悪魔の嘲笑
かつては蛇の頭部と人間の身体を融合したような魔族、『蛇頭族』の支配した領域。現在は、遠く離れた地に住む黒鬼族と人間との混血の果ての種族、青鬼人の幼児によって支配される領域。
便宜上、ここは現在『天空炎竜山脈』と呼ばれている。
そして、統治する支配者がここに居ないにも関わらず、新たにこの地を得ようと画策する者は、存在しない。例えこの地に、得られれば全世界の支配にすら乗り出せる可能性、ドラゴンの遺骸があったとしても、だ。
なぜなら、真上から俯瞰すれば一辺百キロの正方形を成す領界で組まれる二十七升の総領域、その全てに標高三千メートル以上の岩山が存在しているのだ。ここを掘り進め、支配者となる儀式の場である領界の中心に至れる者など、まず生物として存在出来ないのである。
仮に可能な者とするなら、そんな領界の理の外の存在。それこそ、ここに埋まり、滅びるまで眠る定めのドラゴンと同類しかいない。
もしくは数百世代を重ねて地道に掘り進める手段も不可能ではなかろうが、そんな異変を当の支配者であるセイルに知られず行う事自体が無理である。たちどころに討伐の手が放たれるのも確実であり、最も高い可能性として来る討伐者はドラゴン自身だ。
故に、この地に踏み込む愚か者は、遥か未来まで皆無となるのが当然となるのである。
そんな魔の山を遠く別の領域より眺める異形があった。
筋骨隆々の人間男性の上半身。というデザインで作られた甲冑。しかし下半身は存在せず、跨る獣に融合するかに消えている。その獣は跨られる場所に有りながらも馬では無い。また騎獣と区別されるような、いわゆる地上を駆ける四足獣の類でも無い。
猛禽の頭部に翼。獅子の身体。蛇頭を備える大蛇の尾。空駆ける魔物として恐怖される『グリフォン』と呼ばれる魔物なのである。
そしてこのグリフォンも、上に乗る者同様に全身を甲冑で覆っていた。
しかし視る者が視たなら、その表現が間違っているのにすぐ気付くだろう。なぜならこの存在は、甲冑を纏っているわけでは無いからだ。
四肢や胴体のみなら兎も角、翼を成す羽根の一本一本までが日差しをはね返す金属の光沢を放つのだ。
そう理解して見直せば、この存在は甲冑を纏ってはいない。甲冑そのものなのだと理解出来る物なのである。
そして人界に属する者ならば、このような存在には即、当てはめられる名称を思い出す。『ギミロック』、騎獣騎と書いてそう読ます、人族が有する最強にして最凶の暴力を成す巨大兵器である。
全身を金のメッキで染め上げた異形のギミロック。それは翼を持つに相応しく、天高く空に浮かんで、なお眼前にそびえる岩の山脈を見上げていたのである。
「なんやまあ、開きっ放しの映像が真っ暗やと思うたら、こんなドデカイ蓋ぁ置いてってくれたか。やってくれるなあ……青坊」
そしてそのギミロックから聞こえる呟きの主は、何故か人では無く、魔族の長であった存在、『ハポリム・ソロモニエ・以下略』である。
何故魔族が人間用に作られた兵器に乗るのかは謎だが、ソロモン系悪魔族の多くは人間に近しい容姿を持つ故にか、そう違和感も無く搭乗していた。まあ困るとすれば、悪魔的な特徴として存在する両側頭部から伸びる角が下手に頭を左右に振ればコクピット内の何処かにぶつかる程度であろう。
「さすがにこの山、綺麗に消してえーのドラゴン掻っ攫ってーのとかやりきる前に追撃されよるわなあ。聞けば、もうワイの魔術系統はマルマル効かんようされたらしいし……、ま、八方塞がりってやつやなぁ」
そして視線を山脈の頂きからさらに上へ、蒼穹を成す天へと向ける。
「ま、そんでもようやっと神さんをチラ視できたんは、収穫あったかね。ドラゴン獲れなかった代わりとしは、トントンや思うしかないかあ」
ハポリムは祭壇越しに事の顛末を全て観ていた。『使い』を早々に失って観ているしか出来なかったというのが実態だが、その甲斐あってか、セイルの“変身”と、とうとう名のみしか知れなかった管理者の存在を知覚する事が出来た。
ハポリムが言葉にしたようにイストが神なのか別の何かなのかはまだ理解の外だが、ドラゴンの言葉を介してしか知れない存在を直接知る事が出来たという事実は大きい。
少なくとも、ハボリムが受肉した個体となってから数千年、始めて経験したこの世界の新しい要素なのだ。神の如き存在が実在したという概念の元でする今後の行動は、この悪魔にして初の経験となって行くのである。
「これでまた一つ、この世界の未知が減ったゆう事やんな。いやあ、青坊には感謝感謝や」
『……ツツツ、ワ……我が主。聞こえますでしょうか?』
「お、『影子ちゃん』かい。なんや?」
