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「ねえちゃんは腹をくくったよ。あのちゃらんぽらんでふわふわなねえちゃんが、現実と向き合って母親になるって決めたんだ! 赤ちゃんを育てながら高校も卒業する。がんばるっていったんだ! だからぼくもママもねえちゃんを支える。そう決めた! パパは……。あんたは? あんたはどうなんだ? まだ逃げるのか!」
ギリリとパパを睨みつけた。
「ぼくはただ、新しい命をいっしょに迎えたいだけなんだ。望まれた命じゃなかったけど、それでも家族全員で、よく来たねって笑って迎えたいんだ。それのなにがいけないの? そんなにむずかしいことなのかな!」
まくしたてたら、ゼイゼイと息が切れた。涙がこぼれないようにぼくは必死だ。泣くなんてダサいことはできない。
「それなら、もういい」
ぼくはなにも言わないパパを睨みつけた。ぼくの剣幕にパパは呆然と立ち尽くしていた。
「ぼくらは三人で生きていく。あんたはもういらない」
淳の手が震えている。悪かったな、こんなしょうもないことに巻きこんで。受付のおねえさんが二人で手を取り合って涙を流している。ぼくのかわりに泣いてくれているんだろうか。
「よくがんばったな。えらいぞ」
淳のパパが、ポンとぼくの肩をたたいた。
「あとは大人にまかせろ」
そう言ってエントランスの外まで送ってくれた。とちゅうで「かっこよかったぞ」と知らない人に声をかけられた。
いや、めちゃくちゃかっこ悪いだろ。はずかしい。
淳のパパは別れ際に財布から五千円を出して淳に渡した。
「うまいものを食べろ。うまいものを腹いっぱい食べて、今日は休め。そんでまた明日から勉強をがんばれ」
ありがとうございます、と頭を下げて地下鉄の駅へ向かった。
「ごめんな、巻きこんで」
そう言ったら淳は首を横に振った。
「こっちこそなんの役にも立たなくて」
「いや、いてくれてすごく助かった」
淳が腕をつかんでいなかったら、感情の暴発にまかせてみっともなく喚き散らして木っ端みじんに砕け散っていた。
「なら、よかった」
中学生の考えるおいしいものなんてたかが知れている。ましてや都心のオフィス街のレストランなんて敷居が高くて入れたものじゃない。
電車に乗って、家の最寄り駅まで帰った。電車の中では、次の模試の出題範囲とか、夏休みの課題とかそんな話をしてやりすごした。
さっきまでの非日常的なことを話すには感触が生々しすぎた。
それから駅前のなじみのあるファミレスに入った。メニューの中でいちばん高いステーキを注文した。デザートにティラミスも頼んだ。子どもだけでそんな注文をするのは、ちょっとドキドキした。
それでも余ったお金は、合格したらカラオケに行く足しにしようと約束した。
「じゃあ、また明日な」
「うん、今日はありがとな」
手を振って橋のたもとで、右と左に別れた。
***
「啓太くん、震えてましたよ。気付きましたか」
啓太と淳を見送って、駒沢は真山に言った。
「ああ、はい」
真山はうなだれていた。
「どれだけの思いでここに来たんでしょうね」
真山はことばもない。
「その啓太くんの決死の覚悟を、わたしは無下にはできませんよ。人事に報告します。まあ、ロビーでこれだけの騒ぎを起こしたら、だまってても人事にとどくでしょうが」
俺は啓太のなにを見ていたのだろうな。真山は思う。
いつの間にか一人でこんな無謀ともいえる行動をするようになっていた。もう親の庇護のもとに、ぬくぬくとしているだけの子どもじゃなかったのだ。
成長していたんだな。そんなことにも気がついていなかった。いや、見なかったのだ。目をむけなかったのだ。
「啓太くんの将来の夢、知ってますか」
聞かれて真山はだまって首を横に振った。
「官僚だそうですよ。国家公務員上級試験に合格するんだって、がんばっているんですよ」
そんなのははじめて聞いた。
「おかあさんが安心するだろうからって。おねえさんにも、産まれてくる甥っ子の助けにもなるからって」
バットで頭をフルスイングされたような気がした。息子がそこまで先のことを考えていたなんて。家族のことをそこまで考えていたなんて。自分が知らないことを、友だちの父親が知っていたなんて。
立っているのがやっとだった。
エレベーターを待つ間に向けられたロビー中の視線は、軽蔑の中に憐みが混じっているような気がした。
***
家に帰ったら、ママにめっちゃ叱られた。淳のママから連絡がいったらしい。
「子どもがそんなことしなくていいの」
わかってます。
「まったく無茶をして」
ごめんなさい。
「相手の女に傷つくようなこと言われたらどうするつもりだったの」
言い負かすつもりだったよ。
「もう、美結も啓太も心配ばっかりかけて」
ほんと、ごめんなさい。そして目を赤くしたママは最後に言った。
「そんなことさせてしまってごめんね。ありがとう」
また涙が出そうになった。ねえちゃんはニヤニヤしながら、あれ以来、手つかずで冷蔵庫に眠っていたモンスターエナジーをぼくに差し出した。
「やるじゃん」
うるせぇ。
あとから聞いたが、ママはとっくに証拠を押さえていたらしい。タイミングを見て、パパに離婚と慰謝料を、木村にも慰謝料を請求するつもりだったと言った。
タイミングってねえちゃんとぼくの卒業だったんだろう。妊娠が発覚して、その「タイミング」は大幅にずれることになったけれど。
パパと木村彩花に処分が下った。
パパは部署移動と降格。木村は地方の子会社に出向。本来はパパも転勤のはずだが、高校生の娘の出産準備のため、家にいられるように温情をかけられたそうだ。
ぼくがロビーで繰り広げた「啓太劇場」は、瞬く間に社内で噂になり、子どもに不倫の始末をさせた。とパパと木村は非難ごうごう。非常に非情な立場になった。
ロビーには結構人がいたからな。受付のおねえさんたちも同情してくれたみたいだし。
ぼくは無力な子どもだけれど、それを逆手に取ることもできるんだ。ぼくのこざかしい計画は、見事に大人たちの憐憫の情をついて成功した。
結局木村は、退職したという。公衆の面前であれだけなじられて平気なほど、面の皮は厚くなかったようだ。ざまぁ。
一人会社に残るパパは針の筵だろう。
でもパパは、その筵から降りることはしなった。相当居たたまれないことは想像できたけれど、ちゃんと会社に行っている。
それからぼくたちに、申し訳なかったと頭を下げた。
「今さらでも、できることは何でもやるから」
一番大変なところは終わっているんだけれどね。和馬の親と対決するときに、いてほしかったよ。
ぼくたち三人は、幾分冷ややかにそのことばを受けいれた。もちろん、魔女とは二度と会わないと誓約した。彼女がほんとうに妊娠していたのかは聞いていない。聞く必要もない。
どうであっても落とし前は自分でつけろ。ねえちゃんとちがって大人なんだから。




