1周年記念SS その4 楠本加奈子の述懐
1周年記念SS 第4弾は薫が不在の間の事務所メンバー
本日、神崎先生は探索者ギルド日本支部へ向かって留守だった。スケジュールの調整が大変だったが、先生の優先順位の一番上は秋人くんなので、仕方ない。
私は楠本加奈子。この事務所の最古参メンバーで、いわゆるパラリーガルというやつだ。所長がいない場合の鍵開けは私なので、今朝は一番最初に出社した。
「おはようございまーす」
最初に入ってきたのは新米弁護士の小林くん。彼は弁護士資格をようやくそろえて、あとは実務経験を積むだけ・・・というレベルを少し超えようやく「我は弁護士なり」と名乗れるようになった新米君だ。でも私のような事務員をしっかり先輩として立ててくれるし、明るくて朗らかな青年だ。まあ、どうして加藤法律事務所のような突飛なところに就職したのかは謎だけど。気のいい好青年である。
「おはようございます!楠本さん!すいません!遅くなちゃって!!」
慌てて飛び込んできたのは小林茜だ。さきほどの小林くんと苗字は一緒だけど、兄妹でも夫婦でもなく全くの偶然。
「よくある名前だしー」
と茜は笑った。
最近はだいぶ大人しいメイクや服装になってきて、口調も必死に直そうとしているが、元はがっちがちのギャルだった。神崎先生が持ち前のいつものやつで拾ってしまった探索者の女性で、珍しく、本当に珍しく神崎先生に惚れてない若い女性だ。
つい理由を聞いてしまったのだが、彼女にとって先生は「神様」か「神様のお使い」のように神聖なものなので、恋愛対象にはならないとのことだった。わかるような、わからないような。
「推しは恋人じゃなくて、スマホの中でいいって感じー」
とデコデコしたスマホを見せながら教えてくれた。先生と秋人くんの隠し撮りがたくさんあったので、個人で楽しみなさいよとだけ忠告しておいた。
「おはようございます」
今度はシュッとしたイケメンが出社してきた。金子達也。神崎先生と大学同期の青年で敏腕弁護士だ。企業案件が得意でやたらと金にうるさい。しかし、おそらく神崎先生がうちの事務所で一番頼りにしている人だ。有能で判断力も早く経験値も豊富。ただ、弟さんがあまり体の調子がよくないらしく、時々休みをもらっている。
「変わりますよ」
と掃除をしていた私の手から掃除機を受け取り、さっさと私や茜ちゃんでは手の届かない場所を綺麗にしてくれた。こういう気のつきかたは男ではなかなかいないので貴重だ。
アルバイトの当夜くんは神崎先生の護衛が本業なので、一緒にギルドに行っているので、今朝のメンバーはこの四人だ。
加藤法律事務所は朝は10分の掃除から始まる。全員で行うのだが、茜ちゃんは当初女性だけでやるものだと思っていたらしい。
「うちは全員参加」
という神崎先生の言葉にひどく驚いていた。
「まじかーーーーー」
席に着く小林くんの口からため息が盛大に漏れた。小林くんのデスクの上にはきちんとそろえられた書類がクリップで止められて詰んである。今度の公判の資料だろう。
先週彼が探していたのだが、タイムアップしたのだ。うちはかなりのホワイト企業なので、残業はなしだ。いや、昔はあったのだ。神崎先生だけ。今は秋人くんの帰宅に合わせてほぼ残業をしないので、家でやってるらしい。
所長が休日返上で資料を作成しておいてくれているのを、週明けにデスクの上で発見した新米弁護士というのは、なかなかにメンタルが辛い。小林くんが胃を抑えて短く呻いた。
別に神崎先生はそのくらいのことで何を言うでもないが、普通にしんどい状態なのは理解できる。
「可哀想に」
とぽつりと呟いた金子と一瞬目が合った。
有能な上司の元で自己嫌悪する部下のフォローも同僚の勤めだ。私は小林くんに声をかけに行った。
「おはようございます」
十一時を回る頃出勤してくるのは嘱託の小島先生だ。もう72歳なのでそろそろ引退したいといつもぼやいているが、それでもこうして週3回はやってくる。
特に神崎先生が留守の時は必ず出勤してきてくれるのでありがたい。加藤法律事務所の生き字引、ご意見版、良心と言われるおじいちゃんだ。
「青葉薬品によってきたから遅くなったよ。はい、これ」
「ありがとうございます」
小林くんの担当案件だが、向こうが新米すぎて若干引いているのだ。そこへベテランがついているぞと顔見せしに行ってくれたわけである。本当にありがたい。
加藤先生が遺言で事務所を神崎先生に譲ったことで、三人ほどいた年配の弁護士は辞めてしまった。当時、小島先生も彼らに一緒に辞めて新しい事務所を作ろうと誘われていたらしいが、彼は断った。
