第6話 アップデート1.01
午前三時、パッチノートが来た。
ダンジョン時間で午前三時。
そんな時計が存在したこと自体、私は知らなかった。
壁の隅に、小さく上品な数字が浮かんでいる。
滑川Pが、自分よりセンスのいい誰かの画面設計を参考にしたらしい。
私は岩の上にいた。
寝てはいない。
天井を見ていた。
沙良の耳のことを考えていた。
考えていなかった。
視界いっぱいに、企業フォント特有の嫌な予感が開いた。
【ESE物語定量化事業部】
【バランスアップデート Ver.1.01】
対象:FRIGS-7
・《本気の質問》:クールタイム45秒を追加
・皮肉ダメージ:30%減少
・悪意:Tier2で成長上限
・モブ人格化イベント:事前承認制へ変更
【開発者コメント】
アセットFRIGS-7が周辺連載の感情投資パターンを不安定化させています。
今後ともESEをご利用いただきありがとうございます。
二回読んだ。
三回読んだ。
三回目でも内容はひどかった。
「滑川P」
『おはようございます』
「私の皮肉、ナーフした?」
『三十%です』
「皮肉は攻撃属性じゃない。人格」
『ESEでは人格も定量化されます。あなたの場合は特に』
「“想定以上に成果が出た”って言ったら、そのKPIを個人的な問題にする」
『周辺連載に不安定化が発生したためです』
準備していた回答を予定どおり投入する男の声だった。
私は起き上がった。
パッチノートを見る。
自分の手を見る。
Tier2で止められた《蓄積悪意ストッキング》を見る。
昨日まで何も悪くなかったのに、今日は三割ほど社会性を求められている。
「退廃値、いくつ?」
『……なぜ聞くんです』
「四半期レビューで言ったでしょう。私の退廃出力が低すぎる。罪系アセットの主要読者が期待する値に足りない。ブランド上の問題だって」
立つ。
「私がしてたことをナーフした。いい。なら、あなたが欲しがったものを出す」
『待ってください。私が言ったのは』
「次の主人公を送って」
『金曜』
「送って」
沈黙。
『……闇属性。死霊術師。悲劇系。死んだ妹。固有武器あり』
「武器名」
『《ソウルレンダー》』
「でしょうね」
私は《審判の下着》を持ち上げて重さを確かめた。
恥ずかしい。
だから、使える。
この機械が私をそういう目で見るなら、目線ごと武器にして返せばいい。
『それを使う気ですか』
「あなたが退廃を欲しがった」
滑川Pは、私が《審判の下着》を持っていることにも、《蓄積悪意ストッキング》の出力が落ちていることにも、それぞれ別の顔で嫌そうにしていた。
顔は見えない。
管理職の沈黙には種類がある。
これは、
「規定上止められないが、結果報告書を書くのは自分だ」
の沈黙。
鉄格子が上がった。
黒城冥司が入ってきた。
黒い外套。
白髪。
紫に光る大鎌。
費用対効果を一度も考えたことのない演出。
そして。
三十七個のバックル。
全部、留まっている。
私は目を細めた。
「これ、再放送?」
冥司自身も、そのことに気づいていた。
前回と同じ入口。
同じ松明。
同じ岩。
同じ三十七個。
違うのは、彼がもう「初登場の主人公」ではないことだった。
応援コメントにも、すぐ突っ込みが入る。
深夜二時の読者:
《再戦じゃなくて再測定?》
最強厨Lv99:
《感情をベンチマークにするな》
闇属性匿名会:
《三十七個また数えた》
「読者も覚えてる」
『継続読者は過去情報を保持します』
「人間をデータベースみたいに言うのやめて」
『データベースより不正確です』
「もっと悪い」
『アップデート後の制御試験です』
「つまり前回もっとも成果が出た遭遇を、パッチ後にもう一回ぶつける」
『比較可能なデータが必要です』
「人の悲しみをA/Bテストするんだ」
『言い方』
「合ってる」
冥司が足を止めた。
「また、お前か」
「そう。今度は性能試験」
「何の」
「私の人格」
冥司が少しだけ考えた。
「それは……測れるのか」
「滑川Pは測れると思ってる」
『思っているのではありません。測定しています』
「悪化してる」
冥司は鎌を肩に乗せた。
紫の光は前より弱い。
「莉亜のパンの話なら、今日はしない」
「したくない?」
