魔族の領域
人族領域より遥かに東、なだらかな下り階段のように領界が地の底へと沈む景観の更に東へと進めば、やがては断崖絶壁のように急激に升目の大地は落ちこんでいく。
ここが、正確に人族と魔族の境界となる領域、『領域線』である。落差二キロメートルにもなる領界同士の壁は、結界という視覚できない壁とは別に、物理的な圧倒される壁として両領域への移動を不可能とする象徴的存在として、そこに在った。
が、遠く遠く、更に東から領域線を観察する者は、その断崖が僅かながらも緩やかに、急激ではあれ“坂”へと変化していっている事に気づいていた。
変化している現地では十メートル以上の隆起や沈下で大地震の連続だろう。揺れはあっても、その領界に存在する地形や施設に影響が無いことは歴史的経験的に分かっているが、何日も揺らされ続けるのは気持ちの良いものではない。ストレスから狂乱化した魔物や野獣が隣接する領界へと現れるのは確実で、その駆除や対応に“頭の痛いことになる”。と、その観察者は思っていた。
「そろそろ会議の御時間ですメェー」
背後に控えている老執事が今日の予定を伝える。
「……どの会議だったかな?」
「魔将軍関連でございますメェー」
「あー、また“野良将軍”連中の事かなー……」
「おそらくは、メェー」
「余等が関与せんから故の“野良”なんだがなー」
「が、結果的に魔族としての働きにはなってます故、その最終的な責は“魔王様”のものと……、メェー」
「……なあ、ニグラス。語尾に“メェー”ってつけるの、無理しなくて良いんだぞ」
「我が種族の伝統なれば、無理などしておりません。メェー」
人族と大差ない姿に頭部から山羊の角を生やす種族、『バフォメット』。魔王領域に古くからいる蛮族種族で、従順な性格と俊敏な行動力を持っているため、魔王家を始め中央領域の魔族等の召使いとして重宝されている。
難は由来不明の妙な語尾。時に無性にうざったい。
魔王は頑固な執事への関心は封印し、遠眼鏡の魔術をやめて領域線の観察を終えると、ニグラスと同族のメイド達に身仕度を任せる。ベランダに出ていたので風に乱れた尻まで届く黒髪を櫛削らせ、前髪から全て背に流させて額を露わにすると、人族的な両の瞳とは違う深赤石の光彩のみな第三の瞳が睫毛を刺激されて二三度まばたきをする。
夜着のままでもあったので手早くメイド達が剥ぎ取り、人族であれば二十代前半な印象の、スレンダーながらも減り張りのある裸身に今日のドレスを着付けていく。薄墨のような肌に対照的な明るい白桃色のドレスはギリシャ神話の神のようなデザインだった。一枚布なので歩きやすいよう丈の調整をし腰帯でまとめる。裸足のままだが城内なので問題ない。
簡単ではあるが、これ以上着飾ってもしょうがない。魔族の多くは美的感覚の共通化など不可能な程の個性の集まりだ。
極端な話、全裸で行っても全く気にされないのだから。
「では、行くか」
「行ってらっしゃいませ。メェー」
「「「メェー」」」
語尾のみ合わせた執事とメイド達の見送りにまた多少うんざりしながらも、第六代魔王、『エイム・ソロモニエ・薄明ノ娘ナル次姫』は今日も激務の日常へと出陣するのであった。
◆ ◆ ◆
領界戦争における人族と魔族では、意外にも共通している部分が多い。
例えば『役職名』。軍務に関わる者は『将軍』『大佐』『大尉』と、階級名が連なる。ただ、名称と役務までが連動するかというとそこは微妙で、魔族の場合、階級名は“強さ”による区分とされている傾向なのであった。
要は“将軍”クラスの魔族は、魔族の中で“最強に強い”。そんなアバウトなものなのである。それでも強い者は同時に指導者としての行動もするので、それなりの知性も有しているのが普通であり、知性があれば社会性も皆無では無い。
