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フリグスデイ――機械の中の欠片  作者: 竜の牙


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第10話 雨イベント

甲斐慧は火曜に来た。


火曜だと分かったのは、滑川Pが日付表示を追加したからだ。


自分が完全には管理できないものほど、ラベルを貼りたくなるらしい。


KAI-PRIME。


【旗艦アセット評価】

主人公力:S

戦闘解決率:97.4%

離脱耐性:高

読者満足度:安定

炎上率:低

物語上の予測可能性:高


「最後、褒めてない」


『商業上は褒めています』


「それが問題」


慧は表示を見て笑わなかった。

怒りもしなかった。


「ずっとこれで評価されてきたから」


「慣れた?」


「慣れたことと、好きなことは違う」


オーバーレイには、きれいな数字が並んでいた。


視聴。

保持。

物語権限。

戦闘効率。


長いあいだ、効率を褒める機械に最適化され続けた人の数字。


でも、そこには表示されないものがあった。


最適化されながら、長いあいだ本気でもあった人の感じ。


その違いを、オーバーレイは読めない。


私は読めた。


慧が私を見る。


私も見る。


八万九千人が、それを見る。


「こんにちは」


「KAI-PRIME」


「慧でいい。プライムは滑川Pがつけた」


「何で」


「旗艦扱いすると、だいたいつける」


「私には?」


「ERROR」


天井を見る。


「でしょうね」


「あなたの数字、フィクションを面白くする方法に対する侮辱だと思う」


「知ってる」


反論しなかった。

傷ついた顔もしない。


ただ、知っている。


そういう顔だった。


私は、防御されたとき用の返事を十一個準備していた。

全部、無駄になった。


「普通、怒る」


「本当のことに怒っても、数字は変わらない」


慧は周囲を見る。


岩。

壁。

悲しみ水の跡。

応援コメントの灯。


「遼、ここも描いてた」


「有馬遼を知ってる?」


「俺の区画も描いた。機械全体の地図を作ってる」


「モブと話すんだ」


「話さないの?」


一瞬、言葉がなかった。


「私だけだと思ってた」


慧は、必要以上に長く私を見た。


その一拍が残った。


『雨イベント、開始します』


滑川Pの声は、数か月かけた企画を披露する制作責任者のそれだった。


雨が降った。


屋内で。


天井は石。

外気導入口はない。


でも降った。


滑川Pが決めたから。


ESEでは、制作判断が物理法則になる。


慧が上を見る。

私を見る。


壁に、小さな色灯が増える。


【推しカプ:金曜×慧 発生】


応援コメントの速度が上がる。


《雨、分かってても効く》

《演出なのに会話は本物なの何》

《滑川P、今ごろガッツポーズしてそう》


「してる?」


『していません』


「即答」


『勤務中です』


慧が横から言う。


「たぶんしてる」


『甲斐慧』


「はい」


『余計な推測は控えてください』


「図星」


雨が、適温のまま降った。

【カプ名候補:自動生成中】

【尊い判定:暫定A】

【スクリーンショット保存率:急上昇】

【相合傘演出:候補】

【床面摩擦:演出都合で一時低下】


「相合傘。屋内なのに」


『雨イベントですので』


慧が候補欄を閉じた。


《閉じるな》

《そこまで仕込んで使わないの何》


「待って、何その項目」


言い終わる前に、足が滑った。


慧が腰を支える。

近い。

近すぎる。


【ラッキースケベ判定:成立】


コメント欄だけが先に壊れた。


《いけ》

《今だろ》

《何で止まる》

《そこからが本編》


慧は私を立たせた。

きっちり立てるところまで。

それ以上は何もしない。


壁のコメントを一度見る。


「今ので閉じる人、いる?」


『逆です』滑川P。


【期待回収:0】

【怒気コメント:+680%】

【次話遷移予測:上昇】


「分かっててやった?」


慧が私を見る。


「転ばせたのは滑川P。やらなかったのは俺」


「楽しい?」


「八万九千人が同時に『何で』って言うのは、少し」


「性格悪い」


「ここでは褒め言葉?」


『数値上は』滑川P。


「聞いてない」


雨はまだ適温だった。


「自動でカプ名まで作るの」


『読者が五分以内に作ります。先回りしたほうが表記揺れを防げます』


