黒契
一日目の夜。
馬車は川の近くで停まった。
「今日はここで野営します」
ハバープルの声が響く。
周囲は森に囲まれ、すぐそばを静かな川が流れている。
空には星が広がり始めていた。
生徒たちはそれぞれ馬車から降り、準備を始める。
「薪と草を集めてください。火を起こします」
その指示に従い、皆が散らばっていく。
ソラも無言で森の方へ歩き出した。
隣ではレアが同じ方向へ進んでいる。
「よーし!」
後ろから元気な声。
「どうせなら勝負しね?」
イナミだった。
振り返り、ニヤッと笑う。
「誰が一番薪集められるか!」
「……は?」
ドミニクが眉をひそめる。
「いや意味あんのそれ」
「あるだろ!モチベ的に!」
強引だった。
「ソラもやるよな?」
「いや別に――」
「決定な!」
即断。
ソラは小さくため息をつく。
横を見ると、レアも同じように無表情で立っていた。
(……乗り気じゃなさそうだな)
だが結局。
全員、強制参加となった。
「じゃあスタート!」
イナミが叫ぶ。
それぞれが森の中へ散っていく。
⸻
森の中は、夜の気配が濃くなり始めていた。
ソラは淡々と枝を拾っていく。
乾いたものを選び、束ねる。
無駄のない動き。
(……普通にやればいいだろ)
わざわざ魔法を使うほどでもない。
だが――
「ははっ!見ろこれ!」
遠くでイナミの声。
風魔法で一気に枝を集めているらしい。
ドミニクも土を操作して、埋まっていた薪を引き上げていた。
(……自由だな)
ソラは少しだけ苦笑する。
その時。
「――っ!!」
鋭い叫び声が、森に響いた。
ドミニクの声だった。
ソラの動きが止まる。
次の瞬間。
地面を蹴った。
一気に走り出す。
枝を踏み、風を切る。
(この距離……すぐだ)
魔力で身体を強化し、加速する。
数秒。
視界が開けた。
そこに――
ドミニクがいた。
地面に尻もちをついている。
いつも冷静な表情は消えていた。
明らかに、動揺している。
「……ソラ」
小さく呟く声。
その視線の先。
ソラも、目を向ける。
――いた。
黒い体毛。
闇に溶けるようなその姿。
だが。
二つの赤い光だけが、はっきりと浮かび上がっている。
低く、唸る。
「グルル……」
獣の気配。
ただの動物ではない。
ソラは即座に理解する。
(……ケルロス)
狼に似た魔物。
だが、その存在は“格”が違う。
B+級。
この辺りでは明らかに異常な強さ。
一歩、前に出る。
ドミニクの前に立つ形になる。
ケルロスはゆっくりと首を傾けた。
値踏みするような視線。
(進化前とはいえ……)
油断できる相手じゃない。
むしろ。
(普通の2級でも厳しいレベルだ)
その時。
背後で足音。
「なにが――って、うわ!?」
イナミが追いついた。
状況を見て、顔が引きつる。
「マジかよ……」
空気が一気に張り詰める。
ケルロスが、一歩踏み出す。
ケルロスが地を蹴った。
一直線に、ソラへ。
「来るぞ!」
ソラの声に、全員が反応する。
「ドミニク、下がれ!」
「……っ、ああ!」
ドミニクが後退する。
その間に、ソラが一歩前に出る。
だが――踏み込みは浅い。
(ここで終わらせるのは簡単だが……)
あえて、抑える。
一人で倒す意味はない。
「イナミ、右から回れ!」
「おう!」
「ドミニクは牽制!」
「了解!」
即席の連携。
だが、悪くない。
ケルロスが牙を剥く。
その瞬間――
イナミが風を纏い、側面から突っ込む。
「はあっ!」
鋭い一撃。
だがケルロスはそれを紙一重で回避。
同時に、ドミニクの土の槍が地面から突き出す。
足止め。
一瞬の隙。
そこへ――
ソラの氷弾。
「――ッ!」
直撃。
小さな爆ぜる音。
ケルロスが一歩退く。
(いい連携だ)
ソラは内心で頷く。
このまま押せば――
そう思った、その時。
「グオオオオオオッ!!」
咆哮。
空気が震える。
耳をつんざくような音。
そして――
変化が起きた。
ケルロスの体から。
黒い粒子が、滲み出るように現れた。
ふわり、と。
周囲に漂う。
「……なんだ、それ」
イナミが足を止める。
だが次の瞬間。
「関係ねぇ!」
そのまま突っ込んだ。
拳に風を纏い――
ケルロスへ打ち込む。
触れた。
その瞬間。
――ドンッ!!
爆発。
「うおっ!?」
イナミの体が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
「イナミ!」
ソラが叫ぶ。
イナミはなんとか起き上がるが、顔を歪めている。
「……くそっ、なんだ今の……!」
ソラは目を細める。
(あの黒い粒子……)
すぐに理解する。
「触れるな!」
鋭く言う。
「周囲の粒子、接触で爆発する!」
ドミニクが舌打ちする。
「厄介だな……!」
近接は封じられた。
ケルロスは低く唸る。
黒い粒子が、さらに濃くなる。
近づけば爆発。
だが遠距離だけでは――
「……ソラ!」
イナミが見る。
判断を求める目。
ソラは即座に答えた。
「距離を取れ!」
「遠距離で削る!」
「了解!」
全員が散開する。
距離を取り、構える。
「行くぞ!」
イナミが風刃を放つ。
ドミニクが土の弾丸を連続で撃つ。
ソラも氷の矢を展開する。
三方向からの攻撃。
だが――
ケルロスは軽やかに動いた。
跳ぶ。
捻る。
すべてを避ける。
(速い……!)
