某ウサギはキュキュッと吼えた
人族皇帝の版図、その東の要衝ディムオウグ伯爵領域。
その中心は城や殻徒を作る工場を擁しており、一の壕という呼称で呼ばれている。
城の城壁を兼ねる一の壕の防壁の向こうは二の壕と呼ばれる城下町という扱いで、円周の北と東の位置には家臣を中心とした者共とそれに付随する商人による街が作られていた。
そして逆に、南西方面は住居の類が一切無い、自然そのままの公園的な作りとして存在している。実情はほぼ領主専用の大庭園だ。実は巧妙な配置で人工の森林や丘、草原が据えられており、天然の要害を模した場所でもあるのだが、戦闘の舞台となる機会も無い現在、ここら一帯は本当の意味で自然公園となっている。
自然を模している事で、この近辺は確認不可能なレベルでの野生動物の宝庫となっている。草原地帯を好む小動物は当然として、時には大型の鹿や、気性の大人しいタイプの熊などが居るのを確認されている。
ここが地球ならば、小動物の天敵として存在する大型の鳥類も当然居るはずなのだが、縦横共に百キロ単位で区切られる領界独特な物理法則がまかり通る結果、行動範囲の大きいワシやタカの姿は無かった。
せいぜいが中型のハヤブサ、またはトンビに近い物だけだった。
そのせいか、日除けとなる灌木のそばには小動物の姿が多い。天敵が少ないせいで、結構堂々とその姿を晒しているのである。
特にウサギ。場合によってはネズミなみに繁殖する長耳のげっ歯類は、欧州風に狩猟の的とされるのを幸い、緑の丘のアチコチにその姿を晒していた。
そしてそんな中に、実に巧妙な擬態行動で、その実物騒この上ない存在が潜伏していたのだ。
名を『メフォス・トフィレス』、かつて、数千年に渡り戦乱の陣頭に立ち魔族を率いた、魔将軍の一つである。
「……あー……、なんかー、こういう食っちゃ寝生活も悪くねーよなー……」
過去に何らかの調整をされたのか、この地域に居るウサギの大半は狩猟に適した大型種のウサギである。やたらと肥えた個体は、正直幼児なセイルの体格と同等とすら言える巨体だ。一羽仕留めるだけで、その毛皮でセイルの防寒用マントが作れること確実なサイズである。
しかし、メフォス・フォレストが仮初の肉体とするウサギは、やたらと愛玩性の高い小型種、それこそ大人の掌に乗せて重さも感じ無い程の代物だ。
その実、ウサギの群れに紛れていそうでいないという、確実に目立つ状態なのであった。
しかし同時にメフォス・フォレスト、祝福されし者として転生前の名前を使うなら『ヨミスケ』と自称する存在には、そのあたりの齟齬にサッパリ気付かない要素なのであった。
明らかな異分子っぷりにウサギの群れから露骨な警戒をされつつ、それでもヨミスケはウサギ気分で草を食む。慣れると案外美味と感じる白詰草の酸味を堪能しつつ、ポリポリムシムシと草原の中で雑草を啄ばむ。
なんの疑問も抱く事無く、至極真面目にウサギに同化している気分なのである。
さて、この姿でも人族に比べれば遥かに膨大な魔力を有し、冒険者、または放浪商人としても活躍しているヨミスケが妙な芝居を打っているのには理由がある。
まず第一に、グウェリ暴走の原因となる重要人物として認定され、成り行きでここまで連行された流れもあって幽閉処理を言い渡された事がある。仮にも人族有力者、ウルの裁定によるものなので、下手に逃げれば一生以上、世代を越えての指名手配が待っているとなれば、ここは大人しくしているのが正解と判断した結果だ。
次に、あの戦闘……というより大惨事で、手持ちの資材やアイテムを根こそぎ失い一文無し。という現状もある。
一応、隠し資金は千年単位で貯め込んだ物があるのだが、現状、その隠れ家まで無事に辿り着く手段が無い。人を模した人形としての儀体も失われ、今はウサギの身一つなのだ。移動のための準備をしようにも、それ自体に今はやたらと手間と時間が必要なのである。
最後に、ヨミスケにとっては最も重要で、他の者を完璧に出し貫いたつもりだった奥の手中の奥の手が、あっさり見透かされて完全無効化されてたためだ。