「制作が二次創作の表記統制するな」


慧が雨の中で、口元だけ笑った。


その笑いはオーバーレイに数値化されなかった。


私には、それで十分だった。

【反応率:+1200%】

【滑川P:壊さないでください】


「仕込んだね」


「完全に仕込んだ」


「雨そのものは、かなり出来がいい」


「完璧。そこが嫌」


手を出す。


雨粒は、感情的な場面に最適な温度だった。


「本物の雨は冷たい。襟に入る。泥の匂いがする」


「作り物は、いつも適温」


私たちは、適温の雨の中にいた。


美しい。


だから、誰かが並べたのが分かる。


「慧」


「何」


「何でここにいる」


彼は黙った。


「先に入った人がいる。追ってきた」


「見つけた?」


「まだ」


「生きてるか」


「分からない」


長く探しすぎて、その重さが日常になった人の声だった。


「この機械、時間がまっすぐじゃない」


「知ってる」


しばらく雨だけが話した。


慧が言う。


「作られた状況だと、ここで言ったことまで偽物になる?」


私は、はいと言いたかった。


機械が使えるものは全部、機械のものだと。


雨を見る。

八万九千の人を見る。

モブと話す男を見る。

誰かを探して、長く歩いてきた男を見る。


「分からない」


それが一番本当だった。


慧は、それで十分らしかった。


「同盟」


私から言った。


「カプ用じゃない。企画用でもない。本当の同盟。あなたには私にない資源がある。私には」


「本物がある」


「本物」


「あと、鳴くスキルコア」


「個人情報」


「遼の地図に書いてある」


「地図、何でも書くね」


「地図だから」


慧が手を出した。


私は長く見た。


『金曜。握手するとカプ反応が』


握った。


壁が光った。


『PV、九万四千。単話新記録です』


「数字、言わないで」


『なぜ』


「知ったら、数字に向けて演技し始める」


沈黙。


『九万四千』


「滑川P」


『あなたが、自分の価値を知るべきだと思ったので』


慧の手は温かかった。


記録する。


深掘りはしない。


慧はもう片方の手で、紙を渡した。


その前に、滑川Pが珍しく聞いた。


『金曜。さきほど“数字を知ると演技する”と言いましたね』


「言った」


『では、知らないほうが良い数字は、今後伝えないほうが?』


私は考えた。


「全部隠されたら、また機械に使われる」


『はい』


「全部見たら、数字に自分を合わせる」


『はい』


「面倒」


『非常に』


「必要なとき聞く。勝手に褒めるために使わないで」


「数字があることは知りたい。でも、数字に合わせて今日の気持ちを作りたくない」


『制作側からすると非常に扱いづらい運用です』


「扱いやすくなるために嫁化されたばかり」


『反論できません』


「じゃあルール。数字は道具。答えじゃない」


滑川Pが、一拍置いた。


『……記録します』


「手書き?」


『今回は手書きです』


沈黙。


『……運用ルールとして記録します』


ここにも、規則が一つ増えた。


私のための。


遼の地図。


「“地図を分かる人に渡して”って」


二枚になった。


律のバックエンド図。

遼の、存在してはいけない場所の地図。


重ねれば、何かが出る。


たぶん、酒場の女。


完璧な雨が降っている。


手は温かい。


本物は冷たいこともある。


これは温かい。


意味は、まだ分からない。


分からないまま持っておく。


【滑川P・次回予告】


『雨は私が作りました』


温度、照明、距離、タイミング。

すべて演出です。


ただし、握手は指示していません。

「数字を言わないで」も台本にありません。

私が数字を言った理由も、企画書にはありません。


次回、十文字真耶。

考察勢が人間の形でダンジョンに入ってきます。

手帳を持っています。

すでに、あなたがここまでどう読んだかから三つ推測しています。


第11話「十文字真耶、入場」。


[記録済]


【ESE事後記録】

単話PV:94,000

雨:制作演出

握手:制作指示なし

同盟:成立

地図:2

酒場の女:両図の重複点

影指標:0.3%


滑川P手書き:

『価値を知ってほしい、と言った。

なぜ今日そう言ったのか分からない。

[“やるべきだったこと”二件目]』


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