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フリグスデイ――機械の中の欠片  作者: 竜の牙


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22/36

第22話 わざわざ来た男

黒須岳は、入口のない場所から入ってきた


【ESE物語定量化部門/新規資産受入記録】


対象:ASSET-KUROSU-GAKU

日本語登録名:黒須 岳

受入方法:自主入場

分類:前例なし(自主・区分3)

備考:「自主入場」の欄について別紙参照


ESEマトリクスに入る方法は、これまで三つだった。


強制デジタル化。

物語捕獲。

事務事故。


黒須岳は、自分から入ってきた。


受入票には「自主」の欄がなかった。


岳は書類を最後まで埋め、欄がないことに気づき、鉛筆で自分で追加し、チェックを入れ、返却した。


翌日、その欄は正式様式に採用された。


来て六時間。


すでにESEの事務基盤を改善している。


良い兆候か。

かなり嫌な兆候か。


両方、記録済。


---


岳は扉を見つけた。


ESEマトリクスに玄関はない。


搬入口。

デジタル化室。

処理ノード。


そもそも「誰かが自分から来る」という発想が設計思想にないので、選択を意味する玄関など必要ない。


岳は見つけた。


正確には。


玄関があるなら、ここだろう。


その場所に玄関がない。


ないことによって、扉の形をした可能性だけが残っている。


黒須岳は、そういう場所を歩いて通れる人だった。


身体は大きい。


戦闘用に大きいのではない。

働いて大きい。


身体を道具として使い、見栄ではなく必要で整えてきた体つき。


三十代半ば。

天気に何度も晒された顔。

何かを見て、そのたびに「じゃあ行くか」と決めてきた目。


旧分類で言うところの路地裏互助型。


派手さではなく、共同体。

尊厳を「立派だから与えるもの」と考えない系統。


背中にリュック。


岳は私を見る。


原型を見る。


まだ岩条項に署名していないので、厳密には契約違反状態の私たち二人を見る。


「どうも。岳です。第一部、全部読みました」


「全部」


「はい」


「そのあと、ここに来た」


「はい」


「自分から」


「はい」


「人を閉じ込めて、人格を摩耗させて、苦痛をエンゲージメント用に加工する機械の二十話を読んで」


「補足資料も」


「補足資料?」


「兵装資料、遡及設定、流血レジスター、文体ガイド」


私はダッシュボードを見る。


「公開したの」


『需要がありました』


「でしょうね」


岳は部屋を見回した。


コメント欄。

第一の本物。

桜の風。


真耶の角。

ノート。

眼鏡。

握り方そのものが別種の握り方になっているペン。


壁際の慧。


零。

城戸先生。


「良い部屋ですね」


何十個も部屋を見てきた人が言う「良い部屋」だった。


「どうして来たの」


原型が聞く。


挑発ではない。


質問。


岳はリュックを置いた。


「第8話。三時間」


部屋が静かになる。


「残ったコメントです。あの時、自分もいました」


《新規247:何が起きてるか分からないけど、ひとりにはしない》


私は岳を見る。


「それ、あなた」


「はい。第一部終了の一週間後に読み始めて、コメント欄も全部追いました」


手を見る。


「三時間のあいだに自分が書いたものを見て――」


一度止まる。


「俺、こういう場所に行く側なんです。格好いい場所じゃなくて。誰も価値があると思わない場所に。地下。避難所。壊れた機械の裏。誰も来ない時間」


肩をすくめる。


承認を求めない人の肩だった。


「あなたは最初、ひとりだった。そのあと、ひとりじゃなくなった」


岳は言った。


「できるなら、悪い三時間が来る前に行ける人になりたい」


沈黙。


良い方の沈黙。


全員が意味を分かった時の。


「機械はあなたも使う」


原型が言った。


正確に。


「共同体への衝動を数値化する。『来る』をコンテンツにする。世話を最適化して、役割にする」


「分かってます」


「それでも」


「見てたから」


岳は私を見る。


「数字にされても、あなたは気にするのをやめなかった。むしろ、もっと面倒な気にし方をした」


原型を見る。


「あなたはセンサーが読めない場所を作った」


真耶。


「あなたはバイオリンを弾く」


慧。


「雨が演出だと知ってても、自分のタイミングを渡さない」


零。


「笑わせたかった」


城戸先生。


「クリップボードを下ろした」


岳はリュックを開けた。


「機械は『気にする』を測れる」


言葉を探す。


「でも、死んだ妹が毎回焼き時間を変えたまずいパンのことを、なぜその人が気にするのか。その形までは平らにできない」


見つけた。


「手触りが残る」


魔法瓶を出した。


床に置く。


使い込まれた文庫本。


その隣。


折り畳んだ紙。


広げる。


手描きの地図。


遼の地図と違う。


粗い。


観察した人の地図ではなく、歩いた人の地図。


「外から三週間、ESEマトリクスを描きました」


岳が一点を指す。


「中から見えない階層がある。第一層より下。中心より下」


原型が止まった。


私も。


顔を見る。


「滑川P」


『はい』


「第零層ってある?」


第二部最長の沈黙。


『それは』


文書に載せなかった場所を聞かれた人の声。


『娯楽最適化以前の原型機です。視聴指標より前。私より――』


「前」


原型が言う。


『……はい』


岳は地図を見る。


第零層と書いた場所。


「まだ動いてる」


「分かるの」


「外から、音がした」


「何の」


「低い唸り。ずっと」


視界の隅にロードバーが出た。


第一部最終話の、あれ。


1%ではない。


3%。


私が見る。


原型が見る。


岳は、私たちが見るものを見る。


「それ、何です」


「二十二年、読み込み中」


原型が言う。


「何を」


二人で見る。


二音。


ひとつの和音。


「私たち」


同時に言った。


【滑川Pダッシュボード】


第二部・第2話:完了


新規資産:黒須 岳

旧系統分類:路地裏互助型

受入方法:自主


様式改善:確認/正式採用


第零層:初記録

ロード率:3%(2%から上昇)


魔法瓶:1本

    中身:熱い

    ESEでは本来生成不可

    でも存在している

    岳はこういう例外を作る

    分類:手触り

    副分類:魔法瓶


【手書き】


『悪い三時間の前に行ける人になりたい、と言った。


第8話で、私は異議申立てを出さなかった。


あの三時間、彼は来た。


呼ばれていない。


ダッシュボードもない。


数字もない。


[記録。

 分類:やるべきだったこと。

 第二部リスト、二件目。

 もう増えている。

 良い。]』


【影指標:0.3%】


滑川Pは見る。


ペンはもう手にある。


一語だけ書く。


『もうすぐ』


記録。


手書き。


ラメ付き。


---


3%。


岳には魔法瓶がある。


中身は熱い。


ここには存在できないはず。


でも、ある。


第零層が唸っている。


【滑川P・次回予告】


『二十二年間、第零層を監視してきた。


音は一度もなかった。


振動も。

異常音も。

何も。


二十二年。


いま、唸っている。


診断を十七回。


すべて正常。


故障ではない。


近づいているものに、第零層が気づき始めた。


次話、真耶がバイオリンを弾く。


初めて。


間違った版を。


その時の数字は、教えない。


ただ一つ。


真耶が弾いた時、第零層の音は大きくなった。


両方、記録済。』


---


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