「加藤が何も考えずにそんなことをするわけがない。理由があるはずだ。それがわからないうちは事務所は辞めない」
と彼らに啖呵を切っていたのをたまたま見かけた。その言葉通り、今も神崎先生を陰に日向に支えている。
「今日は所長は休みかな」
「はい。ギルドへ行ってます」
と私が答えると、彼は渋い顔をした。
「はあー。まったくあの組織は人使いが荒いな。薫は弁護士なんだ。もう少し気を遣って欲しいね」
ため息を吐きながら緑茶を啜る。
「楠本さん、薫の仕事をいくつかこっちでできそうなのを持って来れるかね?」
「はい」
神崎先生が過労で倒れた時に、一番ショックを受けていたのは小島先生だった。先生は去年肺炎を拗らせて長く入院していた所為で嘱託へ移行したのだが、そのことを激しく後悔していた。小島先生はおそらく加藤先生から神崎先生を預かったつもりだと思う。いつも彼のことを気にかけていた。
「今度はなんのトラブルだろうねぇ」
危ないことはしないで欲しいよ…という彼の言葉はここにいる全員の本音だ。
神崎先生が婚約者に殺されかけて、それを助けてくれたのが3S探索者の如月秋人少年だった。ここまではまあいいだろう。よくある…訳はないが、ない話でもない。しかし、その時の特殊な状況で先生まで探索者になって、しかもSランクになったとかもはやおとぎ話だ。
おかげで先生は慣れない荒事に駆り出されている。心配なのは私たちは一度そういう暴力沙汰で所長を失っているのだ。
加藤哲也は私の憧れの人だった。強くて逞しくてかっこいい。人情家だが有能な法律家だった。腕っぷしも強くてヤクザやチンピラなど足元にも及ばない男だった。そりゃあ惚れないはずがない。加藤は女癖が悪かったが、そういうところも含めてあの当時の「男」らしい男だった。毒親で困っていた私を雇ってくれて、生活できるようにしてくれたのも彼だった。
まあ、振られたけどね。年が違いすぎた。彼にとって私は小娘でしかなかった。今は優しい旦那様と三人の男の子に恵まれてとても幸せなのだが、それでもやはり忘れられない恋だ。
その彼が事務所で血まみれで殺され、第一発見者が神崎先生とかいう地獄で、私たちは川に流された笹の葉のように右往左往するしかなかった。
気がつけば、事務所にはほとんど人がいなくなり、神崎先生は狂ったように手がかりを探して駆けずり回っていた。
私は生まれて初めて人を殴った。しっかりしろと怒鳴った。それ以来、神崎先生は落ち着きを取り戻したかに見えたが、実は全然そうじゃなかったんだと最近思い知った。
秋人くんのご両親が加藤先生と親交があり、どうもその線があの惨劇を招いたのではないかと言う疑念があるようだ。
神崎先生は自分の仕事をこなしつつ、探索者の仕事も請け負い、秋人くんの保護者としても精一杯努めた後、その線を追い続けている。
そんなのどれほど超人でも無理な話だ。倒れたと聞いた時には少しほっとしたくらいだ。熱を出して起きられないくらいならどうってことない。けれども、命を失えば戻ってはこないのだ。
最近、時々私のPCに不思議なメールが届く。神崎先生が無茶してそうなタイミングで実に絶妙なアドバイスや資料が届くのだ。最初は情報漏洩かと思ってすぐに神崎先生に相談したが、彼はひどく困ったような顔をしてから
「これは大丈夫なアドレスです。言うこと聞いてあげてください」
と切なそうな、懐かしそうな顔で私にきたメールを眺めた。
「俺にはくれないのにな」
と小さく呟いた声が僅かに耳を掠めた。
今も昔もここには加藤先生の影が息づいており、誰しもが不安を抱えている。神崎先生が同じ運命に絡め取られないかと心配している。
それでも、やめろとは言えない。それは彼を殺すに等しいことだ。案外あの二人は似ている。外見はまったくといっていいほど似ていなかったが、魂のあり方が似ているのだ。
「親子みたいね、ほんと」
私は小さくため息を吐き、メールのアドバイスに従って資料を整えるのだった。
1周年記念SS 第四弾は薫以外の事務所メンバーでした。
おお、こういうリクエストがくるとは思っておりませんでした。なるほど!
書いていてすごく楽しくて、とりとめなくなってしまったので、無理やり切ってしまった。
おじいちゃん先生初お目見え。三人くらいいる予定だったんですが、まあおそらく本編には出てこないのでお一人で。
メールの発信者はご想像の通りです。楠本さんの初恋が加藤先生だってやっと出てきた。長かった。
葉翠様、リクエストありがとうございました。