故に、魔王の下、魔族の領域を広げるべく奮闘する将軍クラスの種族達は、『魔将軍』を名乗り会議という戦場に出陣するのである。
「今日の議題も“野良”共の事ダ」
花びらがワニの下顎になったチューリップの花という頭部を持ち、胴体は直立した獅子。そんな姿の魔将軍『ナフラ・賢愚ノ境』が議長の席から宣言する。
会議の間は円周上に六十の席を並べる巨大なテーブルを中心に置いた円卓会議風だ。しかしその席で着席されているのは僅か七席。他は空席である。別に他の魔族が欠席しているというわけでは無い。空席はここに座る筈の種族が役職を有していない程度の強さしかないというだけの事だ。
逆に言えば遥か昔には、魔将軍としてここに座る魔族の一員たる種族がいたわけだ。
単に落ちぶれたのか、勢力争いで絶滅したのかは分からないが、まだエイムが魔王となる前の頃には半分以上の席は埋まっていたような記憶はある。
実質的に魔族の領域を管理するのに今の人員で困る事は無いが、そこは少々寂しいものがあった。
円卓を見下ろす壇上に設けられた“王の座”に一人座り、今は七人しかいないの魔将軍の、会議とは名ばかりの怒鳴りあいを眺めながらエイムは感慨に耽った。
「突然の人族の侵攻、その原因が分カッタ。南西方面の“野良魔族”がドラゴンにチョッカイをかけて自滅したノダ。」
「ドラゴンだと?!、まさか……、『五代魔王の禁書』か?!』
「ワシが人族領域に放っている眷族からは“禁書”の報告はナイ。しかし、ドラゴンは人族の中の『祝福されし者』を頼り、今侵攻をかけて来ている人族は、そのギフティスの身内ダ。話の流れは“前回”を踏襲し過ぎてイル。関係無いとは考えられんナ」
議長役のナフラの言葉にエイムは身を硬くした。『魔王の禁書』、それはエイムの前任、五代目の魔王が残した魔族にとってすら“悪魔の書”と呼べる最大の禁書であった。
魔族には稀なギフティスという異端の存在故か、五代魔王は奇策に溢れた異常な内容ながら、この世界で覇権を獲る手段を数多く記した戦略書を残した。
しかしその書には、勝者が読み手なのか明確に記してはいなかったのだ。場合によっては、その戦術を実行した者自身が破滅する事も書かれていたのである。
しかも何故か読み手は、結果の実る瞬間までその事実に気づけない。気づいた時は既に勝利か破滅の一歩手前の状況で、勝者はこの世で最高の『福音書』と讃え、敗者は世界を滅ぼす『魔書』と叫べども誰に届く事なく骸となる。
その実情が魔族に露見したのは、戦略書を残して消えた五代魔王による魔王の座が空位になって五十年後、敗者として消えた魔将軍種族が二十種を数えたあたりだった。
自種族以外に関心が少ないとはいえ、さすがに身内がそれだけ減れば異常と感づく。当時空位の魔王に代わり摂政としての役についていたエイムがようやくその事実を露わにし、魔王領域では禁書として回収したのだが、可能だったのは中央領域だけだった。
人族との最前線である地域とは、弱体化しつつあった魔族勢力では斑で飛び地だらけになった領域の位置から連絡も取れず、やがてはそのまま放置するしかなくなったのであった。
こうして千年以上経ち、半ば野生化した野放し状態の魔族達を中央領域の魔族は『野良』と呼び、明確に自分達と区別した。
だが、一応は魔族として連なる連中だ。再び始まった禁書の暴走。それら災厄の芽の詰み残しを放置したツケが、今、その最高責任者となったエイムに返ってきていたのであった。
「全滅した野良は自業自得とシテ、以降、ドラゴンは完全に人族の側にツイタ。現在の勢力図の変化は、人族の侵攻というよりはドラゴンによる魔族の駆逐を利用しての火事場泥棒をされているに過ギン」
