対魔
ウィパルの表情が歪む。
怒り。
困惑。
そして、初めて感じる“理解できないもの”への恐怖。
「……ッ!」
ウィパルは即座に後方へ飛び退いた。
だが、その瞳はなおもノマを睨み続けている。
ノマは肩に剣を担ぎ、淡々と口を開いた。
「警戒するのはいい判断だ。魔族にしては頭が回るらしい」
挑発。
しかし、その声には余裕しかない。
それがさらにウィパルの神経を逆撫でした。
空気が震える。
次の瞬間、ウィパルの周囲に無数の魔法陣が展開された。
紫色の紋様が空中を埋め尽くし、水が渦を巻く。
一本、二本ではない。
槍、剣、斧、鎌――。
あらゆる武器が水から形成され、空を覆い尽くしていく。
騎士団の誰かが息を呑んだ。
「な、んだ……あの量……」
ソラも言葉を失う。
魔力量が桁違いだ。
一つひとつの武器に高密度の魔力が込められている。
あれが一斉に放たれれば、森どころか街すら消し飛ぶ。
ウィパルはゆっくりと両手を広げた。
その顔には怒りと嗜虐的な笑みが混ざっている。
『──死ね』
瞬間。
空が落ちた。
数万を超える水の武器が、轟音と共にノマへ降り注ぐ。
地面が砕け、木々が吹き飛び、暴風が周囲を揺らした。
ソラたちは思わず腕で顔を庇う。
爆音。
衝撃。
砂煙。
視界が完全に閉ざされる。
騎士たちの間に緊張が走った。
だが。
イリーナだけは、退屈そうにため息をつく。
「終わったわね」
その言葉と同時だった。
――閃光。
青い一筋の光が、煙の中を駆け抜けた。
次の瞬間。
ドゴォォンッ!!!
空気そのものが裂けたような轟音。
煙が真っ二つに割れる。
そこに立っていたのは――ノマだった。
傷一つない。
その手には、青く輝く対魔剣ミカエル。
そして。
ウィパルの目の前に、ノマは立っていた。
「……え?」
ウィパルの声が漏れる。
理解が追いついていない。
自分の攻撃は確かに命中した。
逃げ場などなかった。
それなのに。
ノマは静かに笑う。
「遅いな」
その一言。
直後、ウィパルの周囲に浮いていた数万の武器が、一斉に崩壊した。
形を失い、水となって地面へ落ちていく。
ぱしゃり、ぱしゃりと雨のような音が響く。
「ミカエルに触れた魔法は、魔法式そのものが壊れる」
ノマは剣を軽く振る。
「つまり、お前の魔法は俺には通じない」
ウィパルの顔から笑みが消えた。
代わりに浮かんだのは、明確な殺意。
ウィパルの怒りは、ついに限界を超えた。
紫色の魔力が爆発的に膨れ上がり、大地が軋む。
森の木々が吹き飛び、空気そのものが震えていた。
ソラは思わず息を呑む。
これまでとは次元が違う。
“本気”。
そう呼ぶに相応しい魔力だった。
ウィパルの周囲に、水が渦を巻く。
それはやがて形を変え、巨大な槍となる。
一本ではない。
十、百、千――。
瞬く間に天を覆い尽くすほどの数へと増殖していく。
先ほど放った槍など比較にもならない。
一本一本に圧縮された魔力が込められており、存在しているだけで周囲の空気が悲鳴を上げている。
騎士団の誰かが震えた声を漏らす。
「……こんなの、避けられるわけ……」
数千。
いや、数十万。
まるで空そのものが武器へ変わったような光景。
ウィパルは荒い呼吸をしながら、狂気じみた笑みを浮かべた。
『消えろ』
その瞬間。
数十万の槍が、一斉にノマへ向かって放たれた。
轟音。
視界が紫色に染まる。
あまりの速度に、ソラですら認識が追いつかない。
だが――。
ノマは動かなかった。
ただ静かに、ミカエルをウィパルへ向ける。
「終わりだ」
刹那。
閃光が走った。
世界が、一瞬白く染まる。
次の瞬間には。
ノマがウィパルの目の前に立っていた。
ソラの目が見開かれる。
いつ移動したのか、誰一人理解できなかった。
そして。
空を埋め尽くしていた数十万の槍が、全てその形を失っていた。
パキパキと音を立てながら崩壊し、水へ戻っていく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
雨のように地面へ落ちる水。
静寂。
ウィパルは理解できず、目を見開いたまま固まっていた。
驚く暇すらなかった。
気づいた頃には。
ミカエルが、その胸を貫いていた。
「――ぁ」
ウィパルの口から声にならない音が漏れる。
心臓を貫かれた部分から、青い光が広がっていく。
その体が徐々に崩れ、灰へ変わっていった。
ノマは静かに剣を握ったまま言う。
「ミカエルの効果はもうひとつある」
淡々とした声。
「それは単純だ」
ノマの目が細くなる。
「魔族への特攻力」
ウィパルの瞳が揺れた。
「相性最悪だったんだよ」
その言葉を最後に。
ウィパルの体は完全に灰となり、風に乗って消えていった。
残されたのは静寂だけ。
騎士団も、ソラも、誰一人言葉を発せない。
ただ一人。
ノマだけが、何事もなかったかのようにミカエルを鞘へ納めた。