ヨミスケはこのウサギとしての仮の身体を死なせてしまえば、本来、悪魔としての本体へと蘇生をしてしまうはずだった。そう、それがあの大惨事の中でも貫き通した、あの場で死ねないという理由だった。
しかしそれは、実の所は大嘘であった。
こんな小動物、如何に魔力や魔術で厳重に守ろうとも、なんの拍子にポックリ逝くかは判らない。そもそも強制的な延命が可能なら、そう死ぬ死ぬと頻繁に話題に上げる必要も無いのである。
つまりはブラフ。絶対に切らない事を前提とした、正真正銘の切り札だったのだ。
故にこの身体が死んだとしても、ヨミスケは悪魔としての復活は遂げない。大量にストックされた、何十回と死んでも変えの利く仮の身体を、秘密の場所に大量に容易していたのである。
しかしその算段すら、あのハボリムには見透かされていたのである。
「ホントまあ、あのド外道魔王。どんだけ人界に根を張ってんだかだよなあ」
ここは人族の中枢の一つだ。しかしヨミスケがここへと到着したその晩、しかも城の主である領主の館の一角。そこに囲われたヨミスケの前に居たのだ。あの腐れ魔王の配下として動く“使い”が。
『無事の御帰還、さすがは元・魔将軍といったところでしょうか?』
見た目はウサギに用意された部屋は、一応は貴族の賓客を迎える客間だった。この地域風土と領主の趣向から、華美さは少ない反面、質実剛健をひと目で理解させる部屋である。頑健な作りはその部屋を一つの塹壕としてもとれるし、同時に逃走不可能の牢獄としてもとれる。そんな部屋だった。
しかし『使い』は居た。
極々普通に、人族そのものの姿を模倣したメイドの独りとして。
そして告げられたのだ。残した身体のストックが、余さず処分済みだという事を。
結果、とりあえず今、ヨミスケに出来るのはコレだけなのだ。
ポリポリシャクシャク、三つ葉の葉っぱを食べるだけ。たまに四葉があったら喜ぼうというくらい怠惰なひと時。そこまで思考して、その幸運の四葉ネタの提供者がハポリムだったのに多少胸糞悪くなる成分を貯めつつ。
「……ま、あの痴女モード以外にマシな感性もあるって事が解ったところは……有益だったかねえ」
当然、即行でセイルにチクった結果、当の使いの大捜索となったが、『使い』の姿は影形無く消え去った後らしく、なんの成果も無く終わった。
念のため探知魔術やマリーンにグウェリまでを使ったのだが、手掛かりの欠片すら無かった始末である。これ以上どうすれば見つけれると警備担当がマジ切れする状況となって、とりあえずは終了宣言が出されてはいた。
「だがまあ、一応奴が言ってたドラゴンの顛末は終わったのは確か、か。ならまあ、アレが別れの挨拶って解釈でも良いんかなあ……」
最後の方ではセイルもろとも空中で翻弄された結果、目の前に自分を狙う怨敵が、という状況で失神したヨミスケだった。
なので、どういう顛末でグウェリがああも変貌したかの理由を知らない。一応又聞きで二体に分かれた分身体を一つに融合させた、とは聞き知ってはいるが、眼力で充分相手を殺せるほどの殺意が霧散している理由までは聞いていない。
何故かそこだけは黙秘というか、緘口令に近い雰囲気があるので無理に聞けないという状況なのである。
「最も、知ってるのは代替わりしたドラゴン娘か、セイルの坊っちゃんくらいっぽいが……」
追想半分、自分に向けられた視線に上空を見上げれば、青空の中に黒い点が一つ。小さな殺気を漂わせるソレはウサギである自分を獲物と見定めたモズに近い鳥だった。
「ふん!」
向けられた殺意を軽く上回る殺意を眼力に込めて撃退する。旋回して去る襲撃者への関心を解き思索の再開だ。
まあ幸い、坊っちゃん自身には敵認定もされていないし、むしろハポリムのお陰で同情すらされている状況だ。
新しい儀体を作るための素材集めに協力してくれるような雰囲気は、既にある。
つまりは行動の自由度が遠からず拡大するのである。
「まあ、それまではアレだ。せいぜい坊っちゃんのお役にたっての媚売りかねえ……」