確かにそれは事実の一面だが、その事に注目し過ぎてディムオウグ家の戦力を軽視しているのはナフラの誤算である。
現に領界を支配していた野良魔族の絶滅を機に起った、実力的には遜色のない別種族の戦士団が次の支配者に成ろうと領界の支配者決定の祭壇近くまで進軍して来た時、丁度鉢合わせたウルの主力と正面からのぶつかり合いとなって、ものの半日もせずに敗退した。同じような戦闘が何度かあったのだが、今のところウルは負け知らずで邁進中だ。
その進軍ペースが早過ぎるために、戦闘そのものが発生していないとナフラは判断していたのだ。
過去、人族が殻徒や騎獣機を使用するようになっても一戦場の決着をつけるのに数日間を有していたのだから、情報を見誤っても仕方ないと言えば仕方無かった。
しかし、その判断が悪かった事には変わりはない。
唯一と言っていい“組織的行動”の概念を持つ魔将軍が放置したのだ。小勢力しか持たない野良魔族の壊滅は、この瞬間決まったようなものだった。
そして、魔族中央領域への被害。その発端となる最初の判断が、この瞬間だったのだ。
とはいえ、災害のような存在に明確な害意を向けられれば、敵対存在とはいえ人族の注意が疎かになるのも無理はない。
実質的に中央から西へ派兵しても、人族へ対する前に野良との戦闘にすらなりかねないのが今の魔族の実情だ。
加えてドラゴンの脅威もある地域への進軍などと、無駄に兵を減らすような事はしたくない。
結局は諜報専門の部隊を野良魔族の領域へと放ち、禁書による暴走がどの程度のレベルなのか把握するのが先決という、暴力の権化と云われる魔族には有り得ない消極的な手段がとられる。
ドラゴンとは、蛮勇を好む魔族をここまで尻込みさせる存在なのである。
七人の魔将軍の円卓会議による決定を、魔王であるエイムは早々と承認し、解散を宣言して退室する。
この後は魔将軍同士、会議中に熱くなった感情を肉体的にぶつけ合う“じゃれあい”の時間だ。
もしかしたら次の会議では一人か二人減っているかもしれないが、それが魔族流なのだから仕方がない。
それよりもエイムにとっては、“これから”がドラゴンと人族への対策の本番だ。
自室には戻らず、城内の魔王のみに入室を“許された”魔王領域、その中心である魔王領界、支配者の祭壇の間へと入る。
どの祭壇でも同じだが、祭壇の形状は高さ一メートル程の先端が小皿になった燭台だ。この小皿に血を垂らすと自然に火が灯り、その火が消えない限り血を垂らした者とその同族は領界の支配者として君臨できる。
火が灯るといっても血を燃料として燃えているわけでは無く、何らかの魔法的な効果による事は想像できるが、そのシステムを調査した種族はいない。調査よりも支配の完了を優先した。そして支配する機構を万が一破壊するかもしれない調査をする事を恐れた。そういう経緯からである。
ただ、経験則からとして、この祭壇の火は、『支配者とその種族が、“全て”滅びないと消えない』。また『支配者の交代は、新たな別種族の者が血を垂らし、五日経過する事でなる』。という事は分かっていた。
後にウルの軍勢によって確認される事になる、火炎のドラゴン“グウェリ”によって大地全てが焦土と化した領界は、火の消えた祭壇のみ、その場で無傷で発見された事から『破壊不可能』との事も判明する。
そんな魔王の城よりも強靭な存在である祭壇は、ぶ厚い石の壁と魔術による結界によって完全に外界と隔たれている。
魔王として君臨する種族、『ソロモン悪魔種族』のみの入室しか許さない室内は祭壇の小さな灯りしか光源もなく、魔王エイム以外の存在もない。
