午後のひと時
えーと、グロとリョナに注意してクダサイ
ガリガリゴリゴリ、薬研の音が鳴り、得体の知れない物体が粉末になっていく。荒く砕かれた物、細かく磨り潰された物、それらの混合物が謎の温泉成分を含む謎の液体で希釈、濾過され、更に別の溶剤と混合され、一応は作り慣れた治癒効果を持つ薬剤となる。
が、やはり微妙に効果が違っているようにも感じる。
「まあ、最低レベルの治癒薬が中っくらいになる分にゃかまわんかなあ……」
微妙どころでは無い差だが、ヨミスケの中では誤差の範疇らしい。
ヨミスケがセイルとグウェリに会ってから三日目、その昼時。
ドラゴンのウロコから魔力を抽出する工程までは作業が終わり、後は抽出しきるまで放置となったので、ちまちま並行していた街の住人からの依頼を集中的にこなしていた時だ。人払いの結界を敷いてあるにも関わらず直ぐ背後に何者かの気配を感じたヨミスケは一瞬戦闘モードへと入りかけ、見知った魔力にすぐ緊張を解いた。
「元魔王の御使いサンかい、せめて結界の外に現れてくれよ。危うく薬こぼすとこだったわ」
『申し訳なく。されど逆に結界外だと人族に知られる恐れも有るので』
「まあ、確かにそうなんだがね」
名も知らぬハポリムの使い。いきなり転移してきたその姿は中々に異様だ。
シルエットは人族の範疇で美人と注目される程といえる女性的な体躯だ。
出る所は“ドドンっ”と飛び出し引っ込む所は“ギュギュっ”と締まり、然りとてバランス良くというスタイルである。
よく日に焼けた小麦色の肌、というよりは白人系の白さを薄墨で染めたような浅黒さの肌が昼の明るさの中まるで影が立ち上がったような印象を持たせる。
その印象を助長するのは姿態を殆ど露にする様な過激な衣装をまとっているせいもある。
元は体型にフィットするタイプのワンピース水着のような鞣し革のボディスーツなのだろうが、まるで永い年月で風化したような切れ端同然の代物と化していて、辛うじて乳房と股間を隠しているに過ぎない。
敢えて着る必要があるのか?、と問いたくなるような物なのだ。ヨミスケも元は人間の男であるし、まるで凌辱後のような姿に感じる事が無いでもない。
最初こそマジマジと凝視してしまったが、そんな男の暗黒面を膨らまされるような危険な気配に無意識半分、使いに視線を送る事を避けてしまう。
おかげでこの使いの外見にあやふやな印象しか持てやしない。
そして、それを狙っての衣装なのだろうとも理解している。観られ難くする事で、または特定の部分のみに注目させる事で存在の全体像をボカすのは、とある職種の存在には基本とする技術だ。
つまり、この使いとは、“そういう存在”なのだろう。という事だ。
『メイ・フォレスト様が“火炎のドラゴン”と接触したとの情報を得ましたので、ハポリム様から追加の指示が降りました。それを連絡します』
「なんだあ、オレの監視は生きてるってわけか。つかよう、まだ薬は出来てねーぞ。指示も何もそれ以前の話だろうよ」
『ええ、“封印薬”が完成してからの行動予定の連絡です』
「……あー、そっかよ。ウロコの事まで知ってるわけか。ったく、情報早えな」
自分を探知する魔術や原始的な監視など、それらを無効化して逆探知する防御処置などを敷いているヨミスケだったが、ハポリムは一枚上手に動いている事が分かった。
そこら辺を視線に含ませて使いの顔を凝視するが、残念ながらその頭部は顔や頭ですらないので反応を見切れない。
ユラユラと絶えず揺らめく紫色の『炎』、細い首を芯に辛うじて人族の頭部大に燃える蝋燭。日中ではほぼ透明にしか見えない炎を灯す人間蝋燭女は異形多い悪魔族にすら当てはまる者も居らず、あからさまな偽装ではあるのだが、派手過ぎる故にその正体の推測も出来ない。
