↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水眼の村  作者: ヒオウギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/8

第6話:水の中の自分

 逃げている間中、背後に“自分の足音”がついてきた。




 違う。俺のじゃない。

 もう一人の俺――“写し”の足音だ。




 振り返っても姿は見えない。

 だけど、気配がまとわりついてくる。

 水たまりの中、窓ガラスの中、排水溝の奥……すべての“水”が、俺を映し返してくる。




 そこにいるのは、俺じゃない俺。




 目が合うたび、じわりと心の輪郭が曇っていく。

 考えることが、感情が、自分のものじゃないような感覚に侵されていく。




 写しが、俺の内側に入り込もうとしている。




 ***




 自宅に戻った。

 祖母はいなかった。どこへ行ったのか、連絡も取れない。

 部屋の中は静まり返っていて、湿気が不自然に重い。




 風呂場の鏡が、うっすら曇っていた。

 湯気ではない。内側からの濁りだ。




 気づけば、鏡の中に“笑っている自分”が映っていた。

 さっきまで俺は、そんな顔をしていなかったのに。




「やあ、俺。ずいぶん疲れてるみたいだね」




 写しが、喋った。




「もう楽になったらどうだ? こっちはよく知ってる。お前の中の、誰にも言えないこと」


「……うるさい」


「ほんとはこの村が怖いんじゃない。“自分の中にあるもの”が怖いんだろ?」




 写しの声は、俺の声と同じだった。

 だからこそ、耳の奥に直接突き刺さってくる。




「昔、死にたいと思ったこと、あるだろ?」


「やめろ……」


「母親に本音を言えなかった。恋人を作る勇気もなかった。誰かに選ばれることが怖かった。

 ……そんな弱いお前は、もう終わりにしよう」




 鏡の中の“俺”が、手を伸ばしてくる。


 その手が、鏡を越えて現実に突き出される。

 水面のように揺れるガラス。そのまま、“俺”が出てこようとして――




 ――パリーン!




 鏡が砕けた。

 その破片の向こうに立っていたのは、葵だった。




「ごめん、間に合ってよかった」




 彼女の手には、小さな鈴があった。

 それを鳴らすと、耳の奥でキーンと響く音が水面を割るように広がっていった。




 写しの声がかき消されていく。




「それ……は……」


「“境界”を保つための鈴。あなたの“心”と“写し”を分ける最後の防波堤よ」




 俺は、その場に崩れ落ちた。

 恐怖もあった。でも、それ以上に――




 自分の中にある“弱さ”を、他人に見られた気がして、恥ずかしかった。




「情けないよな、俺……」


「ううん、違うよ。人はみんな、心の中に“写し”を持ってる。

 でもね、強さっていうのは、それを“見つめた上で選ぶこと”なんだよ」




 葵の声は、どこか優しくて、でも寂しかった。




「……その鈴と鏡、注連縄を使って、井戸の封印を完成させて。

 でも――私、そこまでは一緒に行けないの」




「え……?」




 葵はうつむいて、静かに言った。




「私はこの村の“水”そのものだから。

 井戸に近づけば近づくほど、水神と混ざってしまう。」




 そのとき初めて、彼女の手が水に溶けかけていることに気づいた。




「……嘘だろ。葵、そんな……」


「大丈夫。大丈夫だよ。

 だから――翔真くん、お願い“あなた自身”を選んで。

 “写し”じゃなくて、“本物のあなた”で封印を完成させて」




 その言葉を最後に、彼女は一歩、後ろに下がった。

 そのたびに輪郭が水に滲み、姿が透けていく。




「……約束だよ」




 そう言って、彼女は消えた。




 ***




 夜。

 俺は、封印具を持って、あの祠へ向かった。


 写しが完全に形を持つ前に――俺自身を取り戻すために。




 その途中、村中の水がざわめいていた。

 雨どい、水道管、池、川――すべての“水”が、俺を見ていた。




 “本物の俺”と“写しの俺”――

 今、最後の境界が壊れようとしている。




 祠の前に立ったとき、そこにはすでに“写し”がいた。




 俺とまったく同じ顔、同じ声。

 でも、その目は空っぽで、そして――満たされていた。




「終わりにしよう、翔真」




 写しが手を差し出してくる。

 握れば、すべてが楽になるのかもしれない。

 考えなくていい。悩まなくていい。誰かに選ばれることも、拒まれることもない。




 だけど俺は、封印具を胸に握りしめて言った。




「――俺は、俺を選ぶ」




 その言葉と同時に、写しの顔がひび割れた。




 水がはじけるように、その体が崩れていく。

 最後に残ったのは、俺と同じ声で漏らした言葉。




「……楽になりたかっただけ、なのに」




 祠の奥から、水神のうなり声が響いた。




 封印の儀。

 ついに、最後の戦いが始まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。