扉を閉じ、隔絶の空気を感じたエイムは、ようやくと張っていた肩を下げる。
そのタイミングを待っていたかのように、祭壇の灯りの上に僅かに広がる煙りをスクリーンにしてぼやけた映像が映った。
滲む輪郭程度の映像は、しかしエイムにとってはよく知る人物である。長く離れて、こういう時でもなければ連絡をとる機会もなくなったが、反面、会えばその時代へと心を戻す事も容易いその人物に、エイムは開口一番、昔ながらの呼び名を使うのである。
「お兄ちゃん!、またもう!、何してくれてんのよー!、うわあああん!!」
数百年ぶりとなる兄妹、五代目魔王と六代目魔王、その映像越しの再会は、そんなぶっちゃけた事から始まった。
◆ ◆ ◆
ウルによる軍勢、鉄鬼兵団の侵攻は鉄の馬、“殻馬”の完成配備とともにスタートした。中央領界ディムオウグ城はヴィーツィック領よりの補給物質を集積する中継地としての機能のみ残し、本陣は東に五百キロ離れた『サイリュウ砦』に決められ、ウル始め軍事の中心人物達は皆、ここを起点に侵攻していた。
砦の名である“サイリュウ”は、ウルの次男『サイリュウ・リュート・ディムオウグ』の名からとられており、その名の通り本来はサイリュウが赴任し、管理していた場所である。
しかし今回の本陣決定により、サイリュウ自身はディムオウグ城へと移動、家系の血を残す役として戦争への参加を禁じられていた。
これはこの世界では珍しくない配置で、領界を維持する血筋を絶やさない事を重要視しているからである。
最大戦力保持者を前線に投入しないことは愚作であり、今代より長生きする次代は次々代への血を繋げることを重視する。
そういう方針だ。
であるので、ウルの後妻や非凡なセイルに気遣ってか、そろそろ二十歳になろうというのに妻はおろか産女すらろくに使わないヤモメ状態をウルに怒られ、この機会にと城内に大量の産女と共に軟禁されて強制的ハーレム状態のサイリュウなのであった。
それでもちょくちょく抜け出して、補給物質の采配に首を突っこんでいる事から、メイド部隊辺りから『ホモ疑惑』が湧いている。
サイリュウ当人としては『ノーマルです!』と公言しているので、一応彼の名誉のために記しておこう。
そして、戦力としてはなんの価値もない末っ子であるセイルはというと、何故かウルに連れられて最前線で一部隊として行動しているのであった。
まあ、部隊といっても実情は戦闘とは全く関係無かったりするのだが……。
「……という事がありました」
「はあ、“殻馬”、ねえ……」
魔法関連の勉強をしながらの雑談で、家庭教師不在の間の事を報告しているセイルである。
対するコルメットもほぼ野ざらしの地面に野営用のテーブルセットを設置し、日差しや雨除け用の帆布の屋根のみというキャンプ仕様な勉強施設で、自分の居ない間の騒動を聞いていた。
ここはサイリュウ砦より東北東へ四百キロ、つい先日、ウルが占領した元魔族の領界、その支配者の祭壇である。
ドラゴンによって空白化した領域は東南側に多いのだが、サイリュウ砦に隣接するようにある領域が、しかも砦に直接攻め込める状況のままなのはマズかろうと攻め落とされたのである。しかし支配者種族の根絶やしには至らず、ウルの代わりにセイルが新たな支配者として登録するために、ここに五日間、居続ける事になったのである。
セイル自身の生存能力は、直接に試してはいないがこの世界最強に区別される。なんの対価もなしに溶鉱炉の中でも平気で生きられる耐火性能というのは、他に比べようのない代物であるし、飛沫程度とはいえ溶けた鉄を勢い良く浴びてなんの衝撃も感じないとは、熱以外の防御力も桁外れである事をしめしている。