その行動と外見、徹底的に偽装塗れにしている様相。
確証はおろか推測とも言えないが、ヨミスケはひとつの予想を持っている。
『この女?はよっぽど情報源の中枢に“居る”んだろうな』と。
間者は暗殺者同様ほとんどが使い捨てだ。隠密性たる専門能力が有るに越した事はないが、それらの技能を使い物にする為に何年も時間をかけるなど、現実的ではないからだ。
情報を得たい者の身近にいる者、それらをその場限りで利用したほうが楽なのだから。
報酬を払う。身内を人質にする。麻薬漬けにする。方法は幾らでもある。
更に魔術が普通にあるこの世界では、麻薬漬けならぬ“魔術漬け”ともいえる方法がある。
間者となる者本人すら知らぬうちに諜報用の魔術を仕込むのだ。謂わば魔術版の盗聴機である。当然、対象をインスタントな暗殺者にするような洗脳魔術も、秘匿はされてるが存在している。
それらの背景から、この使いが正体を隠す必要性の理由としては、その存在の重要性が高いのだろうという結論しかしえなかったのである。
そんな思索をヨミスケがいだいているのを頓着するでもなく、空想の異形を纏った使いは元魔王ハポリムからの指示が書かれたメモ用紙を渡す。
そのメモは身を偽り、暗躍するような者が使用するとは思えない代物だった。すぐ近くのバラックの集合体、即席商人街で普通に利用される物だからだ。
商人同士の商いに使われる伝票や証書が主な物なのだが、大概は商い地から店に戻った時に清書記録する為の仮伝票なので紙質は藁半紙にも劣る物である。
この世界の一般生活においては、現金払いに加えて物々交換も主流である為、これら商売に使用する紙類は貴重ではあるのだが、そういう情報媒体とは別の利用方で一般には認知されていた。
それは包装紙である。使用済みとなった伝票はそのままか、または漉き直して再生される。この時点で劣化対策としてかなり厚い物となる為、何時の間にか別の用途として使われ始めていたのである。
ギフティスの知恵の産物かはハッキリしないが、この再生紙を加工した『油紙』は梱包物の劣化防止にも有用な為に人気商品となっている。
使いが使用したメモ用紙は、もっとも原始的な再利用である使用済みの伝票の裏紙だった。乱雑な筆使いで品目や数字らしきものが書かれているし、ヨミスケ自身ここ数日何枚も領収書として受け取っているので、おそらくは商人街から調達してきた物なのだろうと分かった。
辛うじて『小麦』とか書かれているのが判別できたが、それはこの周辺に生きる者全てが必要とする物なので、どの商人が使ったものとの判別までは咄嗟にできない。
このあたりまで徹底した正体不明っぷりに、ヨミスケは半ば感心するだけであった。
が、その呆れも新たに書かれた内容を読むまでだ。さらりと、しかし連絡内容を読みとったヨミスケは、その指示に唖然とする。
「これ、本当か?」
『ワタクシはただのメッセンジャーなので』
内容は“とある場所”に関係者が集まるように、というものだった。
だがユミスケの記憶によれば、その場所は中々に危険な所である。具体的に言えば野良魔族が支配する領域、その中央領界、中心である祭壇である。
ヨミスケや推定ドラゴンであるグウェリには問題もないが、関係者にはこの領域にいる領主の息子、セイルまでが含まれていた。自分同様ギフティスではあるものの、人族の国の重要存在であり、ただの子供にしか見えないセイルを連れていけるとは思えない。例えドラゴンの庇護があるとしてもだ。