こうして限定的な単独行動が許されるヨミスムと違い、セイルは本当の意味で完全監視の最中である。行動の中にあの超過保護な母親を含まない要素は尽く潰されていて、セイルの趣味や興味を注げる手合いは皆無と言っていい。
その中での唯一の例外が、セイルが年相応に出来る事。つまりは習い事だ。
この世界の一般教養や帝王学。机に固定され、母親同伴でも可能な、そして母親以外の存在が介入出来る状況である。
ただセイルの実年齢から、周囲に居れる者の殆ど……いや全員が女性だという状況は、精神の一部が既に成人化しているセイルをマジ泣きさせる苦行と化していた。
そんな部分から借り出されたのが現在のヨミスケである。
数千年に及ぶ知の研鑽を過ごしているヨミスケの実情を、嘘八百込みで喧伝したセイルの努力の甲斐あって臨時の家庭教師役という位置に据えられていたのだ。
特に青鬼人の不得意とする魔術関連に明るい部分は大いに喜ばれ、既に先任しているコルメットの補佐という形で参加していた。
現実逃避の熱意からかセイルの習熟も早々に成果があり、この姿でもそれなりの立場と目されつつあるのである。
「ああ、メイフォレスト様。こんな所にいたのですね」
回想がフラグとなったか、そのコルメットの登場だ。
元々は皇帝領域の中央に居たらしい公認魔術士。冒険者とも違うその肩書は、コルメットが皇帝と縁のある機関の出だと教えている。
まあ簡単に言うならば、帝国内で、しかも皇帝直轄で魔術を専門に扱う機関。つまり魔術兵団に所属する一兵というわけである。
戦時には人間大の移動砲台として、数十人、または数百人単位の敵を相手に単身闘うエリートとも言える。
さすがは領主という立場の者に知を授ける教育者、という存在だ。
最も、同じく単身で国々を簡単に蹂躙できる、見た目少女のドラゴンに並ぶ事で、影がやたらと薄くなっている存在でもあるが。
「おやコルメット様、そろそろ坊っちゃんの勉強か?」
「そうです。なので迎えに来ました。あと私に様付けとか要りませんよ。メイフォレスト様のほうが私より遥かに高みの魔術の徒、なのですから」
「それ言うなら、こちとらは単なる役無し風来坊なんだがなあ」
「またまたあ、いろいろ聞きましたよ、トンデモナイ武勇伝の数々。セイル君の話は半分にしても、結構中央でも有名人なんですからね。謙遜も過ぎれば嫌み、ですよう」
年齢的には二十歳を越えたが外見がまだせいぜい十代中ごろのコルメットは、こうして気安い言葉を使うと幼さが強まる。そこには魔術士ヨミスケへの尊敬が見て取れるとなれば、ウサギの背毛が逆立つほどのコソバユサ、が出来るほどだ。
「後、とうとう正式に決まりましたし。今日からはもう、堂々と私も『メイフォレスト師』って呼べますね!」
「……は? なんじゃソレ」
「あれ、聞いてませんか? メイフォレスト様、今日から正式にセイル君の家庭教師長ですよ。ウル様……、ソウリュウ様の正式な御達しが下りましたので。しかもセイル君の成人をもって家臣登録も決まったとか。良かったですねえ、将来安泰、玉の輿狙いの女性、爆湧き確定ですよねえ。まあその前に、その御姿をどうするかでしょうけど」
「……」
完全に寝耳に水である。
虜囚同然の立場だと自覚していたからこそ、ホトボリが冷めるまでは大人しくしていたヨミスケであったが。
この展開は予想外過ぎて想像の外である。
こんな事なら、ここへ来たその日の内に逃亡すれば良かったと考えて、ふと思い至る。
「あの『使い』……、この展開を知ってやがったかーーーー!」
どんな経緯の結果かは知らないが、この結果に導く意図がありありだったと納得出来る『使い』の行動だった。そうでなければ、あんな危険過剰な登場の意味が解らない。
それはつまり、指示した存在、ハポリムの思惑である。
「あんにゃろう、どこまで嫌がらせしやがるんだっ、こんチクショーーー!」
そしてその意味の根っこのバカバカしさに、魂の慟哭を上げるしかない、哀れなウサギの元・悪魔、なのであった。




