圧死
サーリャの元へ、ソラたちも合流した。
森にはまだ戦闘の余韻が残っている。地面には抉れた跡、焼け焦げた木々、そして消えかけた魔力の残滓。そんな中、ノマは何事もなかったかのように剣を鞘へ収めながらサーリャへ声をかけた。
「どうだった?」
サーリャは肩についた土を払い、ため息混じりに答える。
「手応えもなかった」
その言葉に、ソラは思わず息を呑んだ。
魔族。それは普通の人間なら遭遇しただけで死を覚悟する存在。なのにこの二人は、まるで雑務でも片付けたかのような表情をしている。
――これが、この世界の頂点。
ソラは改めて、自分との圧倒的な差を実感した。
イリーナも腕を組みながら小さく感心している。
「へぇ……直接は見てないけど、サーリャもかなりやるじゃない」
その時だった。
背後から、空気そのものが凍りつくような魔力が溢れ出した。
騎士団の何人かが反射的に振り返る。ソラも背筋に悪寒が走った。
「おいおい、どこに帰ろうとしてるんだ? お前らは」
低く、楽しげな声。
そこに立っていたのは、黒い羽を生やし、全身から闇の粒子を漂わせる精霊だった。
その姿を見た瞬間。
ソラだけではない。騎士団、そしてノマとサーリャでさえ冷や汗を流した。
本能が理解していた。
“格が違う”と。
そんな中、イリーナだけが表情を変える。
いつもの柔らかな笑みは消え失せ、氷のような視線を向けていた。
黒い精霊は肩をすくめる。
「まさかあれが倒されるとは思わなかったなー」
“あれ”。
おそらく先ほどの魔族のことだ。
ノマが前へ出ようとした瞬間、イリーナが静かに口を開いた。
「……このゲートが開くことを予想していたのね」
その瞳が細くなる。
「死の精霊――ユウリ・イエラス」
場の空気が止まった。
死の精霊。
その単語だけで、騎士団の顔色が変わる。
ソラの脳裏に、ルルクスの言葉が蘇る。
神、生、死、闇、光。
第五原初精霊の序列。
つまり目の前の存在は、イリーナよりも上位。
それも圧倒的に。
ユウリが何かを話し始めようとした、その瞬間だった。
地面が爆ぜる。
ノマが消えた。
否、速すぎて見えなかった。
次の瞬間にはユウリの目の前へ踏み込み、ミカエルを振り下ろしていた。
だが。
斬撃が届くより先に、血が舞った。
「……っ!?」
騎士団全員の顔に戦慄が走る。
ノマの右腕が宙を舞っていた。
いつ斬られたのか誰にも見えない。
ノマの身体はそのまま吹き飛ばされ、大木へ激突する。轟音と共に木が折れ、ノマは動かなくなった。
「ノマ!!」
サーリャが叫ぶ。
その一瞬の隙。
ユウリの姿が掻き消えた。
気づいた時には、サーリャの懐へ入り込んでいた。
「遅い」
鈍い衝撃。
サーリャの防壁が砕け散る。
物理攻撃耐性防壁すら貫通し、サーリャは地面を転がった。
なんとか意識は保っている。
だが立ち上がれない。
その光景に、騎士団の心が折れ始める。
絶対的だった二人が、一瞬で。
誰も動けない。
そんな中。
前へ出た者がいた。
ソラとイリーナだ。
ソラは霊剣を握りしめる。
震えている。
怖い。
本能が逃げろと叫んでいる。
それでも、一歩踏み出した。
ユウリがニヤリと笑う。
「へぇ、人間にしてはいい目してるじゃん」
次の瞬間、ユウリが消えた。
鋭い爪がソラの首を裂こうとする。
しかし。
それは空を切った。
ユウリの目が僅かに見開く。
ソラは数十メートル先にいた。
ソラ自身も理解できていない。
何が起きたのか。
イリーナを見る。
するとイリーナは、優しく笑った。
「私の固有魔術式、“光速”」
光の粒子が周囲を漂う。
「あらゆる現象を光速に変えることができるの。物体、思考、時間――全部ね」
ソラの視界が変わる。
世界が遅い。
風も、音も、ユウリの動きすら。
今、ソラは光速領域へ踏み込んでいた。
イリーナも霊剣を生成する。
その瞬間、姿が消えた。
轟音。
ユウリの頬が裂ける。
さらにソラが翡翠色の炎を纏い、斬撃を叩き込む。
緑炎が森を焼く。
ユウリはそれを避けながらも、徐々に表情を歪めていった。
怒り。
それが積み重なっていく。
やがて。
「……調子に乗るなよ」
ユウリが両腕を広げた。
瞬間。
黒い結界が世界を侵食し始める。
空が黒く染まる。
草木が枯れる。
生命そのものが死んでいく。
イリーナの顔色が変わった。
「まずい!!」
ソラの腕を掴み、結界の外へ逃がそうとする。
だが。
指先が届かない。
ソラの身体は、黒い結界の中へ飲み込まれた。
「ソラァァァッ!!!」
イリーナの叫びが響く。
しかし返事はない。
死の結界。
ユウリの内包する“死”そのもの。
そこへ入った生物は、例外なく死ぬ。
生命活動を許されない。
ソラの姿は黒に飲まれ、見えなくなった。
イリーナの呼吸が止まる。
理解してしまった。
ソラが死んだ。
長い孤独の中で、初めて自分を理解し、笑いかけてくれた存在。
失いたくなかった存在。
その瞬間。
ぷつり、と。
イリーナの中で何かが切れた。
次の瞬間。
世界が震えた。
森が揺れる。
大地が軋む。
空間そのものが悲鳴をあげる。
パークス全土を覆い尽くすほどの、膨大すぎる魔力が解放された。
騎士団が膝をつく。
サーリャが目を見開く。
ユウリですら笑みを消した。
イリーナの瞳が、黄金色に染まる。
その背後に、巨大な光輪が浮かび上がった。
神々しい光。
だがそこにあるのは慈悲ではない。
純粋な“怒り”。
洞窟の奥深く。
静かに座っていたルルクスが、その魔力を感じ取り、目を細める。
そして、小さく呟いた。
「……目覚めたか」
その声はどこか懐かしむようで。
同時に、畏れているようでもあった。
「四神が――」