そんな心中を読んだのか、使いは指示には書かれていない情報を開示した。
『これは、今はメイ・フォレスト様の胸の内のみに。薬の完成後、再びドラゴンとその庇護者と相対す時をもって現地の支配者たる魔族は滅びます。その領界の所有権を庇護者に譲渡する事で今回の指示の報酬とせよ。と、言われています』
「……魔王っちゅー傲慢なのかね、そんなもんを報酬っちゅうか、交換条件になると思ってんかい」
『?』
「分からんかい?、つかよ、人族はこの領域をどうやって得たんよ。オレは直に見てねーけどよ、街の連中の言葉を鵜呑みにすりゃあ、自力でだ。あの殻徒っちゅう魔族並みの道具を使ってはいるがよ、それ含めて間違いなく自分達の力で得たもんだわ。ただで貰えるからって大事な跡取りを未知の場所へやらすなんて事にホイホイ従う理由が無いわ。欲しけりゃ連中、自分で奪えるんだからな」
『そう言われましても、ワタクシ、ただのメッセンジャーですので』
会話にすらならない応対に脱力するヨミスケ。
知己ではあったものの、僅かに残る魔族時代の記憶でも、先代魔王の印象にあまり良いものは無い。体良く利用されて何度も死んだ事は覚えているが、復活の後遺症か転生の影響でか、細部の記憶はかなり曖昧な状態だ。
当時の事なので死ぬ事自体は自分の種族の特性からか恨みに思う気も残ってはいないのだが、正直、人としての感性を得てからはそうも思えてない。
もし今回の依頼がヨミスケの死も含んでの事だった場合、後でどんな問題となろうとも投げてしまう気分ではあった。
それと直結する事ではなさげなのだが、どうもこの使いの反応からはそんな不安が醸し出る。
「(なんつーか、もう投げて逃げちまおーかなあ……)」
二千年余り眩ました行方を掴まれた事から、逃げ切れるとは思えていないヨミスケであるが、そんな思いを抱いてしまい、しかもその誘惑は強過ぎる為に脳裏から捨てきれないのが残念であった。
『人族の思惑はともかく、ハポリム様自身の行動に祭壇が必須との事なので。おそらくドラゴンは理由を知っているとの事ですので、そう言えば人族は納得するとも言われています』
「ふーうん……、まあ、じゃあ、言うだけ言っとくが、断られても知らんよ。んで、そんときは最初の依頼で済まさせてもらうぞ。なんかキナ臭いからな。薬はお前に渡すか、此処に置いとくから回収しな。それで依頼は終了、魔族とはオサラバだ。オレはもう気儘に生きるって決めてんだからよ」
『……伝えておきます』
その言葉と共に使いは消えた。まるで煙りのように霧散して。僅かながらも魔力を感じさせずに行われた技に、どうやら魔術の類では無いと予想するも、では体術なのかと考えても良くは分からない。
今更ながらに戦慄を感じながらも、ヨミスケは再び薬研を手に調合を再開する。
自覚していたが、それは完璧な現実逃避であった。
◆ ◆ ◆
青斑蜥蜴と山猫獣人、温泉の効能に逆上せる魔族の二勢力の衝突が起きようとしている現場への『魔王』の乱入があってから二時間が経過していた。
その現場には争いの当事者である二勢力の長が二体、その二勢力の弱体後に『漁夫の利』か『濡れ手で粟』をと潜伏して狙っていた他種族の強攻偵察部隊から適当に選んだ三体。
合計五体の魔族をエイムの得意とする“魔法”、『念動』で頭を鷲掴み、吊り下げて、改めて魔王の畏怖を刻む為の“道具”としていた。
些細な増長で己の支配者が誰であるかを忘れるような、その単純な脳の根幹に、今度こそ永久に忘れないように。
そうして最初は宙に浮き周囲の魔族を睥睨していたエイムだが、今は地上に降り、即席で作り上げた豪奢な『玉座』に、派手な王の『衣装』を纏って座っている。