『メフォス・トフィレス様の件を終了しました。現状の想定ならば最低五年は『かの地』に縛られる予定です』
「そりゃ重畳、御苦労さんやったな。ちゅーか今回、結構分体使わせてもうたなあ、後でボーナスはずむよって勘忍しいや」
『そうですね、それは助かります。分体一つの作成にはほぼ一年を使いますから。特に魔族領域の物は苦心して作ったワタクシ渾身の逸品だったのです。前もって燃やされるとか聞かされてたのなら、換えの効くのを使いましたのに……、ですがもう詮無い事ですか、きれいサッパリ諦めて、またコツコツコツコツ作る事とします。ええしばらくはそんな余裕も無いようですが、そこは時間のやり繰りで何とかしますとも』
「うんホンマゴメン。ボーナス、マジはずむで。後、休暇とかもチョクチョク取れるようするわ」
今回ヨミスケを散々と翻弄した『使い』、影子と名乗る潜入工作員はハポリムの直属として魔王時代から仕えて来た。なので長過ぎる付き合いの結果、ハポリムに対し遠慮の無い口調となるのはデフォルトである。
むしろその上で丁寧口調を崩さない当りに、ハポリムとしては寄り危機感を煽られたのも当然であった。
『ところで……』
そして言外に攻める口調を収め、別の感情を込めた質問をする影子。
『差し出がましく聞きます。メフォス・トフィレス様は、一応はハポリム様の戦友の筈、しかも同じギフティスでございます。ワタクシとしては、今回の対応にはやや度を越したものがあるようにも思えるのですが?』
「んー、まあちょいとなあ。自分棚に上げるんは判ってるんやが、ちょいと妹が不憫でなあ……」
ハポリムとヨミスケ、共に魔族を出奔した身だが、その順序は時間差でハポリムが先となる。
実に都合のいい考えだが、同じ種族であるからか、ハポリムは次の魔王はヨミスケだとふんでいたのだ。長く摂政として動いていたエイムには魔族としての能力に不足は無くてもギフティス同様の行動は不可能。であるなら次の魔王を支える役を続けるのが最適だと思っていたのである。
ただしこれは、ハポリムが得た人間としての感傷である。
当のエイムは魔族なりの思考にそって、それなりのストレスは抱えつつも魔王としてやっている。特にハポリムが干渉する問題では無いし、そもそも、それを言うならハポリム自身の出奔が原因なのだから。
が、しかし魔族独特の感性は別として、個体として男と女がある以上、エイムがヨミスケにどんな感情を持っていたかくらいは、ハポリムも察していたのである。
「やからまあ、行方不明のまんまやのうて、何処に居るかくらいは教えたろかなあ……な気分でなあ」
『なるほど。ハポリム様にそんな人情が残留していたとは、この影子、まだまだ未熟の域でしたね』
「うわそれっ、ワイかて元は地球の人やん。しかも博愛に燃える日本の人やん。特にフェミニン、か弱い婦女子は年齢問わず愛でれる自信に満ちてるねんでっ」
『ああ、そうでしたねえ。確か昔、人族の小さな集落を野盗から助けた時の事ですか。身内を失って泣くだけの少女をハポリム様が必至に撫でてあやす姿が記憶にあります。頭と……臀部ですか、当時は人族をあやす正式な方法と説明されたような記憶があるような……』
「忘れてーーー! 若気の至りやねん! 忘れてぇぇぇ!」
搭乗者の思考に合わせて、空中で頭を抱えモンドリ打つギミロックの姿があった。
もしそれを見知れた者がいれば、どんな天変地異だったかと恐怖したろう。巨大な存在が空中で暴れる旅に暴風が起こるのだ。キロメートル単位で離れている直下の地面では、風圧だけで大木と言える木々がボキボキと折れ、倒れていくのである。
既に災害と認定されてもおかしくない状況だ。
『そんな末期的な幼児性愛もこの世界では許容されるのですら、今更何を恥じているのかですが、まあハポリム様ですからね。ワタクシはキニシマセン』
「ああ、やっぱり魔族には精神攻撃が異様に効くねんなあ」
『さてそんな事より。という事は、この場所、ディムオウグの地にメフォス・トフィレス様がおわす事は魔族に周知されるのですね?』
「ああーーーううーーー、まあそや。て言うか、エイムにこっそりチクるくらいやねん」
『それはつまり、この地にエイム様がいらっしゃると解釈してよろしいので?』
「そこは判らんなあ。あの子、結構真面目やろ。魔王の肩書背負ったまんま、果して来るか……やろなあ」
『今回はハポリム様に感謝を。早々に分体を壊れても良い換えの効く物に変えれますので』
「影子ちゃんも大概やなあ」
結果、後にセイルの元に現・魔王が降臨するかは、分からない。
しかしこの時点で、人族の版図の端では未来の安寧の無い確立が、かなりの急上昇を遂げたのだけは確実だったのである。




