瓶が降ってきた。村の連中は大騒ぎさ。神が俺たちの苦労を見て、哀れんで宝を授けてくださったんだと、狂喜乱舞して宴を開いた」
サードの拳が、ぎちぎちと音を立てて握りしめられる。
「そこからの村の変わりようは一瞬だった。みんな、毎日汗を流して土を耕すのをやめた。水を運ぶのをやめた。だって、祈れば天から降ってくるんだからな。あの黒髪の娘が『そんなものに頼ったら、あんたたち本当にここで生きられなくなるよ!』って、泣きながら怒っても、誰も聞かなかった。……それどころか、あいつが必死に守っていた苗床を踏み荒らし、魔法の水瓶の水を浴びるように使って遊んだんだ」
胸が、締め付けられるように痛む。
想像がつく。カオルがどんなに悔しく、どんなに絶望的な気持ちで、その光景を見ていたか。
「だが、神の気まぐれは長くは続かなかった。一ヶ月ほどして、降ってきた食料が底を突き、魔法の水瓶も光を失ってただの鉄くずになった時、天からはもう何も降ってこなかった。村に残されたのは、完全に干からびて全滅した苗床と、耕し方を忘れて怠惰に慣れきった、動く気力すら失った難民の群れだけだ」
サードは静かに、その白い紙の切れ端を俺に手渡した。
「あの娘は『あんたたち、もう知らない!』って大泣きして、このノートを俺の顔に投げつけて、ラクダに乗ってどっかへ行っちまったよ。……俺は、あいつに顔向けができない。あいつの言った通りだった。努力を忘れた俺たちへの、これは神の罰だ」
受け取った紙には、色あせた万年筆の文字で、殴り書きのような日本語が残されていた。
『砂漠の塩対策:土を使うな! 浸透圧で根が死ぬ。やるなら砂にアレを混ぜるか、水耕。サウナに入りたい。ととのいたい。カイのバカ、早く助けに来い』
最後の、歪んだ文字を見て、俺の胸の奥からドロリとした熱い感情がせり上がってきた。
「バカは、お前だろ、カオル……」
俺はノートの切れ端をそっとポケットに仕舞い、立ち上がってサードの目を真っ直ぐに見据えた。
「サード。お前たちは神に罰せられたんじゃない。外部からの安直な施しっていう名前の麻薬に、一時的に脳を焼かれただけだ。……まだ、やり直せる」
「え……?」
「お前たちがカオルと一緒に流したあの汗は、まだこの砂の中に残ってる。あいつの残した技術のバトンは、俺が確かに受け取った」
俺は左腕のフロを起動し、周囲の乾燥した大気と、地下の微弱な水脈のデータをホログラムで展開した。青い光が、枯れた苗圃場を冷たく照らし出す。
「土が塩で呪われているなら、土を使わずに野菜を育てる。外部の奇跡になんて頼らない、この村の人間が、自分たちの手で毎日食っていける本物のインフラを、今からここにブチ立ててやる」
カオルの無念と、技術者としてのプライドを胸に。
俺の目が、灼熱の太陽よりも熱く、鋭く据わった。