吊り下げられた魔族達を見上げる形にはなったが、その小柄な姿を侮る者は既にいない。
侮るどころか、直視する事すら恐れてひれ伏し、長達の、いや長であった“物体”の惨状を観ないように土下座をしている者が大半である。
獰猛、猛虐を唄う魔族をして、魔王の玩具と成り果てた長を観ている事はできなかった。だが地面に顔面を押し付け、両手で耳を押さえていても、五感に秀でた魔族である。その身体を震わせ聞こえる振動という『音』は遮れない。
皮、肉、骨、それらが壊されていく音は、なまじ自分達も慣れ親しんだ音であるが故に観なくても想像できてしまう。既に声すら出せない“生け贄”の悲鳴も何度も聞きすぎて脳裏で勝手に再生してしまう。
今、争い殺し合おうとしていた二勢力の戦士らは、自分らの長を蹂躙する魔王の独演会を観せられる観客でしかなかった。
その暴虐に対抗する意気地すら蹴散らされた、無力な存在でしかなかった。
◆ ◆ ◆
観客等がその野生味溢れる程の暴力性を根こそぎ削られる事となる魔王の屠殺ショーは二時間ほど続いた。
「(ふむ……、さすがに飽きてきたな……)」
五体の魔族を一斉に吊り下げたものの、残っているのは二体のみ、青斑蜥蜴と山猫獣人の長達であった“物”だけとなっていた。
他の三体は開始早々に“無くなってしまったのである”。
貪腸蟲は蛮族としての最低限の知性と思考力を持つが、その巨体の中は割と構造が単純で、硬いが伸縮性のある外皮の中には強靭な筋肉と申し訳程度の内臓しかなかった。
痛覚らしいものが無い種族なので派手な行為で知覚的に苦痛を与えようと、その伸縮性がどのくらい耐えれるのかと試しに限界まで“伸ばして”みたら、“紐”と呼べる程細くなった身体が千切れる前に中身が持たず、口と肛門から内臓が溢れて飛び出し、あっさりと逝ってしまった。
これが約十分。
そのまま捨てるのもとロープとなった身体を細くしたまま編み込んでみたら、粗めながら中々広めの“織物”にできたので、絨毯として地面に敷き、座る事にした。
“ぶよぶよ”の感触を伝える絨毯は微妙なものだが、この弾力は弾力で、案外エイムの好みの感触であった。
そんな“肉絨毯”に座ろうと地面に降りる事にしたので、貪腸蟲の前に死んでしまった者を利用する。
樹妖精は人族の女のようにしなやかに動けていたが、その身体はやはり芯までしっかり“樹木”であった。
割り裂こうが削りとろうが、余り痛みを感じている様子もない。仕草は恐怖に震える乙女なのだが、腕をもいでも激痛に叫ぶ風でもなく、ただひ弱な女の体裁で恐怖におののき続けるだけである。
余り変化の無いことを続けてもシラケるので、細かく割り続けていたらいつの間にか死んでいた。命の波動が消えたので死んだ事だけは確実だが、それが何時かはエイムにも確証がなかった。
そんな適当サイズの木材と化した樹妖精を使い、イスの形へと組み上げる。
外見だけは裸身の女のような樹妖精だ、その細腕や肉感的な脚を適当に組み上げたイスは、まるでバラバラ死体製のオブジェといった様相で、事実その通りでもあるのだが、座った感触は極普通の木製家具である。
足の裏に感じる感触は好みだが、生乾きの肉絨毯に直に尻を乗せる気はなかったので、これを玉座の代わりにした。
ここまでを合わせて約二十分。
そして案外始末に困ったのが螺旋ムカデだ。
まずは小手調べと硬い甲殻を割り裂いたら、中身は半液体化した肉とも体液ともつかない代物で、止める間もなく全て流れ落ちて地面を塗らし“がらんどう”の殻を残してあっさり逝ってしまったのだ。
