第28話 焦熱の土漠と、麻薬のような善意
テウマ峠の心地よい湯気と別れを告げ、南の下り坂を降りきった俺たちを待っていたのは、視界のすべてを焼き尽くんとする圧倒的な絶望だった。
「う……あつ、熱い……。空気が、肌を刺すみたいに痛いわ……」
さすがのレイラも、容赦なく照りつける太陽と、地表から立ち上る強烈な陽炎に顔をしかめ、マントで必死に日差しを遮っている。
目の前に広がっているのは、きめ細やかな砂の海――ではなく、見渡す限りの乾いた赤土と礫(小石)が転がる、生命の気配を完全に拒絶した土漠地帯だった。
「マスター、周囲の環境スキャンを継続中ですが、湿度は驚異の5%以下。現時点での降水確率は完全にゼロです。お肌の天敵ですね!」
俺の左腕のフロが、脳内に向けた能天気な警告音を響かせる。
相変わらずこの過酷な環境でもマイペースだ。
「おい、よそ者の若者たち。へばるにはまだ早すぎるぞ。次の水場に着くまでは、ラクダの歩調を乱すんじゃねえ」
前方を往く隊商の屈強なリーダーが、低い声で俺たちを促した。
俺たちは、テウマ峠の村長から貰った通行許可証を使い、砂漠の流通を担う彼らの隊列に同行させてもらっていたのだ。
「カイ、見て」
隣を歩くセリアが、水筒の水を一滴たりとも無駄にしないよう慎重に口に含みながら、前方の一点を指さした。
地平線の彼方、陽炎がゆらめく土漠の真ん中に、不自然な「緑の塊」が浮かび上がっていた。
近づくにつれ、それが巨大なナツメヤシの木々と、無数にひしめき合う石造りの移動式テント、そしてうなだれた住民たちの姿であることが分かってくる。
豊かな水場があるにもかかわらず、周囲の草木を枯らし尽くしては、また別のオアシスへと移動を繰り返すノマド(遊牧民)の民――通称『渡りの集落』だった。
だが、村に入った俺たちが目にしたのは、活気ある交易都市の姿ではなかった。
配給されるわずかな水を求め、うつろな目で列を作る老人や子供たち。
干からびた地面には、かつて誰かが植えたのだろう、無残に立ち枯れたスイカや野菜の苗が、黒く焦げたように転がっている。
「ひどい。水場があるのに、どうしてこんなにみんな飢えているの?」
レイラが痛ましそうに呟く。
「水はあるんだ。だが、土が死んでる」
俺は屈み込み、足元の土を指ですくった。一見するとただの乾燥した砂だが、地表のいたる所が、まるで雪でも降ったかのように『真っ白』に変色している。
「フロ、成分分析」
『了解です。地表に大量の塩化ナトリウム、および硫酸カルシウムの結晶を確認。典型的な【塩類集積】ですね。激しい日射のせいで、地下水に含まれる塩分だけが地表に吸い上げられ、結晶化しています。これじゃ、植物は根から水を吸うどころか、逆に水分を奪われて干からびちゃいます!』
砂漠の容赦ない太陽がもたらす、農業における最大の絶望。
水があるからと安易に畑に水を撒けば撒くほど、水だけが蒸発して塩の砂漠が完成する。この集落が定住できず、わずかな自生植物を食い潰しては次の土地へ移動を繰り返さなければならない理由が、この白い土にすべて現れていた。
「ねえ、カイ。これ、どこか別の豊かな土地から大量の食料を買い付けて、ここまで運ばせるわけにはいかないの? 私、テウマ峠の村長に頼んで、そういう流通のコネを回してもらってもいいわよ……?」
レイラが居ても立ってもいられないといった様子で、俺の袖を引いた。
「いや、それは絶対にダメだ」
俺はレイラの手を、静かに、しかしきっぱりと押しのけた。
「え……? どうして? 目の前でみんな、あんなに困っているのよ!?」
「今ここで、外部から与えられた潤沢な食料や物資をタダで配ってみろ。村人たちは汗を流すのをやめ、自分で生きる方法を考えるのをやめ、ただ次の配給を口を開けて待つだけの存在になる。そして、その支援が何らかの理由で止まった瞬間、彼らは前以上の絶望の中で全滅するんだ」
俺は、一番最初に訪れたルタ村の景色を思い出していた。
あの時も、俺たちは何か特別な奇跡に頼ったわけじゃない。
村人たちと一緒になって、容赦ない自然の中で、ドロドロに汚れ、泥にまみれて汗水を流しながら、一本の苗木を自分たちの手で植えて育てたんだ。
だからこそ、あの村の人間は今でも自分の足で立って生きている。
「何でもかんでも与えることが、良い援助じゃないんだ、レイラ。現地の人間が、自分たちの手にあるものを使って、自分たちの知恵で維持し続けられる持続可能な仕組みを作らなきゃ、何の意味もない。外部からの安直な善意は、時にただの麻薬になるんだよ」
「カイ……」
俺の厳しい眼差しと、技術者としての揺るぎない哲学に、レイラは言葉を失い、差し伸べようとした手をそっと引っ込めた。
「ふん。相変わらず、へそ曲がりで頑固な男だねえ、お前は」
乾いた風に乗って、聞き覚えのある「幻聴」が聞こえた気がした。
誰よりも泥臭くあがいていた、あの無類の温泉好きの幼馴染の少女の幻影が。
「カオル……お前なら、この白い土を見てどうする?」
俺は立ち上がり、白い塩に塗れた土漠の真ん中で、ゆっくりと腕をまくった。
外部からの甘えなんて一切要らない。
この灼熱の砂漠を、俺たちの泥臭いローテクと知恵だけで、二度と移動する必要のない「不滅の定着オアシス」に変えてやる。
環境コンサルタント・カイの、砂漠の塩との孤独な戦いが、今ここに幕を開けた。