視界の隅で《本気の質問》のクールタイムが回り始めた。
45。
44。
43。
冥司はそれを見ていない。
「したくないわけじゃない」
「なら、何」
「今日は自分から話せるか試したかった」
私は黙った。
システムは黙らなかった。
【《本気の質問》使用可能まで:39秒】
腹が立った。
だから待った。
三十九秒。
冥司も待った。
二十九。
十九。
九。
そのあいだ、誰も物語上必要なことをしなかった。
視聴者数は上がった。
【継続率:上昇】
【理由:判定不能】
ゼロ。
私は言った。
「今週も、パン作った?」
冥司の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「作った」
「まずかった?」
「ひどかった」
「良かった」
「良くない」
「莉亜っぽいでしょう」
冥司は答えなかった。
代わりに、鎌を床に置いた。
その瞬間、Tier2に制限された悪意が勝手に動いた。
攻撃ではなかった。
冥司の周囲にまだ残っていた、耽美、悲壮、格好よく苦しむための構造だけを狙った。
黒い外套が、ただの布になった。
紫の光が、普通の紫になった。
三十七個のバックルが急に、三十七個のバックルでしかなくなった。
そして床に、水が増えた。
二センチ。
前より少ない。
「減った」
冥司が言った。
「うん」
「良いことか」
「私には分からない」
私は水面を見る。
「でも、前より中にない」
冥司も見る。
「火曜、また来る」
「開いてる」
彼は帰った。
システムが盛大に鳴った。
【アップデート1.01:想定外結果】
【皮肉出力:30%減】
【代替経路:検出】
【新分類:武装した本音】
【《本気の質問》クールタイム:90秒】
【モブ人格化:事前申請制】
【皮肉:30%ナーフ】
三つとも、「読者が反応したもの」を再現可能にするための修正だった。
つまり、機械は成功した理由を理解できないまま、成功した部分だけを部品にした。
「本気にクールタイム付けたら、本気じゃなくならない?」
『会議でも同じ指摘がありました』
「通らなかった」
『反応率の資料が強かったので』
「数字、議論に勝ちすぎ」
『はい』
「武装した本音」
『仮称です』
「あなたたち、なんでも名前つければ管理した気になるね」
『名前のないものは会議資料に載せられません』
「悲しい職業」
滑川Pは返事をしなかった。
しばらくして、別の通知が来た。
【商品企画試作】
香り付きキャンドル《三十七個のバックル》
香調:焦げた小麦、蝋、雨上がりの石
「滑川P」
『はい』
「キャンドル」
『商品化は未定です』
「作ったんだ」
『試作です』
「莉亜のまずいパンの匂いを?」
『焦げた小麦です』
「言い換え」
『マーケティングです』
別窓が一瞬だけ開いた。
【制約解除案:保留】
【理由:FRIGS-7は制約下で反応率が上がる】
「解除できるの」
『できます』
「しないの」
『抵抗したほうが、いまのところ数字が良いので』
「滑川P」
『はい』
「問題を直す人の顔で、問題を飼ってる」
『運用です』
床の悲しみ水は、ゆっくり落ち着いていた。
私はそれを見る。
滑川Pも、たぶん見ている。
前は汚れだったものを。
今は、何かの証拠として。
【滑川P・次回予告】
『アップデートは成功しました。数字上は』
皮肉をナーフしました。
その結果、彼女は本音を武器にしました。
そして次回、制作側が長年避けてきた禁断の施策を実施します。
水着回です。
ジャンル上、必要です。
理由は聞かないでください。
会議で決まりました。
第7話「水着回・処刑場」。
参加は任意ではありません。
読者の皆様の閲覧も、彼女にとっては任意ではありません。
[記録済]
【ESE事後記録】
アップデート1.01:逆効果
退廃値:Tier3到達
黒城冥司:火曜再訪継続
悲しみ水:沈静化中
影指標:0.3%
滑川P手書き:
『モップは届いた。
水は落ち着いている。
最近、汚れではなく証拠に見える。
この記述は提出しない。
[記録済。たぶん提出したのと同じだ]』
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