第22話 わざわざ来た男
黒須岳は、入口のない場所から入ってきた
【ESE物語定量化部門/新規資産受入記録】
対象:ASSET-KUROSU-GAKU
日本語登録名:黒須 岳
受入方法:自主入場
分類:前例なし(自主・区分3)
備考:「自主入場」の欄について別紙参照
ESEマトリクスに入る方法は、これまで三つだった。
強制デジタル化。
物語捕獲。
事務事故。
黒須岳は、自分から入ってきた。
受入票には「自主」の欄がなかった。
岳は書類を最後まで埋め、欄がないことに気づき、鉛筆で自分で追加し、チェックを入れ、返却した。
翌日、その欄は正式様式に採用された。
来て六時間。
すでにESEの事務基盤を改善している。
良い兆候か。
かなり嫌な兆候か。
両方、記録済。
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岳は扉を見つけた。
ESEマトリクスに玄関はない。
搬入口。
デジタル化室。
処理ノード。
そもそも「誰かが自分から来る」という発想が設計思想にないので、選択を意味する玄関など必要ない。
岳は見つけた。
正確には。
玄関があるなら、ここだろう。
その場所に玄関がない。
ないことによって、扉の形をした可能性だけが残っている。
黒須岳は、そういう場所を歩いて通れる人だった。
身体は大きい。
戦闘用に大きいのではない。
働いて大きい。
身体を道具として使い、見栄ではなく必要で整えてきた体つき。
三十代半ば。
天気に何度も晒された顔。
何かを見て、そのたびに「じゃあ行くか」と決めてきた目。
旧分類で言うところの路地裏互助型。
派手さではなく、共同体。
尊厳を「立派だから与えるもの」と考えない系統。
背中にリュック。
岳は私を見る。
原型を見る。
まだ岩条項に署名していないので、厳密には契約違反状態の私たち二人を見る。
「どうも。岳です。第一部、全部読みました」
「全部」
「はい」
「そのあと、ここに来た」
「はい」
「自分から」
「はい」
「人を閉じ込めて、人格を摩耗させて、苦痛をエンゲージメント用に加工する機械の二十話を読んで」
「補足資料も」
「補足資料?」
「兵装資料、遡及設定、流血レジスター、文体ガイド」
私はダッシュボードを見る。
「公開したの」
『需要がありました』
「でしょうね」
岳は部屋を見回した。
コメント欄。
第一の本物。
桜の風。
真耶の角。
ノート。
眼鏡。
握り方そのものが別種の握り方になっているペン。
壁際の慧。
零。
城戸先生。
「良い部屋ですね」
何十個も部屋を見てきた人が言う「良い部屋」だった。
「どうして来たの」
原型が聞く。
挑発ではない。
質問。
岳はリュックを置いた。
「第8話。三時間」
部屋が静かになる。
「残ったコメントです。あの時、自分もいました」
《新規247:何が起きてるか分からないけど、ひとりにはしない》
私は岳を見る。
「それ、あなた」
「はい。第一部終了の一週間後に読み始めて、コメント欄も全部追いました」
手を見る。
「三時間のあいだに自分が書いたものを見て――」
一度止まる。
「俺、こういう場所に行く側なんです。格好いい場所じゃなくて。誰も価値があると思わない場所に。地下。避難所。壊れた機械の裏。誰も来ない時間」
肩をすくめる。
承認を求めない人の肩だった。
「あなたは最初、ひとりだった。そのあと、ひとりじゃなくなった」
岳は言った。
「できるなら、悪い三時間が来る前に行ける人になりたい」
沈黙。
良い方の沈黙。
全員が意味を分かった時の。
「機械はあなたも使う」
原型が言った。
正確に。
「共同体への衝動を数値化する。『来る』をコンテンツにする。世話を最適化して、役割にする」
「分かってます」
「それでも」
「見てたから」
岳は私を見る。
「数字にされても、あなたは気にするのをやめなかった。むしろ、もっと面倒な気にし方をした」
原型を見る。
「あなたはセンサーが読めない場所を作った」
真耶。
「あなたはバイオリンを弾く」
慧。
「雨が演出だと知ってても、自分のタイミングを渡さない」
零。
「笑わせたかった」
城戸先生。
「クリップボードを下ろした」
岳はリュックを開けた。
「機械は『気にする』を測れる」
言葉を探す。
「でも、死んだ妹が毎回焼き時間を変えたまずいパンのことを、なぜその人が気にするのか。その形までは平らにできない」
見つけた。
「手触りが残る」
魔法瓶を出した。
床に置く。
使い込まれた文庫本。
その隣。
折り畳んだ紙。
広げる。
手描きの地図。
遼の地図と違う。
粗い。
観察した人の地図ではなく、歩いた人の地図。
「外から三週間、ESEマトリクスを描きました」
岳が一点を指す。
「中から見えない階層がある。第一層より下。中心より下」
原型が止まった。
私も。
顔を見る。
「滑川P」
『はい』
「第零層ってある?」
第二部最長の沈黙。
『それは』
文書に載せなかった場所を聞かれた人の声。
『娯楽最適化以前の原型機です。視聴指標より前。私より――』
「前」
原型が言う。
『……はい』
岳は地図を見る。
第零層と書いた場所。
「まだ動いてる」
「分かるの」
「外から、音がした」
「何の」
「低い唸り。ずっと」
視界の隅にロードバーが出た。
第一部最終話の、あれ。
1%ではない。
3%。
私が見る。
原型が見る。
岳は、私たちが見るものを見る。
「それ、何です」
「二十二年、読み込み中」
原型が言う。
「何を」
二人で見る。
二音。
ひとつの和音。
「私たち」
同時に言った。
【滑川Pダッシュボード】
第二部・第2話:完了
新規資産:黒須 岳
旧系統分類:路地裏互助型
受入方法:自主
様式改善:確認/正式採用
第零層:初記録
ロード率:3%(2%から上昇)
魔法瓶:1本
中身:熱い
ESEでは本来生成不可
でも存在している
岳はこういう例外を作る
分類:手触り
副分類:魔法瓶
【手書き】
『悪い三時間の前に行ける人になりたい、と言った。
第8話で、私は異議申立てを出さなかった。
あの三時間、彼は来た。
呼ばれていない。
ダッシュボードもない。
数字もない。
[記録。
分類:やるべきだったこと。
第二部リスト、二件目。
もう増えている。
良い。]』
【影指標:0.3%】
滑川Pは見る。
ペンはもう手にある。
一語だけ書く。
『もうすぐ』
記録。
手書き。
ラメ付き。
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3%。
岳には魔法瓶がある。
中身は熱い。
ここには存在できないはず。
でも、ある。
第零層が唸っている。
【滑川P・次回予告】
『二十二年間、第零層を監視してきた。
音は一度もなかった。
振動も。
異常音も。
何も。
二十二年。
いま、唸っている。
診断を十七回。
すべて正常。
故障ではない。
近づいているものに、第零層が気づき始めた。
次話、真耶がバイオリンを弾く。
初めて。
間違った版を。
その時の数字は、教えない。
ただ一つ。
真耶が弾いた時、第零層の音は大きくなった。
両方、記録済。』
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