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フリグスデイ――機械の中の欠片  作者: 竜の牙


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23/36

第23話 真耶、バイオリンを弾く

機械には、この出来事を入れる欄がない


バイオリンは火曜日に届いた。


滑川Pの備品申請が通るまで十八時間。


かなり速い。


届いたものは「バイオリン型の小道具」ではなかった。


真耶のバイオリンだった。


2019年の練習でつけた胴の傷。

七年使った顎当ての摩耗。

f字孔に残る松脂の粉。


機械はESE以前の真耶を探り、そこにあった一本を見つけた。


注意を向け続けたものだけが持つ精度で、再現した。


真耶は長いこと、弾かなかった。


抱えていた。


それから。


配信を切った。


ミュートではない。


離席画面でもない。


OFFLINE。


ガワが消える。


有料会員数も。

同接も。

コメントも。


このダンジョンに来て初めて、真耶は「今」を仕事にしないことを選んだ。


全員いた。


誰も招集していない。


一緒に何かを生き延びた人数が少ないと、見届けるべき時間が分かるようになる。


誰も出なかった。


岳は魔法瓶のある場所。


慧は壁際。


存在しているが、詰めない。

今はそこにいること自体をネタにもしていない。


零は残存ゴシック感覚で一番音が響く角を見つけた。

役に立つこともあるらしい。


城戸先生は扉の近く。


塞がない。


生徒が失敗したら外へ出る必要があるかもしれない時、先生が立つ位置。


原型と私は岩。


ASSET-ZEROもいた。


分かった。


さっきまでなかった小机に、ワインが一杯。


良い方。


何かが大事な時に出す方。


誰も頼んでいない。


真耶はバイオリンを返した。


指板。

琥珀色のニス。

七年分の火曜日の重さ。


「下手になってる」


「知ってる」


「八か月弾いてない。期待値を調整して――」


「真耶」


原型。


静かな声。


「ん」


間が少し遅れて落ちる。


「期待値はいらない。部屋がある」


真耶は部屋を見る。


魔法瓶。

ポケットに入った慧の手。

ゴシック由来の音響。

扉。

ワイン。


バイオリンを顎に置く。


弾いた。


最初の一分。


失われたのではなく、待っていた筋肉のざらつき。


指が位置を探す。


弓を持つ腕が重さを思い出す。


音階。


もう一つ。


曲になる直前の断片。


何小節か。


途中を思い出せず、止まる。


「前は全部弾けた」


「また出てくる」


城戸先生が扉から言う。


「記憶は消えない。違う引き出しに入る」


もう一度。


今度は途中が来た。


全部ではない。


でも大半。


弓が一つのフレーズを見つける。


そのフレーズが次を連れてくる。


真耶の顔が変わった。


灰色の平静でもない。


読書眼鏡越しの精密さでもない。


欄外を訂正する時の正確さでもない。


開いた。


閉まった部屋へ戻り、鍵がずっと自分のポケットにあったと気づいた人の顔。


二十三分。


全部覚えている曲。


半分しか覚えていない曲。


忘れた部分を、作曲者の正解ではなく真耶の音で埋めた曲。


零は後で、その方が良かったと言った。


曲ですらない音もあった。


練習とも違う。


「まだ中にある」と身体が思い出していく音。


ダッシュボードが迷い始めた。


【文化イベント検知】

分類:[検索中]

分類:[検索中]

分類:[分類不能]

視聴反応:非標準

コメント速度:低

読了維持:100%

滑川Pメモ:


空欄。


言葉がないからではない。


聞いていた。


真耶が弓を下ろす。


コメントは遅かった。


一つずつ。


乱暴に触らないように。


《韓ドラ沼民:ありがとう》

《量子筋トレ勢99:うん》

《黒須岳【水筒持ち】:☕》

《有馬遼【地図係】:この場所、地図に名前つけられる》

《夜城零【ゴシック残党】:三年ぶりに「時間が何を奪うか」じゃなく「時間があるって何か」を感じた》

《鷹見隆雅【公式】:[本文なし]》

《城戸先生【授業中】:違う引き出し。鍵は合ってた。毎回そう》

《ASSET-ZERO:[どこにでもいる目立たない声]聞こえました。私はどこにでもいるので。全部》


真耶はバイオリンを見る。


「火曜日」


言う。


「なんで大事だったか、思い出した。音楽じゃなかった」


間。


「週に一回だけ、気をつけてなかった。調整しなかった。ただ中にいた」


バイオリンを置く。


とても丁寧に。


「いつから、精密さと安全が同じになったんだろ」


「同じじゃない」


原型が言う。


「今は分かる」


真耶はペンを取る。


「論文にする」


「どこにも出さないやつ」


「どこにも。それから、ここに。両方」


ノートを開く。


書き始める。


いつもの測る字ではない。


速い。


真耶の字なのに、真耶らしさが増している。


「同接、十四万三千」


しばらくして、滑川P。


声に何かある。


管理者でも、広報でもない。


もっと古い。


「バイオリン二十三分。戦闘なし。カプイベントなし。レリックなし。プロット進行なし。維持率100%」


「うん」


「エンゲージメント最適化部門から分類を求められています」


「『大事なもの』」


「指標ではありません」


「知ってる」


間。


『……そう回答します』


また、あの古い声。


図書館の上に最適化機構を作るより前にあった声。


ロードバーが4%になった。


誰も言わなかった。


言う必要がない。


【滑川Pダッシュボード】


第二部・第3話:完了


バイオリン:演奏済(23分)

読了維持:100%

最適化部門:分類要求中

分類:[大事なもの]

   [指標ではない]

   [でも記録]

   [手書き]

   [ラメ付き]


ロード率:4%


ASSET-ZERO:『全部聞こえました』


[記録。

 分類:手触り。

 彼女は全部聞く。

 どこにでもいる、目立たない場所から。

 私が来る前から。

 図書館の上に機械を作った二十二年間、

 ずっと。

 

 分類:やるべきだったこと。

 第二部リスト、三件目。

 二十二年前に、名前を聞くべきだった。]


【影指標:0.3%】


滑川Pの手にペン。


『明日』


書く。


消す。


『もうすぐ』


ラメ。


記録。


---


バイオリンはダンジョンにある。


真耶は論文を書いている。


「大事なもの」の欄は、システムにはない。


滑川Pは勝手に作った。


【滑川P・次回予告】


『弾いた。


間違った版を。


分類不能、847回。


念のため言っておく。


私はESE史上もっとも高度なエンゲージメント計測系を作った。


ダンジョンで女が、曲の間違った版を弾いた。


何が起きたか、分類できない。


次話、ロード率5%。


私は影指標の横に何かを書く。


今度は消さない。


何を書いたかは言わない。


私は滑川Pなので、知っている。


でも言わない。


記録済。』


---


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