閑話:アバンの忙しい1日
アバンの一日は、長い。
朝。
まだ空が薄暗い午前五時。
重い瞼をゆっくりと開く。
「…………」
視界に入ったのは、天井ではない。
紙。
紙。
そして紙。
山積みになった資料だった。
アバンはしばらく無言でそれを見つめ――静かに絶望する。
体を起こす。
寝ていたのはベッドではなく、仕事部屋のソファーだった。
昨夜、いや今日の深夜まで仕事をして、そのまま力尽きたらしい。
「……帰りたい」
自分の家なのにそんなことを呟きながら、再びソファーへ沈み込む。
二度寝である。
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午前六時。
ドンドンドン!!
「起きてくださいアバン様ァ!!」
背中に衝撃。
「ぐぇっ……」
半分魂が抜けたような声が漏れる。
目の前にいたのは秘書のフランネだった。
金髪を後ろでまとめ、分厚い書類を抱えている。
アバンは再び目を閉じる。
だが。
「はい閉じない」
フランネの指が容赦なく瞼をこじ開けた。
「人権」
「ありません。今日も予定パンパンです」
「辞職したい」
「却下です」
即答だった。
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六時十分。
半強制的に洗面所へ連行される。
「顔洗ってください」
「……冷たい……」
「目覚ましてください」
バシャッと水を被る。
少しだけ脳が起動し始めた。
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六時三十分。
ようやく身支度。
スーツに袖を通す。
ネクタイを締め、髪を軽く整える。
ワックスで前髪を流したところで、フランネが頷く。
「はい、いつものイケメン完成です」
「その言い方やめろ」
「事実です」
さらっと言う。
アバンはため息をつきながら部屋へ戻った。
すると。
「…………多くないか?」
机いっぱいに並ぶ料理。
パン、スープ、卵料理、サラダ、肉料理、果物。
朝とは思えない量だった。
フランネは胸を張る。
「朝の栄養管理です」
「いや量」
「必要量です」
「相変わらず基準がおかしい」
眠そうな顔のままソファーに座り、食べ始める。
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七時。
歯磨き。
その間にも仕事は止まらない。
片手でスケジュール表を確認する。
「……視察、会談、学園、地下街……」
「今日は比較的軽いですよ」
「どこが?」
「深夜会議がありません」
「基準バグってるだろ……」
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七時半。
地上都市フリッス。
朝の街並みを歩く。
まだ店も開き始めたばかりだ。
だが、アバンを見ると市民たちが次々と声をかけてくる。
「アバン様ー!」
「この前の件ありがとうございました!」
「地下街の電灯すごく便利です!」
アバンは足を止め、その一人一人に丁寧に返す。
「困ったことがあったらまた言ってくれ」
「体調には気をつけて」
「子供だけで危ない場所行くなよ」
その姿に、フランネは少しだけ微笑む。
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八時。
魔法電線の視察。
街中を歩き、魔力供給の安定性を確認していく。
電線に触れ、魔力の流れを見る。
「東側、少し出力落ちてるな」
「管理会社には伝達済みです」
「早いな」
「秘書なので」
当然のように返す。
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九時。
管理会社との面談。
応接室。
資料を並べながら、未設置地区について話し合う。
「東地区への敷設を進めたい」
「ですが予算面が――」
「こちらで一部負担する」
「……!」
相手の表情が変わる。
アバンは時計を見る。
次の予定まで、あと二時間。
(急がないと)
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十一時。
詳細決定。
契約成立。
握手を交わす。
「よろしくお願いします、アバン様」
「ああ、頼む」
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十一時十分。
次の目的地。
聖ルッツ学園。
正門前では、学園長のルッツ・マーセナスが待っていた。
「お待ちしておりました」
「久しぶりだな、ルッツ」
「相変わらず忙しそうですね」
「笑えないくらいには」
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十一時三十分。
応接室。
今後の学園方針についての会談。
地下街との教育提携。
新魔鉱石による実習。
留学制度。
次々と議題が飛び交う。
アバンは資料を読み、判断し、指示を出していく。
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午後一時。
話し合い終了。
握手。
「有意義な時間でした」
「こちらこそ」
学園を後にする。
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午後二時。
ようやく昼食。
地下街のうどん屋。
「おっちゃん!肉うどん特盛!肉増し!トッピング全部!」
フランネが元気よく注文する。
店主が笑った。
「今日も豪快だねぇ嬢ちゃん!」
一方。
「ざるそば」
アバン。
フランネが固まる。
「…………は?」
「いや、ざるそば」
「うどん屋ですよ?」
「だから?」
「うどん屋でそば頼むんですか!?」
アバンは箸を割りながら答える。
「本格的なうどん屋で食うそばほど美味いものはない」
「意味がわからないです」
「人生経験だ」
「絶対違います」
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午後四時。
仕事部屋へ帰還。
そして待っているのは。
山積みの資料。
「…………」
無言。
現実逃避。
「アバン様」
「……はい」
「頑張ってください」
「他人事みたいに言うな」
ペンを取る。
そこから先は地獄だった。
書類確認。
決裁。
会議記録。
契約書。
修正。
確認。
署名。
また署名。
夜ご飯を食べながらも手は止まらない。
気づけば深夜二時。
アバンは最後の資料へサインを書き終える。
「終わっ……た……」
力尽きるようにソファーへ倒れ込む。
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そして。
寝るのは午前三時。
数時間後にはまた朝が来る。
――これが。
忙しすぎる男、アバンの日常である。