加えて、その状況になったときの“二次災害”は、関係者全員、燃え尽きそうな実情にも関わらず肝が冷え切った有り様だった。
今回、同様の事になっても、災害の対象になるのはまず魔族なので、そこら辺セイルの心情は全く無視した“外道”の采配なのである。
「ねえセイル様、私ね、そこら辺の経緯は全く知らないのよね。鍛冶場でなんか……程度の予想はつくんだけど、何故か聞く機会があっても皆口を閉ざすし?」
「あ……、あー、えーと、実はですね……」
まだセイルが鍛冶工場に出入りしはじめた頃、セイルの予想以上に大規模で、騎獣機や殻徒の存在感に舞い上がったセイルは大人の自制心などかなぐり捨ててはしゃいだ。
本人にしてみれば“氷結の武具”のおかげでろくに熱さも感じないし、ごちゃついているといっても子供一人が走り回れる程度の空間はある。
だからか、本気で走り回ったのである。
その結果、鋳込み作業の最中にまともに突っ込み、衝突した作業員の姿勢が崩れて坩堝の中の溶けた鉄が“跳ねた”。その一部がセイルの顔面を直撃するも、火傷以前の急速冷凍で綺麗に顔択を残すだけで終わり、衝突のショックもろくに負わず、笑い話の範疇で済んだのだ。
その時点までは……。
「“その時点?”」
コルメットの疑問にセイルの溜め息が重なる。見渡せば、話しを聞いていた護衛の兵士達も同様に溜め息をついているのだが、背後の様子にコルメットは気づかずじまいで終わる。
無闇に溜めても意味ないと、セイルが言葉をつごうとした時、突然魔族が襲撃を仕掛けてきたからだ。
ウルがここを占領した時、元々野生化しかかっていた魔族達の拠点は丸太と枝を適当に組んだバリケードでしかなかった。
突入の際に半分近くは殻徒の攻撃で吹き飛ばされ、今は人族風の仕様に準ずる木製の砦へと改築工事中だったのだが、まだまだ板塀ですら覆いきれていない有り様で簡単にセイルの近くまで襲撃者を忍び込ませてしまったのだった。
その魔族は『ファーランナー』と呼ばれるダチョウと人が合わさったような姿をしていた。首から上は完全にダチョウで、長めの首は柔軟に動かせる。身体は人型を基本に黒と白の羽毛に覆われ、その羽毛に周囲の雑木の枝葉を刺して迷彩外套を着ているような偽装状態だ。動きや派手な音をたてないように、金属製の武器や鎧は所持していない軽装状態であった。
しかし、粗末ではあれど命を狩るには充分な威力を持つ木槍を持っていて、素早く振りかぶられた槍が投げられ、それは見事にセイルの心臓へと突き立ったのである。
セイルを守る“氷結の武具”さえ無かったら。
一瞬で装備は展開し、セイルに触れるや否やで木槍は凍りつき爆発したような氷の砕片となって散ってしまう。
打撃の影響すら無いセイルは、そのままコルメットの盾になるよう移動する。しかし投擲した魔族自体は兵士の放ったボウガンの餌食になって既に絶命していた。
だが、セイルも兵士も、微塵も油断はしていない。
死んだ魔族と入れ替わるように近場の草むらから何体もの同族の魔族が現れる。
投げても無駄と分かったようで、ならば直接突き立てようとジリジリ近寄ってくるのだが、それが無意味だと説明して果たして言葉が通じるかも分からない。
更に、実はセイル達は魔族を警戒しての行動など何一つ取っていなかったのである。
「“みんな!”、早く僕の“後ろへ退避して!!”」
装備が顕現しても邪魔にならないように腰に巻いていた異常に長い革ベルトを解き、背後に向けて出来るだけ遠くまで放るセイル。
いち早く近寄った兵士が、その革ベルトを受け取って長く長く、まっすぐに伸ばしていくと、その間に走って来た兵士全員がベルトをしっかりと掴んでいく。