こうも簡単に死なれたのは拍子抜けだが、本来、螺旋ムカデの殻とは同レベルの魔族では傷付ける事さえ出来ない硬度を持っている強固な鎧である。
それをまるで薄氷を指先で押してヒビを入れるように、人族型の華奢な平爪を突き入れたエイムの刺突の力が異常なのだが、自然体で当然のように行われた行為に、事の異常さを気付けた観客は極一部であった。
そして経過した時間は約二十五分。
余りに速攻で死んだがらんどうの死骸には適当な再利用法も思い浮かばず、ポイと捨てたエイムであるが、そこで少々“手軽”に遊びすぎた事に思い至る。
「(これでは魔王の威厳が伝わらぬか?)」
圧倒的な力の差はここに居る魔族全員が分かっただろうが、余りに淡々と殺し過ぎたのでまるで見世物になっていない。
できれば、種族間の交流が少ない魔族であっても魔王の威信が自然に伝播するような“恐怖”を刻み込んだ方が好ましい。
「(と、なると、残るコイツ等は“大事”に使わないとな)」
観客達には己の頂点なる存在の長二体。簡単に死なせる事の無いように、細心の注意をもって見世物を再開するエイムだった。
とは言え、その『労り』はその場全員への地獄の度合いを高める事でしかない。
更に、一応は『魔王の所有物の回収』を唄ったのだから、『肉の絨毯』や『バラバラ死体の椅子』と同様、“なにか”にリサイクルした方が“楽しい”。
そうして自作したのが山猫獣人の毛皮のマントだった。
毛皮といっても剛毛なので直接肌に触れさせる気にはならない。だから裏打ちの生地代わりに青斑蜥蜴からも皮を剥いで両方の裏地同士を貼り合わせた。
ツルツルの蛇皮のような感触が案外いい感じである。
長達は揃って大きな体躯なので、マントにしただけでは皮が余る。だから玉座を飾る彩りとして使った。
座る尻と背が痛まぬように何重にも重ねて繰るんだクッションとして毛皮をつかい、適当に割り裂いたのでササクレ立ってる木地が肌を傷付けないようウロコ皮のカバーでくるむ。先程は捨てたムカデの殻を細かく砕いて飾り付ければ中々に『蛮族らしい』デザインに収まった。
形の良い殻を見つけたのでマントの肩当てにしてみる。これも極めた悪趣味のようにまとまったので採用した。
もし、この場にセイルが居たならば、『世紀末覇者っぽいマント』と言う事確実な出来である。
そうして一通りエイムの創作気分が満足すれば、残るのはこの死に損ない二体を如何に“死なせないように殺してやるか?”である。
魔族の強靭な生命力で息こそしているが、全身の皮を剥がされた長どもは露になった筋肉が空気に触れる激痛で痙攣し絶命寸前である。
潰した声帯のために荒い呼吸の音しか出せないが、もう長としての威厳もなく存命の懇願を願い喘えいでいる事は誰の目から見ても明らかであった。
もちろん、その懇願が聞き届けられる事が無いのも分かりきった事だ。
故に、魔王エイムの行為は続く。
さて、魔王としての魔術によってこの場に顕現したエイム。今この場で即席の玉座に座りつつも、今のエイムは魔王として、『魔王領域』全てに存在する。
魔王城にある身体、今此処にある身体、どちらが本体という区別は無いし、身体を構成させている所のみ干渉できるという制約のようなものすらない。
だからエイムは、その小柄で華奢な身体を玉座に収めたまま、見上げる二体の魔族に向けて指先を伸ばし、届くはずのない爪の先を山猫獣人の長の厚い胸板を被う肉へと“引っ掻ける”。
『プチリ』と細やかな断裂音が鳴り、手元に戻された指先には今しがた摘まみ取った大胸筋の一部がぶら下がっている。
全員、己の観たことを理解できなかった。
魔王と長、向かい合った距離は約三メートル。どうやっても座ったままのエイムの手が届く距離ではない。
