第14話 引き延ばし回ホラー
引き延ばし回は、始まったと知らせてくれなかった。
知らせたら、入る前に拒否できるからだ。
最初は、物語の動きが鈍るだけ。
棚に手を伸ばしたら、棚が昨日より数センチ遠い。
そんな感じ。
二日目に気づいた。
一日目は、むしろ楽だった。
冥司が来た。
いつも通り火曜の話をした。
遼が地図を直した。
慧が短く顔を出した。
真耶は手帳を開きながら、別窓で成人向け配信を続けていた。
【配信時間:4:48:12】
【本日の主題:何も起きない回で、どこまで会員を残せるか】
「何も起きてないのに、まだ配信してる」
「何も起きないから、自分で起こすの」
「自分で選んだ仕事」
「あなたは敵が来るまで岩」
「岩は重要」
「知ってる」
慧が横を通った。
床に、なぜか一人分しかない長椅子が出現する。
『設備更新です』滑川P。
「嘘」三人で言った。
座ろうとした瞬間、長椅子が半分だけ消えた。
私は慧の膝に落ちかける。
慧は腕で受け止め、そのまま一秒。
コメントが沸騰した。
慧は画面を見る。
「今日は何も起きない回だろ」
私を立たせる。
《最低》
《またやった》
《次は絶対》
真耶が数字を見る。
「何も起こさないことで起こしてる」
「低単価?」慧。
「今日は中単価」
全部、以前にも見たことのある配置だった。
読者は安心する。
こちらも安心する。
安心は悪くない。
だからこそ、侵入に向いている。
私は天井を説明していた。
誰にもじゃない。
読者にもじゃない。
自分の中で。
自分でいるために続けている、あの独り言で。
石の粒。
松明受け。
岩の重さ。
止まった。
「真耶」
「引き延ばし。昨日の昼から」
顔も上げない。
「どれくらい続く」
「継続率が安定してる限り、理論上は無期限」
「無期限」
「物語速度が高すぎると、ESEは低刺激回を挟む。読者の期待値を平らにして、次の大イベントを強くする」
「私たちは?」
「目的は」
「規制。大きい出来事が続きすぎると、読者が全部を大きい出来事として処理できなくなる。だから刺激を平らにする」
「次の山を高く見せるために、私たちを平らにする」
「そう」
「怪物」
「機構としては合理的」
「合理的な怪物が一番面倒」
真耶がペンを置いた。
手帳は開いたまま。
「最初に反復」
壁を見る。
「同じものを同じ順番で考える。同じ反応をする。次に、それが楽になる」
「楽になるのが悪い?」
「反復が“自分らしさ”に見えてくる」
彼女はペンを拾う。
また置く。
「そのあと、新しい考えを作らなくなる。昔の考えで全部足りるから」
「真耶は、何回」
「三回」
「減った?」
「たぶん」
声は平らだった。
「何を失ったかは分からない。失った中に“何を失ったか記録する能力”も含まれるから」
ダンジョンが静かだった。
「前、何が好きだった」
「やめて」
「能力じゃなく。研究でもなく。好きだったもの」
真耶は長く黙った。
「音楽」
「何」
「バイオリン」
初めて、少しだけ声が人に戻る。
「上手かった?」
「有名になるほどじゃない。練習と好きが両方必要なくらい」
ペンを見る。
「火曜の夜が、ちゃんと火曜になるくらい」
その言い方を、私は覚えた。
「最後に弾いたの」
「四か月前」
止まる。
「……四か月」
その言葉が、自分の声で戻ってきた。
「私、四か月、考えてなかった」
「バイオリンを探す」
「クエストじゃない」
「知ってる」
「報酬もない」
「知ってる」
「意味ない」
「だから、やる」
真耶が私を見る。
「分析しないで」
「今回はしない」
「本当に?」
「あなたが持つだけ」
小さい沈黙。
「……分かった」
『確認ですが、その行動にはクエスト報酬がありません』滑川P。
「だから?」
『……いえ。確認です』
真耶が一度だけ、天井を見る。
「滑川P。そういう確認をするようになったんだ」
『記録しないでください』
「もうした」
引き延ばし回は、あと四日続いた。
三日目。
沙良が来て、いつもの「ふん」を言った。
私は、いつもの返しをしそうになった。
やめた。
「今日、何が腹立つ?」
沙良は驚いた。
「毎回違うに決まってるでしょ」
その一言で、部屋の空気が少し戻った。
四日目。
冥司がパンを持ってきた。
同じまずさではなかった。
「前より焦げてる」
「進歩した」
「方向が?」
「違う失敗になった」
それでいい気がした。
反復の中でも、違う失敗はできる。
私は天井を二回説明しかけた。
一回目は、石の色。
二回目は、松明受けの錆。
三回目は、説明している途中で、昨日と同じ順番だと気づいた。
石。
錆。
光。
岩。
四日前の私と、同じ文章。
ぞっとした。
敵なら殴れる。
これは、私の声で私を減らしていた。
「真耶」
「分かってる」
「私、同じ文章使ってる」
「私は同じ比喩を三回使った」
「何」
「“証拠の重み”」
「真耶が?」
「三回」
彼女は本気で怖がっていた。
表情は変わらない。
でも、ペンの持ち方で分かった。
二回とも止めた。
そのたび、誰かに新しいことを聞いた。
PVは十三万一千で安定。
コメントも安定。
《今日も落ち着く》
《こういう回も好き》
《ずっとこれでもいい》
最後の一つを見て、私は長く黙った。
ずっとこれでもいい。
読者に悪意はない。
むしろ好意だ。
だから危険だった。
何も変わらない私を、好きでいてくれる人がいる。
その好意に合わせれば、生き残れるかもしれない。
そして、生き残ったまま少しずつ消える。
滑川Pは喜ばなかった。
画面の隅に、ずっと前からあるらしい項目が一つあった。
滑川Pはそこを見る。
見て、目を逸らす。
また見る。
「何」
『昔、私が何を好きだったかを思い出そうとしています』
「出る?」
『項目がありません』
「自分のことなのに」
『二十二年、他人の項目を作る仕事をしてきましたので』
その言い方は冗談みたいだった。
笑えなかった。
「数字、安定してる」
『はい』
「嬉しくない?」
『……自分が何を考えなくなったか、思い出せません』
それだけだった。
【滑川P・次回予告】
『彼女は真耶にバイオリンを探します』
クエストではありません。
報酬もありません。
PV目標もありません。
それが、今期最高の読了率を出しました。
私は説明できません。
次回、商品化権。
公式SDキャラ。
アクスタ適性。
丸い目。
売りやすい笑顔。
第15話「商品化権」。
グッズの話ではありません。
交換可能性の話です。
[記録済]
【ESE事後記録】
引き延ばし:進行中
PV:131,000安定
十文字真耶:バイオリンを四か月忘却
滑川P:“やるべきだったこと”五件目
影指標:0.3%
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