真獣
広大な草原を、馬車はゆっくりと進んでいた。
どこまでも続く緑。
揺れる草の波。
遠くには、小さく森の影が見える。
空は高く、雲がゆっくりと流れていた。
穏やかな時間だった。
馬車の中では、ソラたちが思い思いに過ごしている。
「なあパークスってさ、水の上に街があるんだろ?」
イナミが身を乗り出して言う。
「完全に水上都市ってわけじゃないが、水路が張り巡らされてるらしいな」
ドミニクが答える。
「船とか普通に使うって聞いたことある」
「えー、楽しそうじゃん!」
イナミはすっかり旅行気分だった。
ソラはそんな二人の会話を、どこか落ち着いた様子で聞いている。
時折、短く相槌を打つ程度。
その一方で。
馬車の隅。
レアは静かに座っていた。
膝の上には、小さな黒い影。
ミミが、すやすやと気持ちよさそうに寝転んでいる。
レアの手が、ゆっくりとその背を撫でていた。
優しく。
一定のリズムで。
その表情は――
ほんのわずかに、和らいでいる。
無機質だったはずの顔に、微かな温度が宿っていた。
「……」
ソラはその様子を一瞬だけ見る。
だが何も言わず、視線を戻した。
馬車の中には、穏やかな空気が流れていた。
――その時だった。
「……ワフッ!」
ミミが、ぱっと目を覚ました。
そしてすぐに、外へ向かって吠える。
「ワフ!ワフッ!」
「ん?」
イナミが首をかしげる。
「どうしたんだよ」
ミミは落ち着かない様子で、外を見続けている。
レアも視線を向けた。
「……何かいる」
小さく呟く。
ソラも窓の外へ目を向ける。
遠く。
草原の向こう側。
――土煙。
「……なんだあれ」
ドミニクが眉をひそめる。
その瞬間。
ピーッ!!
鋭い笛の音が響いた。
「外へ出ろ!」
ハバープルの声。
空気が一変する。
「タペストだ!」
その一言で、全員が動いた。
馬車が止まる。
生徒たちが一斉に外へ飛び出す。
風が強く吹き抜ける草原。
遠くの土煙は、こちらへ向かってきていた。
そして――
その先頭。
見えた。
「……鳥?」
イナミが目を細める。
そこにいたのは、一匹の巨大な鳥。
長い脚。
細い首。
その姿は、まるでダチョウのようだった。
だが。
ただの動物ではない。
ドミニクが即座に口を開く。
「あれはガガークスだ」
冷静な声。
「D級のタペスト」
「え、弱いのか?」
イナミが聞く。
ドミニクは首を横に振る。
「ランクは低いが――」
視線を細める。
「あの移動速度は、タペストの中でもトップクラスだ」
実際。
ガガークスは凄まじい速さで地面を蹴っていた。
一歩ごとに土煙が上がる。
一直線に、こちらへ向かってくる。
その時だった。
「――ワフッ!!」
ミミが、勢いよく鳴いた。
次の瞬間。
レアの膝から飛び降りた。
「あ……!」
レアが手を伸ばす。
だが、間に合わない。
ミミはそのまま、一直線に駆け出した。
ガガークスの方へ。
「ちょ、おい!?」
イナミが叫ぶ。
「待てミミ!」
レアもすぐに走り出そうとする。
だが――
「待て」
ハバープルが手で制した。
「……!」
レアの足が止まる。
「行かせていい」
落ち着いた声。
「え?」
イナミが振り返る。
その間にも。
ミミは加速していく。
小さな体。
だが、その動きは速い。
ガガークスも、迫る小さな影に気づいた。
「ギャアアッ!!」
甲高い鳴き声。
そのまま、突進。
真正面からぶつかる。
――衝突。
次の瞬間。
吹き飛んだ。
だが――
「……は?」
イナミが間の抜けた声を出す。
吹き飛ばされたのは。
ガガークスの方だった。
巨大な体が宙に浮き、地面を転がる。
土煙が舞う。
一方。
ミミは――
ぴたりとその場に立っていた。
何事もなかったかのように。
「……」
誰も、声を出せない。
レアも。
ソラも。
ドミニクも。
ただ、その光景を見ていた。
やがて。
ハバープルが、静かに口を開く。
「体が小さくなったとしても」
全員の視線が集まる。
「持っている魔力と身体能力は変わらない」
ゆっくりと、言い切る。
「あれは見た目こそ子犬だが」
一拍。
「中身は、正真正銘のB+級――ケルロスだ」
その言葉に。
全員が、納得した。
「……なるほどな」
ドミニクが小さく呟く。
イナミは苦笑する。
「いや、やばすぎだろ……」
その時。
「ワフッ!」
ミミが元気よく鳴いた。
そして――
レアの元へと駆け戻ってくる。
尻尾を大きく振りながら。
まるで、「どうだ」とでも言いたげに。
レアはその場にしゃがみ込む。
そして、ミミを見る。
その顔には――
はっきりとした驚きが浮かんでいた。
「……あなた」
小さく呟く。
ミミはにこっとしたように、口を開ける。
「ワフッ!」
元気よく鳴く。
まるで。
“これからもよろしく”とでも言うように。
レアの手が、ゆっくりとミミに伸びる。
そして、そっと抱き上げた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
その表情が――
柔らかくなった気がした。