だが、伸ばされた指先は確かに剥き出しの筋肉を摘まみ、一滴の血も出さずに引き千切り、今はエイムが自らの眼前にぶら下げている。
みなが知覚の異常さに混乱する中、エイムは摘まんだままの小ぶりの魚程度の肉塊を頭上に掲げ、天を向き大きく開けた口の中へと運び入れる。
『んぐんっ』と少々“はしたない”音をたてて咽下し、“ちろり”と口角をひと舐めすると、次は青斑蜥蜴へと指を向け、同じように肉を一口分、摘まみ取る。
こうして一時間余り、観客は魔王の食事を、生きながら解体されていく長の姿を観させられる事となる。
◆ ◆ ◆
その人族並みの小さな身体の何処に収まったのか、魔族二体分の肉はその大半がエイムの胃の中へと消えた。
今の長であった物体は、削ぎとられた皮と肉以外で構成されている。
まだ生きている故に白濁化していない、青白くすらある透明感を残した骨格は関節部で外れないよう軟骨と腱で繋がっているに過ぎない。筋肉の間に網目に縫うように伸びていた大動脈や静脈、遠目に確認できる程度の太さの毛細血管などはエイムの細心の注意によって傷一つ無く、未だ力強く鼓動する心臓に合わせて震えつつも血の循環を続けている。そして、その心臓を含む内臓の全てはギリギリ零れ落ちないように、そして呼吸を続けられるようにと最低限残された薄幕のような筋肉に覆われて腹に収まっていた。
両の眼球も残ってはいる。が、瞼すら剥がされて剥き出しの眼窟に収まっているソレに、今も何かが見えているかは怪しい動きだ。絶えず上下左右に痙攣するよう動いているのだ。その動きを視認していたとしたら脳がショートする事確実な動きである。
「ううう……おおおぅ……」
「ひいっ、ぃぃぃ……」
「グルルル……」
観客達、山猫獣人と青斑蜥蜴の戦士等は、己の世界では最強の存在である者達の無残な姿に、種族として、そして魔族としてのプライドは完全に砕けていた。
自分と同じ姿が解体されていく様は、容易に『自分が解体される』事という心理へとすり替わる。
急激に強さを得た事による肥大した尊厳は完膚無きまで貶められ、戦士としての猛勇性まで消し飛んでいる。
殆どはもう己の顔面を手で覆い、長であった骸同然の物体の直視はできていない。地面に突っ伏して泣き叫んでいる者もいるし、とうに精神を病み自傷行為で傷だらけの者もいる。
それ等は一様に残忍たる絶対の存在に哀願という祈りを捧げていた。
『魔王様、御許し下さい』
『魔王様、慈悲を』
『愚かな我が王に救いを』
仔細は違えど、それはエイムに対する明確な畏怖である。最初の頃の傲慢は塵も残さず消え去り、魔王という存在の恐怖をその魂まで刻んだ姿だった。
「(ふむ、なんとか上手くいったかの)」
他種族の奴等と長達の解体を始めた時には存在した無謀なる『敵意』。それが全て消えた事をエイムは確認する。残っているのは魔族らしからぬ純粋な怯えだ。エイムの絶対の強さに対する憧憬や僻み、反骨心などという強さを求める方向の気概を残す者は一人もいなくなっていた。
「(昔はこんな事があっても、なお我に牙剥く輩もおったのにのう。魔族も変化してきているのだな)」
しばらく解体と食事を中断し、二つの種族の心情を確認したエイムはそろそろこの茶番も終わりにしようと決める。
となると、もう無理に長を生かす必要もない。細心の手間をかけたとはいえ、全ての血管や神経を傷つけずに残せたわけでは無い。肉と同化するような位置のものはさすがに分離は出来ないから切断するしか無かった。当然その部分の血管からは出血が始まるし、神経分断の激痛は長の精神をとうの昔に崩壊させている。
