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「どうした!」
ねえちゃんの足元に水たまりができていた。漏らしたのか?
「おしっこじゃないもん!」
ぼくの考えを見透かしたようにねえちゃんが言った。じゃあ、なんだ。ママが二階から駆けおりてきた。
「あっ」
水たまりを見て声をあげた。
「破水だ!」
ハスイってなんだ。
「どうした。だいじょうぶか」
車を車庫に入れて後から来たパパも駆け寄った。
「いたっ!」
ねえちゃんが叫んだ。
「えっ?」
「いたたた!」
ねえちゃんはおなかを抱えて九の字に体を折った。ヤバいんじゃないの、これ?
「じ、陣痛はじまったんじゃない?」
ママが言う。
うそ!
「びょ、病院!」
ママが叫ぶ。
「病院に連絡しないと!」
「きゅ、救急車呼ぶか!」
「待って待って。先に電話!」
パパもママもうろたえる。
ぼくはどうしたらいいんだ。とにかくねえちゃんをすわらせよう。
「歩ける?」
ねえちゃんは、痛い痛いと言いながら首を振る。イス! イスを持ってこないと! ママは病院に電話をしている。
ぼくは急いでリビングからイスを持ってきてねえちゃんに差し出した。
「すわったら汚れるよ」
「あとで拭くから!」
「えー。でもー」
変なところでねえちゃんが遠慮する。ぼくはキッチンからゴミ袋を持ってきて、ねえちゃんの腰に巻きつけた。
「ほら、これならだいじょうぶでしょ」
そう言ったら、ようやくねえちゃんはそろりそろりと腰をおろした。
「わかりました。すぐに行きます」
そう言ってママが電話を切った。パパは車を出しに外へ飛び出していった。
「啓太! 美結の部屋から入院セット持ってきて!」
ぼくは二階へ駆けあがってねえちゃんの部屋へ飛びこむ。机のわきに置いてあったキャリーケースの取っ手をつかんだ。赤ちゃんの産着やタオル、自分の着替えや洗面道具なんかを入れてある。
それを持って階段を駆けおりた。歩けないねえちゃんをパパがお姫さま抱っこして外へつれて行く。
大人はこんなこともできるのか。パパはクソヤローだけど、こんなところはかっこいい。ちくしょー。
ママがドアを開けて待っている。
「このままお産になるわ」
ぼくはママのことばに凍りついた。
お産?
産まれるの? もう? ママが隣にすわる。がさごそとゴミ袋を鳴らして、ねえちゃんがママの膝に頭を乗せて横になった。
「安全運転でおねがいするわね」
ぼくが助手席にすわって、パパはエンジンをかけた。
「うん、安全に急ぐから」
病院まで二十分。長かった。永遠に着かないんじゃないかと思った。ねえちゃんは「痛い」というのをがまんしているけれど、だんだん息づかいが荒くなっていく。
たまに耐え切れず「うーん」とうなる。ぼくは赤ちゃんがどうにかなるんじゃないかと気が気じゃない。
「ひっひっふーだよ」
ママがそう言いながら、ねえちゃんの背中をさする。ひっひっふー。ガチのやつだ。
ようやく病院に到着すると、入り口にはすでに車いすが用意されていた。時刻は夜の十時。にもかかわらず、二人の看護師がテキパキと準備をする。車からねえちゃんをおろし、車いすに乗せ中へ入る。ママとぼくは荷物をもって後に続く。
ねえちゃんはそのまま分娩室に入った。
ママとぼくは、車を駐車場に置いて遅れてやって来たパパと待合室で落ち着かないまま、長い時間を過ごすことになった。
赤ちゃんは、二千四百五十グラム、四十九センチ。産まれるのがちょっと早くて、体がちょっと小さい。でも元気だ。異常もなかった。よかった。ギリギリ早産なので保険適用。
「親孝行ねぇ」
様子を見にくる看護師が口々に言う。産まれた瞬間からほめられるぼくの甥っ子。生まれながらに優秀な? 甥っ子。
小さくて軽くて、簡単に壊れそうなぼくの甥っ子。それなのに泣き声は大きくて、ぼくの指をギュッとつかむ力は結構強くてびっくりした。
みんなで散々大騒ぎして、泣いて笑ってけんかして、ようやくやって来たぼくの甥っ子。
よく来たね。ぼくはうれしいよ。
甥っ子は「翔」と名付けられた。「かける」じゃなくて「しょう」。ねえちゃんが考えた。二冊買った命名の本は、役に立ったのか立たなかったのか。
……安直な気がする。
「トップアイドルになるかもしれないし」
ねえちゃんが言う。
「メジャーリーガーになるかもしれないし」
それは翔平だな。うん、やっぱり安直だった。でもいい。なんか、大きな夢がありそうだ。飛び立ちそう。なによりかっこいい。少なくとも、ぼくら家族のアイドルではある。
元気に育て。そして大きくなれ。翔。クズヤローなんかになるんじゃないぞ。




