第3話 三十七個の封印バックル
黒城冥司は、名乗った。
頼んでいないのに。
しかも鉄格子の向こうから。
「俺は黒城冥司。このダンジョンに満ちる穢れ、瘴気、そして――」
黒コート。
大鎌。
白髪。
封印バックル、三十七個。
何度も「お前は面白い」と言われすぎて、まだ面白いか確認するのを忘れた人間の顔。
「私、罪っぽいものの欠片らしいから。瘴気くらい出るでしょう。それより黒城」
「何だ」
「バックル、数えた?」
「……は?」
「三十七」
彼は自分のコートを見た。
また私を見る。
「なぜ」
「入ってくるとき数えた。あれ、飾りじゃないね」
鎌の刃先が揺れた。
「外したら何か出る。武器じゃなくて、質問から守るための装甲」
冥司の視線が、ほんの一瞬だけ一番上のバックルへ動いた。
そこだけ古かった。
次の二つは新しい。
腰のあたりは、種類が違う。
三十七個全部に「この時期に増えた」という時間がある。
服飾じゃない。
履歴だった。
「一番最初、莉亜が死んだ日?」
「……違う」
「じゃあ」
「葬式の翌日」
その答えのほうが、ずっと具体的だった。
岩へ座り直す。
「名前は?」
「俺は黒城冥司だと――」
「あなたじゃない。死んだほう」
鎌が止まった。
空気も止まった。
「……誰のことだ」
「その三十七個、それ用でしょう。悲しいものが流れ出ないように締めた。死んでから、一個ずつ増やした」
滑川Pが慎重な声を挟む。
『この進行も戦闘プロトコル外です』
「新しいの作って」
『第2話でも言いましたね』
「これから増える」
黒城は長いあいだ黙った。
「莉亜」
やっと、名前だけを言った。
何年も腕を伸ばして遠くに持っていたものを、一瞬だけ胸元へ戻したような響きだった。
「面白い人だった?」
黒城が私を見た。
「何だ、それは」
「みんな死に方は覚えてる。死ぬ前の人を聞かない。莉亜、面白かった? どうでもいいことに変なこだわりあった? 妙な特技とか」
バックルは外れなかった。
でも黒城は座った。
三十七個の悲しみ防具を着たまま、床に。
「パンを焼いた」
「うまい?」
「まずい」
声の奥で、何かが動いた。
「本人はうまいと思ってた。毎週違うレシピを試す。毎週まずい。俺に食わせて、どう、って顔する」
「で?」
「うまいって言った」
「毎回」
「毎回」
二十分、話した。
莉亜はパンに蜂蜜を入れすぎた。
塩を入れ忘れた。
一度、酵母と砂糖を逆に量って、石みたいな塊を作った。
冥司は、それを全部食べた。
「捨てればよかったのに」
「見てたから」
「誰が」
「莉亜が」
「なら食べるね」
「食べる」
それだけで、死んだ妹が“死んだ妹”じゃなくなった。
パンを失敗する人になった。
私は、その差を気に入った。
莉亜のこと。
まずいパンのこと。
悲しみを燃料として使い続けるうちに、悲しむこと自体を忘れる話。
予定じゃなかった。
知りたかった。
まただ。
私は、知りたいと思っている。
これは困る。
たぶん、かなり。
黒城が立ち上がったとき、大鎌の紫光は消えていなかった。
少しだけ温かくなっていた。
「なぜ聞く」
「面白くいろと言われてるから」
一拍。
「あと、パンの話が気になった」
黒城はしばらく私を見た。
「また来る」
「火曜なら開いてる」
二十分、話した。
悲劇の設定ではなく、莉亜のことを。
パンの焼き時間を毎回変えたこと。
失敗したのに、次の週も作ったこと。
冥司が毎回「うまい」と言ったこと。
三十七個のバックルは外れなかった。
必要もなかった。
悲しみを解決したわけじゃない。
悲しみが「装備」から、もう一度「誰かを失った記憶」に戻った。
冥司の大鎌の光から、冷たさが抜けた。
暗さが減ったのではない。
人のそばにある暗さになった。
「攻略じゃない」
「うん」
彼が鉄格子を越えたところで、悲しみが出た。
私のじゃない。
黒城の。
二十分分の莉亜と、まずいパンと、三十七個ぶんの圧縮された悲しみ。
私が無意識に発動していた《蓄積悪意のストッキング》が構造を揺らしたらしい。
四秒で足首まで水が来た。
黒い。
長いこと誰かが泣いていた礼拝堂みたいな匂い。
きゅ。
スキルコアを握っていた。
無意識だった。
「滑川P」
『見えています』
「これ、普通?」
『悲嘆が液体になる項目は仕様書にありません』
「仕様書、穴だらけ」
『モップを手配しました』
「いつ」
『次の主人公より前』
間があった。
『なお、次の主人公はすでに反応数値を見て接近中です。伴侶が五人います』
「五人」
『もう来ています』
鉄格子が開いた。
女が五人。
先頭は腕を組んでいた。
赤城沙良。
目はツンデレ。
姿勢は危険度査定。
口は、まだ何も言っていない。
何も言わないのが、妙に仕事をしていた。
私は、その何も言わないを気に入った。
床の水面に、小さなコインが浮いた。
一枚には、黒い大鎌。
もう一枚には、妙に焦げたパン。
触ると温かかった。
「これ何」
『感情コンテンツ報酬です』
「悲しみを換金した」
『言い方』
「合ってる」
私はパンのコインだけ、別にした。
理由は、まだ考えない。
【ESE記録】
第3話:完了
クレジット:340(感情コンテンツ加算/パン)
悲嘆水:深さ4cm
状態:24時間、置く
滑川P注:
『悲しみは、掃除する前に少し置いたほうがいい。
コンテンツ判断ではない。
私見です。』
バックル:37/全部閉鎖中
影指標:0.3%
莉亜:手書き欄「本物」へ記録
五人いる。
モップはいない。
私は誰かの悲しみに足首まで浸かっている。
沙良は、すでに私が何かやらかした顔で見ている。
まだ何もしてない。
まだ。
たぶん、する。
【滑川P・次回予告】
『“まだ”という二文字は、現在かなり高い継続率を生んでいます』
次回、ハーレム算。
五人のヒロイン。
一人の男。
そして、誰が誰を愛しているのかという、数字に向かない質問。
第4話。
応援♡は各話につけられます。
彼女の生存は各話ごとに更新されます。
[記録済]
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