全身を固定されてなお、残る僅かな筋肉を使って痙攣に震える長らは精神面で言えば実はとっくに死んでいた。エイムの魔術によって内臓器官の動作維持や細部からの出血を抑えられた、肉体的には動いている状態だっただけである。
「(後は頭蓋を割って中身を啜るか、分かり易く心臓でも引き抜いて終わるかのう)」
そう思うと同時に長二体の頭蓋骨が眉間から縦に割れ、脳漿を垂れ流しつつ脳を露わにする。胸骨は弾けるように折れ広がり中から鼓動を続ける心臓が引き摺り出される。
その影響でとうとう腹膜が弾け、内臓の大半はボタボタと地面に落ちていく。腹のどこに収まっていたのかと疑うような膨大な長さの腸が広がり、さすがに切れてしまった血管からの大量の出血で足元に血だまりを作る。
エイムの手には鼓動とは違う痙攣にヒクつく心臓が二つ、小さな手の平に収まる事なく握られていた。触るだけで崩れる脳より心臓の方が持ち易い。選んだ理由はそれだけである。選ばなかった脳は割れた頭蓋からこぼれ落ち、地面で崩れて内臓に混じった砕片と化している。その上に拘束を解かれた骨格が降り注ぎ、もう原型すら留めない有り様と成って長達は死んだ。
『残りは不遜なるお前らへの選別じゃ。我に抗う魂の、幾許かの糧とするがよかろう』
既に残骸と化している長等へは無意味となる言葉だった。だがその残忍さを現す所業は残る者達への更なる戒めとなる。
と同時に、先程探った時には存在しなかった、新たな反骨の存在を焙り出す事にもなった。
竦みあがった青斑蜥蜴の戦士の集まりから、小柄な、まだ若い個体がとび出し、長の骸のそばに屈む。二つに割れた頭骨の一方を掴みあげると、その牙歯を一本折り取って握りこむ。
怒りと憎しみに歪む視線はエイムを据えられ、返されるエイルの視線にガクガクと恐怖に震えつつも反らす事はない。
『お前は?』
「オっ……、長ノ息子、グワリト」
一度は折れた心を繋ぎ直したのか、今のエイムを見ても萎えない、中々強い精神の持ち主とエイムは判断した。
といっても、まだ若過ぎる個体だ。身体の作りは成体になったばかりで小さいし、武器とする爪や牙も柔らかさを感じさせる。
『お前も我に不遜ある者かの?』
「アル、……デモマダ、俺弱イ。ダカラ魔王ニ従ウ」
『ふむ、そうかそうか』
少ないながらも魔族の本質を残す者もいる事にエイムは安堵する。
だからこそ、魔王たるエイムは───
◆ ◆ ◆
「お帰りなさいませ、魔王様。メェー」
エイムの存在が厚くなった事で帰還を察した執事ニグラス。もちろん現地の様子も魔術具で確認していたので、タイミングを間違う事もないのではあるが。
「ああ、疲れた。久しぶりに遊んだから加減を忘れているな」
「お戯れを。昔に比べれば無駄な殺生が減っていますれば、これ以上を求めるのも苦かと。メェー」
「……まあ、あの頃は本気で加減を知らなかったからな」
魔王と成り立ての頃。円卓の魔将軍からその眷族種族から、自分に逆らおうとする者を尽く殺し尽くした過去のあるエイムである。
その治世が長い為に闇の歴史と化しているが、当時を知る少ない者達には未だ悪夢の記憶としてある。
「食事は、もう大丈夫そうですし、湯浴みの準備を致しましょう。先日ようやく“大浴場”も完成しましたし、“オンセン”の成分の問題も無いと報告が上がってきています」
「おおう、そうかそうか。それは楽しみだの」
人族の領域とは逆に、魔族の領域は中央に近いほど大地が沈下していく。
つまり、魔王の座所である中央領界の中心は、すり鉢の底同然の地形となる。
セイル謹製の温泉は、最終的に魔王の城へと流れ着く事となるのだ。
