そしてぼくは大人へ一歩踏みだす 1
怒涛の夏休みが終わった。諸々決着がつき、あとは出産を待つばかりだ。
悩みのタネがなくなってぼくは受験に専念する。ねえちゃんも通信制の課題に取り組んでいる。産まれたらそれどころじゃなくなるから今のうちに、といって。ねえちゃんがまじめだ。
腹をくくったらいろいろ吹っ切れたらしい。やればできるじゃん。
パパはことばどおり、帰宅時間は早くなり、ぼくの塾に車で迎えに来てもくれる。ときには淳を送っていくこともある。土日も家を空けることはなくなった。
若干手持ち無沙汰である。ねえちゃんが買ってきた出産や命名の本を読んだりしている。
それから、西松屋やドラッグストアへ行くのに車を出してくれる。
仕事へ行ったママの代わりに昼ご飯を作ってくれたり、遅番のときは晩ごはんも作る。カレーとか野菜炒めとか。ママには遠く及ばないが、それでもママの負担がいくらかでも軽くなるのならいい。
家にいるパパにぼくはいくらか戸惑っている。なんか圧迫感がある。家の中が狭く感じる。こんなものだっけ?
それくらい、この家の中にパパの居場所はなくなっていた。家でも会社でも針の筵。そのうち、血でも吐くんじゃない? 不倫っておそろしい。ぼくは絶対しない。
***
二学期が始まってねえちゃんのスマホには大量のメッセージが届いた。夏休みが開けたらいなくなっていたんだから、みんなびっくりして当然だ。
「返信がめんどくさーい」
学校を辞めることはマイピーとサーちゃんだけには言ってあった。あとリョウタとタイガ。かかわってしまったからしかたなく。
ほんとうは自分のことなんか気にしなくていいのに、とねえちゃんは言ったけれど、マイピーとサーちゃんとは変わらずラインをしている。たまにカラオケにもいく。彼女たちがいてくれてとてもよかったと思う。リョウタとタイガからはたまにラインがくる。気にかけてくれているらしい。いいヤツだ。クソ和馬の友だちとは思えない。
返信したりしなかったりしていたら、徐々に着信はへり、一週間もしたら残っていたのはマイピーとサーちゃんだけになった。
「こんなもんなのかな」
ぽつりとねえちゃんが言った。
「よかったじゃんか。マイピーとサーちゃんが残って」
そう言ったら、ねえちゃんは「そうだね」と屈託なく笑った。
「和馬はどうしてるの?」
「知らない」
一刀両断だな。ラインはブロックしてるし、電話は着拒してるし。リョウタとタイガからはシカトされているらしい。
無理もないだろう。ねえちゃんが妊娠したのを、彼らのせいにしてバックレたのだ。ゆるすわけがない。
「妊娠させてやり逃げ。なんてバレたら社会的死亡よね」
ねえちゃんが意地悪く笑う。うん、ざまぁだよな。
はじめ所在なさげだったパパも、しだいに家の中で落ち着いてきた。そっけなかったねえちゃんも、ちょっとずつ心をゆるしはじめている、たぶん。
パパも出産についていろいろと勉強している。ねえちゃんの体も気遣っている。
「前のお産は十五年も前だからもう忘れちゃったな」
そもそもパパは勉強したのかな。その疑問は飲みこんだ。せっかくのやる気を削いではいけない。
ぼくも、塾の帰りにだいぶ話をするようになった。学校のこと、勉強のこと、志望校のこと。ちゃんと聞いてくれる。向き合うって言ったのは、実行している。
でも、ママはまだどこか冷めている。会話もあまりない。質問と答え。それくらい。ママがゆるすかどうかはわからない。関係の修復は前途多難だ。
「どれだけ時間がかかっても誠意をつくすよ」
とパパは言った。ならはじめから不倫なんてしなければよかったのに。いいことなんかひとつもなかったじゃないか。大人の考えることはわからない。
九月の半ば、まだまだ真夏だ。ねえちゃんのおなかはぽんぽこりんだ。しょっちゅうグネグネとうねっている。
あんまり動きが大きいのでおなかの皮を突き破るんじゃないかとこっちがビビる。たまに様子を見に来るマイピーとサーちゃんもビビる。
「めっちゃエグイ」
「あんまり動くと痛いんだよね」
本人だけがのほほんとしている。予定日まではあと一か月あるけれど、もう産まれるんじゃないかと気が気じゃない。
ねえちゃんとパパは西松屋に行ってベビーベッドを買ってきた。二人で、ああでもないこうでもないといいながら組み立てている。っていうか、ねえちゃんは大きなおなかがつかえて、立ったり座ったりがたいへんだ。かわりにぼくが手伝った。気分転換だ。出来上がったベビーベッドにベビー布団を敷いて、ねえちゃんの部屋に置く。ねえちゃんの部屋は赤ちゃんのものでぎっちぎちだ。
「これでいつ産まれてもオッケー」
ねえちゃんは満足そうに笑った。
来月にはここに赤ちゃんが来るのか、と思えば不思議な気がする。ねえちゃんのおなかの中でグネグネしている生き物が実体を伴って出現するのだ。
ちょっと怖いが。
産むねえちゃんはもっと怖いだろうが。
ねえちゃんが満足したせいかどうか。
パパが迎えに来てくれて、塾から帰って来た九月の半ば。ぼくが玄関を開けて「ただいま」と言ったとたん
「ぎゃー! ママー!」
とねえちゃんの悲鳴が聞こえた。あわててくつを脱ぎとばしてかけあがった。ねえちゃんは洗面所から出たところにへっぴり腰で立っていた。




