第1話 未開の地と相棒
目を開けると、見知らぬ天井だった。
土と藁でできた、手作りの粗末な屋根。
(ここは……?)
背中には硬い木のベッド。土の匂いがする。
起き上がろうとして、全身の軋むような痛みに顔をしかめた。
「あ、動いちゃダメ!」
声がした。
見ると、褐色の肌をした少女が立っていた。
十七、八歳くらいか。
ボロボロの麻布のような服を着ている。
言葉は明らかに日本語ではない。
だが、その意味が、俺の頭の中に直接響いてきた。
(……翻訳機能か? これも、このデバイスの影響か……)
「お水、飲む?」
少女が差し出した木組みのコップを受け取り、喉に流し込む。
「ここは……どこだ?」
「ルタ村よ。村の外れで倒れていたの。私が運んだのよ」
俺は滝壺での激しい水飛沫と、重力の異常、そしてカオルの叫び声を思い出した。
(滝から落ちて、どこか下流に流されたのか……?)
「ありがとう。助かったよ」
「私、レイラ。あなたの名前は?」
「俺は……」
名乗ろうとして、息が詰まった。
自分の名前が、思い出せない。
(なんだ……? 頭でも打ったのか?)
滝の光景。
カオルの顔。
灼熱の大地での仕事。
全て覚えているのに、「自分の名前」だけが意図的にくり抜かれたように消え去っている。
「……思い出せない。自分の名前だけが、わからないんだ」
「そうなの……。じゃあ、思い出すまで私が呼ぶための名前をつけてもいい?」
レイラは考え込むような仕草の後、不思議そうな顔で言った。
「……そうね、『カイ』なんてどう?」
「カイ?」
その響きを耳にした瞬間、胸の奥で何かが静かに弾けた気がした。
なぜだ。なぜ、この響きにこんなにも懐かしさを覚える?
「……いい名だ。どこかで聞いたような気がする」
「本当? 村の古い言い伝えにね、大昔、この干上がった大地に緑と雨をもたらした創生主がいるの。その人の名前が『カイ』なのよ。あなたにも、早く元気になってほしいから」
創生主の名前。
ただの偶然だろうが、悪い気はしない。
「わかった。今日から俺はカイだ。よろしく頼む、レイラ」
「ええ、よろしくね、カイ!」
レイラが笑う。
俺はふらつく足で立ち上がり、壁にある小さな窓の外を見た。
(俺が流された場所がアフリカの別の村なら、カオルを探しに行かないと……)
だが、視界に飛び込んできたのは、ひび割れた赤茶けた大地だった。
草の根一本残っていない、無惨に剥き出しになった巨大な岩山。
ここは地球なのかと疑いたくなるほどの、完全な「死の山」だ。
(極度の土壌劣化……完全な砂漠化だ。これでは、この村自体が長くない)
「ひどい荒れ方だな。放牧のしすぎか?」
「ええ……もう何年も雨が少なくて」
レイラが悲しそうにうつむく。
その時だった。
『ピロリン♪ おはようございます、マスター!』
不意に、底抜けに明るい機械音が脳内に響いた。
左手首の安い腕時計が、いつの間にか黒くて分厚いデバイスに変異している。
そこから光が放たれ、空中に銀色の球体のホログラムが映し出された。
『バイタルサイン安定! 未開エリアの環境スキャン完了! さあマスター、いよいよこの星のテラフォーミングを開始しましょう!』
「……星? テラフォーミング?」
あまりに空気を読まない陽気な声に、俺は呆れ、思わず声に出して突っ込んだ。
「ここは地球だろ。ただの緑化だ。SF映画の観すぎじゃないか?」
『おっと失礼! 我々のような高度な知的存在から見れば、未開の地の環境作りはすべてテラフォーミングと呼ぶのが業界の――』
『ブツッ。ピィー……【通信ノイズ・該当発言ヲ削除シマス】』
突如、脳内の声が冷たい機械音によって強制的に遮断された。
(……なんだ、今の?)
ただのノイズじゃない。
外部のシステムが、左腕のデバイスの発言を強制的に検閲したような不気味さがあった。
「……いきなり自分の腕を見つめて独り言を言ってどうしたの?」
レイラが不思議そうに覗き込む。
このホログラムも、ふざけた声も、今のところ俺にしか認識できていないらしい。
「いや……なんでもない」
窓の外の死んだ山を見る。
意図的に消された名前。
高度な知的存在。
謎の通信ノイズ。
(この世界……絶対に何かがおかしい)
その疑念は確信に近かった。
だが、まずは身体を動かし、情報を集めるしかない。
前の世界で培った知識と経験。
そして、あの村で一度は成功させた緑化の記憶。
「レイラ、少し外を案内してくれないか。まずは……土の状態が見たい」
左腕のデバイスが、ピッと短く電子音を鳴らした。
まるで、返事をするように。