その様子を黙って見ている義理があるわけでも無いが、ファーランナー達は一歩も動かず……、いや“動けず”、竦み上がり、そして次々とカラカラに“枯れて”逝った。
ギリギリ間にあった様子にセイルは頭上を振り仰ぐ。
そこには直径五メートル程の空間の揺らぎが発生し、その『転移の門』を潜って巨大な頭部が出現していた。
セイルにとってはもう見慣れている存在、『ドラゴン』である。
この世界のドラゴンはブレスを吹いたりはしない。だが、属性に応じた魔力を環境として身にまとっている。更にその環境を視線に乗せて特定の対象へ贈ることもできる。
つまり、門を越えてこちらを覗いた『火炎のドラゴン』グウェリは、セイルを害しようとしたファーランナーを認めるや、鉄をも溶かす炎獄の大気の“ほんの欠片”で満たしてやったのである。
ただそれはドラゴンなりの慈悲では無い。
単に全開でやったら塵も残さない事になるからだ。それでは仕留めた獲物を“食べられない”。そういう失敗をしたのは最初だけで、以降グウェリは魔族を“美味しく料理する”事に精進している。セイルを守るために降臨したこの時さえも。
「あー……、つまり、鍛冶場でも“来た”のね?」
「あー、うん。その通り……」
セイルは滅多な事では死なない。それこそドラゴンとの対決にでもならない限り。しかし、死なない事と勝てる勝てないという事とは別の次元の話になる。
セイルに魔族を倒せる能力は無い。それどころか自分より少し年上の子供にすら対抗できない貧弱さで、とても青鬼人とは思えないと嘆かれる事も多くなってきている。
で、セイルに完全に情をうつしてしまったドラゴンが、氷結の武具の顕現をセイルの危険と感知して転移してくるようになってしまったのである。
鍛冶工場での最初の転移では、セイルに溶けた鉄を浴びせた坩堝が中身ごと一気に“蒸発”。大事な施設が損壊した事も一大事だったが、気化した重金属による鍛冶工場員の呼吸器汚染の除去騒ぎで三日間、不眠の治療で施療士が過労死しかけた騒ぎとなった。
おまけに来たついでと、人に化けたドラゴンへの食事の振舞いなどで城中が必ず大騒ぎになった。
ドラゴンの状態では底なしの食欲を発揮するので必ず人型に変じるのだが、人型では少食になる反面、味覚優先になるそうで、しかも案外グルメである事も分かり、料理人の精進が必須となったりもした。
そして、少食といっても牛一頭くらいは軽く平らげてしまうのだ。
こうなる事を見越したセイルの率いる部隊の半数近くは『生きた牛』である。
この状況は、ウルの予想が見事的中したものだったりもするのであった。
「ふむ、今回はグウェリに先を越されたの」
気づけばセイルはもう“一人”のドラゴン、人型の少女に変じたマリーンに抱き上げられていた。
グウェリの妹にあたるマリーンは、グウェリ以上にセイルを溺愛している。
セイルの危険を感知して現れるのは姉同様なのだが、何時でも時間のロスなくセイルを抱けるよう、いつも人型で行動していた。
更にグウェリが健在である以上まだドラゴンとしての役目が無いために、その人型を最大限に利用して、日常は近隣の人族の集落へと足を運び、御当地グルメを堪能中である。
数千年も飢えてからの食事で悪食になるのなら、余裕のあるうちに食べる習慣をつければ後々節制の精神が付くのでは?、という発想からの行動だが、今のところ美味を求めての観光にしかなっていないのに当人(?)は気づいていない。
という事で、魔族の襲撃という危機感を木端微塵にされたグタグダ感に場は支配され、抱かれたままのセイルが無事だった輜重用トラックから牛が“二頭”降ろされている事を確認し、『わー、今夜も肉だらけの御馳走だー』と思った事は二人のドラゴン姉妹には内緒なのであった。
〈~続く~〉




