異世界ゼミ[7]
十一時五十分。
五号館前に設けられた憩いの場。大きな噴水の周りには花壇とベンチが交互に並んでいる。昼休みにはお弁当や購買のパンを食べる学生がいるけれど、まだ春休み期間ということもあって人影はない。
ベンチに腰掛け、トートバッグを隣に置く――今日は顔合わせのみの予定だったのでトートバッグには最低限のものしか入っていない。へたりと力なく崩れていく様に渇いた笑いが出た。
カチ、カチ、カチ。
聞こえもしない腕時計の秒針の音が頭のなかで再生される。
教室を出てそのまままっすぐ家に帰ろうとしたのだが、少し外の空気に当たりたかった。
ふぅ……と息を吐いて、目を閉じる。
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ……
どのくらいそうしていただろうか――時間にすれば五分ほどだろうけど、僕はゆっくりと目を開ける。今はただとりあえず頭をからっぽにしたかった。今日の反省は家に帰ってからすればいい。うん。そう思い、僕はベンチから立ち上がる。
「真央!」
後ろから投げられた声にビクリとする。今、最も聞きたくなかった声だ。けれど無視するわけにもいかないので、僕は首を後ろにまわして応える。
「……おはよう。冴夕」
綺麗に染めた紅茶色の髪を揺らしながら、蘇芳冴夕が近づいてくる。嫌だな。嫌だ。冴夕のことが嫌いなわけじゃないけど、人生で一番冴夕に会いたくないタイミングだ。でも、彼女はおかまいなしに歩みを進める。そして沈んだ気持ちでいる僕に反して、冴夕の顔には喜びの色が浮かんでいた。
「よかった! この時間に学校に来てて安心した。春休み、実家に帰らなかったんでしょ?」
「あー、うん。母さんに会ったの?」
「たまたま、ね! 私も数日だけしか帰ってないけど。ボン・グゥルでばったり」
ボン・グゥルというのは、僕の地元にあるパン屋の名前だ。もう随分食べてないけど、近所でおいしいと評判の店はいつも賑わっていた――母さんとそこでばったり会う冴夕は、つまるところ僕にとって幼馴染というべき立場の女の子なのである。
「電話しなさーいって言ってたよ。春休みになってから音沙汰なしだって寂しがってた。遅れてきた反抗期かなって。ふふ」
でも、と冴夕が続ける。
「真央のことだから、ゼミの通知もあったし引きこもって勉強してたんでしょ? またなにか新しい歴史書に手を出したりしてさ。楽しみだね。このあとの顔合わせ!」
ひくりと頬が嫌な動きをした。ああ、やっぱり。やっぱり、冴夕は。
「未来史ゼミ! 真央、すっごく楽しみにしてたもんね! あー……楽しみというより、目標?でも、やっとだね!」
冴夕はなんの疑いもなく、気が強く見えがちな吊り目気味の目を楽しそうに緩ませて笑う。
……僕はこのあとに未来史ゼミの顔合わせがあることも知らなかったのに。
口の中がカラカラに渇いて、うまく言葉が出てこない。その間にも冴夕は楽しそうに話を続けている。けど、さすがに僕が何も言わないことに疑問をもったのだろう。一旦話を止めて、首をかしげる。
「真央、どうしたの? もしかして体調悪い?」
「あ、いや」
――大丈夫。そう告げた声は音になっていたのか怪しい。
チラリと腕時計を見れば十二時五分。
「元気ならいいんだけど……。外はまだ冷えるし、そろそろ校舎に行こ! というかなんでこんなところにいたの?」
「……ちょっと風に当たりたくて」
「ふぅん?」
「冴夕もなんでここを通ったの?」
落ち着きを取り戻すために、どうにか世間話を続ける。
「んー……やっぱりちょっと緊張してて。でも、やる気を出すためにこれ買いにきたんだ!」
そう言って冴夕がバッグから取り出したのは五号館の自販機でしか販売していないホットミックスフルーツティーのミニペットボトル。一度だけ飲んだことがある。二徹明けでも目が覚めるほどめちゃくちゃ甘い。冴夕はこのフルーツティーが大のお気に入りだ。
冴夕はペットボトルを両手で握り、暖をとりながら少し照れた様子を見せる。
「へへ……じゃあ、そろそろ行こ! 七号館まで少し歩くし!」
「うん。そうだね。ちょっと距離があるし急いだほうがいいよ。僕は帰るところだから」
「え……?」




