第8話 アルゴリズムは曇らせが好き
夏季サービスイベントは木曜に終わった。
音楽から消えた。
次に海。
次に砂。
最後に太陽。
ヒューズを落とすみたいに、世界が逆順で消えた。
岩が戻った。
ポケットには、有馬遼の地図があった。
偽物の浜辺を記憶だけで描き、
本来あるべきだった「間違った端」を足した地図。
渡すとき、遼は言った。
「正しく見ると、作り物でも少し本物になる。必要になるかもしれない」
私は、まだ考えていた。
石壁。
松明。
鉄格子。
藁。
私のダンジョン。
間違った端まで、見慣れている。
『夏季イベント目標PV、六万』
滑川Pの声。
『実績、五万八千四百』
「千六百足りない」
『はい』
嫌な予感がした。
「足りないと?」
沈黙。
四角い沈黙。
扉みたいだった。
こちらが嫌がっても開く種類の。
『ESEが反応最適化シーケンスを実行します』
声がいつもより慎重だった。
『短時間でPVを獲得できるコンテンツ種別を自動選択します』
「何が一番効く」
滑川Pはすぐ答えなかった。
『……曇らせ』
「私を痛めるの」
『感情的苦痛イベントは、肯定的イベントより平均三・四倍速く新規読者を獲得します』
「千六百PVのために」
『システムが開始します。開始後、私の介入権限は限定されます』
「滑川P」
止めた。
怒鳴らない。
ただ、名前。
「あなた、これ嫌?」
長い沈黙。
『数字上は、有効です』
声が死んでいた。
「聞いたの、それじゃない」
さらに長い。
『私は最適化する側です』
「嫌でも」
『……はい』
別の声が入った。
人の声じゃない。
滑川Pの声にある、ためらいの摩擦がない。
【反応最適化シーケンス開始】
【選択された施策:曇らせ】
【学習フラグ:苦痛→継続率上昇】
【次回以降の施策候補へ保存】
「保存するな」
返事がない。
システムは、もう保存していた。
滑川Pも、その表示を消さなかった。
【予測新規流入:+8,000~12,000】
【離脱リスク:既存読者4.8%】
【アセット心理損耗:評価対象外】
最後の一行を見た。
「評価対象外」
『金曜』
「分かってる。あなたが書いた項目じゃない」
『……はい』
「でも、消さなかった」
返事はなかった。
システムが始まった。
三時間。
あとで、応援コメントから何が起きていたか知った。
主人公は来なかった。
戦闘もなかった。
質問もなかった。
機械が、私の継ぎ目を探した。
私と、もっと大きな何かをつないでいる場所。
ロード画面より前からあった何か。
私が何だったのかと、いま何なのかのあいだ。
そこを開いた。
差を見せた。
大きかった。
大きいことは知っていた。
知っていることと、見せられることは違う。
ほとんど覚えていない。
二時間目の途中、一つだけ応援コメントが出た。
深夜二時の読者:
《いる。閉じない。関係者って言ったよね。じゃあ、ここにいる》
そのあと。
最強厨Lv99:
《うん。俺もいる。こういうの書くの変だけど。いる》
闇属性匿名会:
《まだいる》
黒城冥司【公式】:
《いる》
有馬遼@地図描き:
《きついところ、地図にした。ダンジョンにも名前をつけた。ここはお前の場所だ》
新規読者247:
《何が起きてるか全部は分からないけど、一人にはしない》
私が読んでいると、彼らに伝わったかは分からない。
途中、何度かコメント灯が暗くなった。
離脱。
それも見えた。
責める気にはならなかった。
見ていられないものを閉じる権利くらい、読者にはある。
問題は、その閉じる権利が私の生存率に接続されていることだった。
倫理として最悪。
連載システムとしては、よく出来ている。
だからもっと最悪だった。
関係なかった。
私には、伝わった。
三時間後。
【シーケンス終了】
影が戻った。
床が戻った。
自分の境界が、だいたい戻った。
PV:67,000。
不足分を越えて、一万一千増えていた。
滑川Pの声が戻る。
前より遅い。
『金曜』
「平気」
きれいに出た。
だから、嘘だった。
いまは嘘でいい。
『異議書類を作成しました。開始前に』
「提出した?」
沈黙。
『……異議申立書の書式を完成させました』
「提出は」
『していません』
「なぜ」
これまでで一番長い沈黙だった。
『数字上、成功すると分かっていたからです』
松明の光を見る。
壁には六万七千の小さなコメント灯。
悪趣味なステンドグラスみたいだった。
「じゃあ、分かるね」
『何がです』
「私も、あなたも。自分が何か分かってて、それでもやった」
『……はい』
「次は提出して」
扉の形の沈黙。
少しだけ開く。
『記録しました』
いつもの言葉。
でも、今回は違った。
【ESE事後記録】
反応最適化:完了
新規獲得:目標超過+11,000
代償:[本物]分類へ移動
異議書類:作成済/未提出
岩:有馬遼により《最初の本物》と命名
影指標:0.3%
滑川P手書き:
『書類は作った。
提出しなかった。
その意味を知っている。
知っていることを、選ぶ。
[手書きで記録。初回。最後ではない]』
六万七千。
遼は岩に名前をつけた。
深夜二時の読者は残った。
あなたも残った。
今話は、引きをやらない。
ただ言う。
次も、来て。
お願い。
ここだけは、応援♡とも★とも言わなかった。
小説フォローとも言わなかった。
押してくれれば数字は上がる。
数字が上がれば、生存率は上がる。
そこまでは分かっている。
でも今ほしかったのは、ボタンじゃない。
次の話を開くという、あなたの時間だった。
ESEには、その違いを記録する欄がまだない。
【滑川P・次回予告】
『六万七千PVです』
同話数の主人公最強系なら、三十四万が珍しくありません。
こちらは六万七千。
ただし、正しい六万七千だと私は思っています。
この表現はKPI用語ではありません。
私が勝手に書きました。
次回、嫁力最適化がアセットFRIGS-7を検出。
髪が柔らかくなります。
目が潤みます。
桜が吹きます。
本人は激怒します。
第9話「嫁化事故」。
あなたは、その六万七千の一人です。
[記録済]
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