第54話 ミエイ湖
ボートは大人が二、三人乗れるかどうかくらいの大きさだった。
「セレナ。先に乗って。僕がボートをこぐよ。」
ルクスに言われて、セレナは恐々そのうちの一艘にぴょんっと飛び乗った。
「きゃあ。」
ボートがグラグラ揺れて、セレナは慌ててボートのへりに掴まった。
「ハハハ。もっとゆっくり乗らないと危ないよ。」
ルクスが楽しそうに笑った。
セレナは少しむくれ気味にルクスをボートから見上げた。
「だって、こんなのに乗るの初めてなんだもの。」
「笑って悪かったよ。こうやってゆっくり乗るんだ。」
ルクスは低い姿勢で片足ずつゆっくり足を置きボートに乗り込んだ。
船着き場に置いた籠を取りボートの端に乗せると、オールを取りゆっくりとこぎ始めた。
セレナは湖から周囲の森を眺めた。
真っ直ぐに生える木々の影が湖面に映っている。
「木の影が湖に映っているのも素敵ね。」
感動したように目を輝かせるセレナを見て、ルクスも微笑んだ。
「そうだね。」
次にセレナは湖の中に目を向けた。
「まあ、けっこう深くまで見えるわ。水が綺麗なのね。」
湖は岸から見るのとは、また違った色合いに見えた。
「あ、ルクス見て。魚がいる。とても大きいわ。」
セレナは魚を指差した。
「本当だ。こんな大きな魚もいるんだね。僕も知らなかったよ。」
そうこうしているうちに岸から随分離れ、ボートは湖の真ん中の辺りまでたどり着いた。
そこでルクスは一旦こぐのを止め、オールから手を放した。
頬をなでる優しい風が二人の間を駆け抜ける。
コバルトブルーの湖の上には二人しか存在せず、見上げると晴れ渡る青空が見えた。
「二人きりね。」
セレナがポツリと呟いた。
森と湖しかないこの場所にいると、この世界にルクスとセレナの二人しか存在しないような切ない気持ちが湧き上がってきた。
それだったら、どんなに良かっただろう。
大陸に住む人たちのことや、自分にのしかかった責務など全て忘れて、目の前の愛しい人と二人で静かに過ごせればどれほど幸せか。
どうして私が自分の心を犠牲にして、顔も知らない大陸の人たちを救わなければいけないのだろうか?
考えないようにしようと努めていても、心が弱ったふとした瞬間にそんな思いが浮かんでしまうのだ。
「ここから私たちが帰らなかったら、事故だと思ってもらえるかしら・・・」
静かな青い湖面を見つめていると、そんな誘惑に囚われた。
全ての煩わしい重荷から解放されて、愛しい人と二人でこの美しい湖の底で永遠の眠りにつく。
そんな甘美な想像が疲れ弱り切ったセレナの心の中にスルリと入り込んできたのだ。
「セレナ・・・」
セレナの言葉に、ルクスが驚いたように目を見張った。
その後ルクスは湖を見つめるセレナを無言で見ていたが、やがてポツリと呟いた。
「君がそう望むなら・・・」
二人はどちらからともなく身体を寄せあい深い口づけを交わした。
その後、少し身体を離しお互いの顔を見た。
そして覚悟を決めた瞬間。




