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「うっわ。どうしたんだ」
クソオヤジが帰って来た。リビングのドアを開けて、開口一番にそう言った。今日はクソ和馬と話し合いだと知っていたはずなのに、今ごろお帰りとは、いいご身分だな。
「なにをどうしたらこんなことになるんだ?」
説明なんかできるわけない。自分でもどうしてこうなったのか、わからないんだから。でも少なくとも、あんたがあきれ顔で言う権利はないはずだ。
「ちゃんと片づけろよ」
三人ともだまっていると、オヤジはしかめっ面でそう言って、リビングには一歩も入らずにドアを閉めた。それからトントンと階段を上がる音が聞こえた。
ぼくは奥歯が割れるんじゃないかというくらい強く噛みしめた。耳のあたりで、ギリっと音がした。
こいつ、ゆるさない。こいつも不倫相手の女も。
殺してやる。
今夜も眠れない。腹がたってしょうがない。ねえちゃんのなにが悪い。いや、悪いけれども。和馬にも腹が立つ。その親にも腹が立つ。クソオヤジにはもっと腹が立つ。
赤ちゃんに障るからとねえちゃんを休ませて、ぼくとママはリビングを片づけた。なにもかもやる気が失せて、散乱したものを機械的にゴミ袋につっ込んだ。それから掃除機をかけ、床を拭いた。
これでいいか。その程度には片付いて、ママと二人でカップラーメンを食べた。
無言のまま、ずるずるとラーメンをすすった。時折、ママが鼻もすすった。ぼくも鼻をすすった。鼻水が出るのは、辛いラーメンのせいだ。
世界中が敵になったような気がした。ぼくとママは二人っきりで、ねえちゃんを守らなくてはいけない。
「受験なのにごめんね」
ママが言った。ぼくは小さくかぶりを振った。
眠れないままベッドの中で、里子と養子を検索した。
里子。仕事と住むところを見つけて、子どもと安定した生活ができるようになるまで、どこかの誰かに育ててもらうこと。
養子。子どもを望む、どこかの誰かに引き取ってもらうこと。戸籍は養父母に入る。養子にも二種類あって、普通養子縁組と特別養子縁組。
普通養子縁組は、戸籍に生みの親の名前が記載されるけれど、特別養子縁組では生みの親の名前は記載されない。つまり、その時点で生みの親との関係はいっさい切れてしまう。
あとから会いたいと思っても、二度と会えない。そういうことだ。
どうなんだ。どれがいいんだ。
わからない。
もし自分で育てるとしたらこの家でだよな。ねえちゃんが赤ちゃんを産む。この家に赤ちゃんが来る。おぎゃあ、おぎゃあと泣くんだよな。この家で。赤ちゃんが。
ぼくもなにかしら手伝うべきだろうか。そうだろうな。
なにを? おむつ替えとか? ミルクをあげるとか?
産まれたばかりの赤ちゃんて、どんなだ?
そもそも、ねえちゃんがママになるって、どういう状況なんだ? 想像もつかない。
あれ? ねえちゃんがママになって、ママもママだな。ママが二人になるのか?
ん? ママのママはおばあちゃんだな。ママはおばあちゃんになるのか? うそ。じゃあ、ぼくらのおばあちゃんは?
産まれてくる子から見たらママのママのママだ。ひいおばあちゃん?
考えれば考えるほど、はてなマークが増えていく。
だいたい僕が気づかなかったら、ねえちゃんはどうしていたんだろう。どこかの時点で話しただろうか。そうだろうな。そうだろう。そう信じたい。
死体遺棄。
そんなことばが頭をよぎった。たまにニュースになる。こっそりと赤ちゃんを産んで棄てるやつ。まるでゴミみたいに。
ねえちゃんはそんなことはしない。しないはず。絶対。たぶん。
気づいてよかった。この先どうなるにしても、ねえちゃんが犯罪者になることはない。
ねえちゃんにしたら、思いがけないバレ方をしたのかもしれないが、それでもよかったとつくづく思う。
ママは子育ての経験があるから安心だよな。
パパは。
……いいや。クソオヤジだもん。
夏休みまであと二日。ねえちゃんは学校へ行くのを辞めてしまった。
児童相談所の相談の結果は、おおむね検索通りだった。決めるのはねえちゃんだけれど。どの道を選ぶにしても、出産前後は学校を休まないといけない。自分で育てるとなったら休学あるいは退学。
退学だろうな。たぶん学校はゆるしてくれない。
「通信制に変える方法もあるんだって」
ケロッとしてるな。ねえちゃんの声が明るい。夕べ散々大暴れしてすっきりしたのか? いい気なもんだ。
「通信制?」
聞いたことはある。学校に通わなくていいヤツだ。単位を取ればいいヤツ。
「高二の一学期まで通ったとして、残りの単位はあと半分だって」
「子育てしながらでも、二年くらいで取れるんじゃないかって」
それならちゃんと卒業できるじゃないか。ママもちょっと肩の力が抜けたかんじがする。高卒であれば、進学にしろ就職にしろ中退よりもずっと道は開ける。
「そうなれば、自分で育てる選択肢も出てくるわよね」
なるほど。天からクモの糸が降りてきた。拾う神あり。
「どの道を選ぶにしても、美結が後悔しないようにね。ママは美結を助けるからね」
ねえちゃんはもらってきた母子手帳を、ぺらぺらとめくっていたけれど、その手を止めて手帳の表紙をじっと見つめた。
「うん。ありがとう」
「……ぼくも、なにか手伝えることがあったら」
クスっとねえちゃんが笑った。
「ガキンチョのくせに」
うるさいわ。自分だってガキのくせに。
「ごめんね、迷惑かけて」
急にしおらしくなられてもこまる。
「平気だよ、これくらい。ぼくは頭がいいから」
精一杯強がった。




