第16話 パッチノート・過去適用
パッチノートは、真耶の手帳の中に届いた。
比喩じゃない。
朝、真耶が手帳を開いた。
昨日、自分でびっしり書いたはずの「第二層仮説」のページに、知らない筆跡が一行だけあった。
《綴じ目を見て》
真耶の眉が、一ミリ動いた。
それは一般人の悲鳴に相当する。
「私じゃない」
「分かる」
「どうして」
「真耶、自分の字が他人より嫌いそうだから」
「そういう推測は腹が立つ」
「当たってる?」
「腹が立つと言った」
綴じ目を探る。
一枚の紙が出た。
紙なのに、通知画面みたいだった。
物理とデジタルの中間で、どちらにも責任を持ちたくない物体。
【遺物5:パッチノート】
紙の端に、小さなバージョン番号が刻まれていた。
Ver. 0.00-R
「Rって」
『遡及適用のRでしょう』真耶。
「普通、そこ略す?」
「普通、過去をアップデートしない」
正しい。
裏面には、さらに細かい文字があった。
【禁止事項】
・死亡の取り消し
・ランキング結果の直接変更
・新規人物の捏造
・本人が当時持っていなかった感情の追加
【許可】
【候補提案/自動生成】
・第10話「雨イベント」:KAI-PRIMEが期待された恋愛行動を実行したことにする
予測:瞬間PV+220%
長期ヘイト視聴:-41%
「数字、自分で答え出してる」
別窓から慧。
《却下》
「早い」
《今やったら、八万九千人が十話分怒ってた時間が無駄になる》
真耶が一秒止まった。
「理由そこ?」
《あと、あの手はあの時の手。後から別の意味を盛るな》
私は表示を見る。
二つとも、本気だった。
それが少し面倒で、かなり良かった。
・当時すでに存在したが、言語化されなかった事実の明文化
「かなり限定的」
「だから怖い」
真耶が言った。
「便利な嘘は入れられない。自分が何を本当だと認めるかだけ、残る」
過去の連続性を一箇所、遡及修正する。
使用回数:1
意味のある変更:1
【注意】
便利にするな。
真実にしろ。
「最後の注意、システム文にしては文学的」
「書いたの、機械じゃない」
真耶は手帳をめくった。
一頁。
二頁。
三頁。
手が止まる。
「三週間」
「何が」
「余白に修正がある」
細い書き込み。
証拠番号の横。
層モデルの端。
真耶は自分の補足だと思っていた。
違った。
「全部、正しい?」
真耶は、しばらく認めたくなさそうにしていた。
「……正しい」
「元の私」
「たぶん」
「人の手帳に勝手に査読コメント入れてる」
「しかも正しい」
「最悪」
「同意」
何を変えるか。
迷わなかった。
第3話。
莉亜のまずいパン。
冥司が思い出し、私が、本当に知りたかったと気づいた場面。
出来事は変えない。
結果も変えない。
一文だけ。
当時、本当だったのに、まだ自分で言葉にできなかったことを足す。
《あの知りたいは、手段ではなかった。ロード画面のあと、初めて自分の内側から出てきた本物だった。問題になると分かっていたから、ダッシュボードの届かない場所に隠した。》
確定。
ダンジョンの空気が、一度だけ巻き戻った。
壁の応援コメントが発光する。
最強厨Lv99:
《待って。これ前からあった?》
数秒後、過去話のPVが跳ねた。
第1話。
第2話。
第3話。
読者が戻っている。
《他にもあるか?》
《第7話の岩の表現変わってない?》
《いやそれは元から》
《スクショ持ってる人》
《魚拓班いる?》
「考察勢、急に元気」
過去話の継続読了が四倍になった。
変更は一か所だけ。
読者はそれを知らない。
だから第1話から全部読む。
「ほかにも変わった場所があるかもしれない」という、存在しない可能性を探して。
「変更一つで、全話再読」
『はい』
「効率いいね」
『制作側としては非常に』
「嫌な顔してる」
『過去を本当にする行為と、再読率四百%を同じ画面に置く仕事ですので』
真耶が胸を張った。
「こういうときは強い」
「嬉しそう」
「研究対象が自発的に増えた」
「そこ」
「何」
「人を研究対象って言う癖」
真耶は一秒だけ止まり、手帳に何かを書いた。
あとで覗いた。
《言葉:人》
それだけだった。
深夜二時の読者:
《ない。ないよね? 第3話四回読み直した》
闇属性匿名会:
《パッチノート遺物だ!!》
有馬遼@地図描き:
《地形が変わった。小さい。けど荷重がかかってる》
『過去話の再読率、四百%上昇』
滑川Pが言った。
「他にも変えた?」
『いいえ』
「読者は知らない」
『はい』
「じゃあ全部読む」
『はい』
「私が、どこで本当のことを言い損ねたか探して」
『はい』
「機械、好きそう」
『非常に』
「嫌だね」
『非常に』
真耶は、手帳を開かなかった。
ペンだけ持っている。
いつもなら書く。
書けば処理できるから。
今日は、書かない。
「元の私、何でも変えられた」
「一回だけ」
「強くもできた。距離も縮められた。層も消せたかもしれない」
「でも、第3話の一文」
「本当だったのに言えなかったことを、あとから本当にした」
真耶がこちらを見る。
「言いかけてやめたことは、歴史を変えてでも残す価値がある。そう言ってる」
「真耶」
「やめて」
「バイオリン」
「やめて」
「火曜」
ペンを置いた。
今度は、完全に。
「火曜の夜」
声が小さい。
「練習がうまくいった日は、誰も知らなくてよかった。帰り道だけ、自分がちゃんと一日を使った感じがした」
少し間。
「四か月、思い出してなかった」
「いまは」
「思い出してる」
「良い」
「不安定になる」
「ここで良いことって、だいたいそう」
滑川Pが、静かに入った。
『元のフリグスデイは第一層です。あなたたちは第七層』
「六つ?」
『層の数え方が変動しています。実質、五つ』
「どうやって降りる」
『降りません』
「何」
『層のほうが、あなたを通過します』
真耶が顔を上げた。
『各層は、中心へ近づくアセットを“扱いやすくする”ための加工工程です』
「五回、加工」
『はい』
「加工されないで抜けた人」
沈黙。
『いません』
「じゃあ、最初」
【滑川P・次回予告】
『次回から、層が始まります』
主人公最強。
一位。
ランキング。
勝ちたい。
強くなりたい。
上に行きたい。
すべて、Web小説では強い欲望です。
問題は、その欲望が本人のものかどうかです。
第17話「第七層・ジャンルの罠」。
大賞を獲りたいという金曜の願いも、同じ検査にかけられます。
[記録済]
【ESE事後記録】
遺物5:使用済
変更:第3話 一文
過去話再読率:+400%
真耶:火曜夜を再想起
中心まで:実質5層
影指標:0.3%
滑川P手書き:
『過去を便利にしなかった。
過去を、少しだけ本当の形にした。
ラメが付いている。
もう取らない』
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