ならば魔王の城はやがては水没する事となるのか、といえば、実はそうはならない。城を囲むように配された『堀』が全ての温水を呑み込むからである。
元々魔王の中央領界は『奈落』の別名を持っている。ここに暮す者達がつけた尊称だ。そしてその名は領界を指す言葉であると同時に、この堀を指す言葉でもあった。この堀、いや“空掘”は、正真正銘の奈落なのである。
覗き込んでも底の見えない闇が広がるのみであり、今回の温泉に限らず、領内の河の終着点でもある堀には何千年と膨大な水が滝となってそそがれているが、氾濫はおろか水面が見えるほどの増水すらも起きていない。温水の量もかなりのものだが、まるで焼け石に水のように欠片の変化も無かった。
本来ならば城内へは一滴たりとも入らないその温泉を、エイムはワザワザ水道橋を架ける事で引き込んでいた。そして先代魔王ハポリムが作った浴場を自分好みに改装し、大浴場とするように命令していたのだった。
「んっんんん~♡、なるほど、これはクセになるな」
大浴場は豊富な温水を存分に使い、広い湯船となっていた。だが深さは座って鳩尾の辺りと浅めに作られており、そのままでは半身浴しかできない。
だからかエイムは仰向けに寝そべり、満足げな顔と豊満な双丘のみを湯から覗かせ、浮力にまかせて漂っている。
『これなら魔族共が有頂天になるのも頷ける』。それがエイムの率直な感想だ。
程良い温度が体質を活性化させて癒すのは当然として、内包している魔力の量が桁外れ過ぎる。魔王という領界の支配者としてのみ使える魔術、『領域同化』で消費した魔力が瞬く間に充填されていくのがよく分かる。一介の魔族ならばあっと言う間に過充填させて暴走同然となるわけであった。
これを生みだしたのが人族というのは業腹だが、この環境そのものには否は無い。
それどころか将来的には、この環境で育った魔族は今までにない強力な存在として育つだろう。高い魔力の中で育つならば、個体の力を高める事に長ける種族が中心となる魔族には有益なのだから。
だからこそ、今はまだ、至福の時を待たなければならないのである。
魔力による暴走という力を持て余す世代の次の世代。その台頭を。
魔力に溺れる世代を淘汰して、次の繁殖の礎としなければならない。
魔族存亡の危機に生じた一縷の光。それを掴むまでは、人族の侵攻を留めねばならない。
同時に、掴んだ希望が実となるまで、淘汰と繁殖を繰り返さなければならない。
領域内のいざこざはまだ続くのだろうが、その望む結果の為にエイムは粉骨砕身、魔王としての激務をこなさねばならないのである。
だがしかし、いま暫くは。
「あ、ああぁ~、いぃん気持ちぃ~……」
酷使した魔力の充填に、または胃の腑に消えた愚か者の消化にと、心と身体を休める一時を楽しむのであった。
◆ ◆ ◆
青斑蜥蜴と山猫獣人。二つの魔族の衝突が起きようとしていた場所。
既にそこに生きる者はいない。阿鼻叫喚の屠殺の後、生き残った者は全員、己の集落へと帰還したからだ。
残る物は生者を素材にした敷布、組木椅子、座面に無造作に放られた毛皮のマントと、肉の大半を失った骸骨同然の骸が“三つ”。
崩れた骨と臓物による集積物は、二つはそこそこ巨体の持ち主であったろう事が分かる。
残る一つはそれ等に比べて小さく、まだ細い骨が中心だ。更に瑞々しいウロコの皮や弾けた筋肉など、二つに比べて欠損した部分が少ない。
かつて『グワリト』と呼ばれた青斑蜥蜴の戦士は、エイムの一撃により、親同様の残骸と変じて死した。
今はまだ、その気概を必要としないから。
ただ、淘汰されるしかない時代に生まれたという必然から。
<~続く~>