回避能力が異常に高い。
そのまま――
突進。
一直線に、イナミへ。
「っ、来た!」
避ける。
だが、ケルロスはすぐに方向転換。
爆発圏内に誘導しようとしている。
「ちっ……!」
ジリ貧だった。
攻撃は当たらない。
近づけば爆発。
このままでは――
その時だった。
背後。
「――展開」
静かな声。
振り向く。
レアだった。
足元に、魔法陣が広がっている。
複雑で、巨大な式。
今まで見たどの魔法よりも緻密。
「……何やってる」
イナミが息を切らしながら言う。
レアは答えた。
「魔法強化結界」
その瞬間。
魔法陣が、光を放つ。
地面一帯に広がる。
円が拡張する。
ソラたち全員を包み込んだ。
空気が変わる。
身体が軽くなる。
魔力の流れが、明らかに違う。
レアが続ける。
「これは私の固有魔術式」
「“結界拡張”」
淡々と。
「この範囲内では――」
一瞬、間を置く。
「味方の魔法と身体能力が上昇する」
ソラの目がわずかに細まる。
(……固有魔術式)
しかも、これは――
(かなり強い)
その効果は一瞬で理解できた。
イナミが笑う。
「はっ、いいじゃんそれ!」
拳を握る。
「行くぞ!!」
次の瞬間。
動きが変わった。
風が鋭くなる。
速度が跳ね上がる。
ドミニクの土弾が重く、速くなる。
ソラの氷も、密度が段違いに上がる。
「――今だ!」
一斉攻撃。
ケルロスが避ける。
だが――
「っ!?」
完全には避けきれない。
一発。
二発。
三発。
徐々に、被弾が増える。
ケルロスが唸る。
黒い粒子が揺れる。
だが。
「押せる!」
イナミが叫ぶ。
さらに加速。
攻撃の嵐。
四方からの連続攻撃。
回避の余地を潰す。
ケルロスの動きが鈍る。
「終わりだ!」
ドミニクの一撃。
「はああああ!!」
イナミの風刃。
そして――
ソラの氷槍。
同時に叩き込まれる。
――ドォンッ!!
煙が上がる。
土煙が視界を覆う。
静寂。
数秒後。
風が、煙を流す。
そこにいたのは――
小さな影。
「……え?」
イナミが声を漏らす。
そこにいたのは。
さっきまでの凶悪な姿ではなく。
黒い毛並みの――
小さな子犬だった。
「……は?」
間の抜けた声。
その子犬は、きょとんとした目でこちらを見ている。
そして――
尻尾を、ぱたぱたと振った。
「いやいやいや待て待て待て!?」
イナミが混乱する。
その時。
「無事か!」
ハバープルたちが駆け寄ってきた。
状況を確認し――
そして、止まる。
「……お前たち」
低く言う。
「ケルロスとやったのか」
ソラたちは頷く。
ハバープルは小さく息を吐いた。
そして、子犬を見る。
「なるほど……」
納得したように言う。
「ケルロスはな」
全員に向けて説明する。
「敗北した相手に忠誠を誓う魔物だ」
イナミが目を見開く。
「え、じゃあこれ……」
「普段はこの姿になる」
ハバープルが続ける。
「そして主に従う」
その視線が、ゆっくりと向く。
――レアへ。
「今回、こいつが従ったのは」
「お前だな」
レアは少しだけ目を伏せる。
子犬――ケルロスが、ててっと近づく。
そして。
レアの足元にちょこんと座った。
完全に懐いている。
「……マジかよ」
イナミが呟く。
⸻
その後。
ケルロス――子犬はテントへと連れて帰られた。
焚き火の前。
皆が座る中で。
レアは、その子を抱えていた。
「……」
無言。
だが。
その手つきは、優しかった。
子犬も嬉しそうに身を預けている。
アイラが覗き込む。
「名前、どうするの?」
レアは少しだけ考えて。
「……ミミ」
短く言う。
「ミミ?」
「うん」
それだけ。
だが。
子犬――ミミは、ぱっと反応した。
「わふっ!」
嬉しそうに鳴く。
そしてレアの周りを、元気に走り回る。
くるくると。
楽しそうに。
その様子を見て。
ほんの一瞬だけ。
レアの口元が、わずかに緩んだ。
小さな――笑み。
それを。
イナミは、見逃さなかった。
「……おい」
小さく呟く。
ニヤッとする。
「今、笑ったよな?」
レアは無反応に戻る。
何も言わない。
だが。
さっきの一瞬は、確かにそこにあった。
イナミは少しだけ笑う。
(へぇ……)
焚き火が揺れる。
夜は、静かに更けていく。




