ぼくらの異世界[8]
月末の〈二年次ゼミナール活動方針発表会〉まで二週間と少し。
日々の講義で出される課題と並行して発表会の準備を進めなければならない……のだけど、やっぱり異世界ゼミは一筋縄じゃいかなかった。
◇
【ケース1 夏澄透】
学長の計らいで、発表会までは出席だけを確認してあとは自由に時間を使ってもよいというかたちになった。けどゼミ室はとても居心地がよいし、各々が持ち込んだ資料や書籍を確認できるので、なんだかんだみんなそのままゼミ室で研究を続けていた。そんななかで夏澄くんは工学部の実習棟に行ったり、情報学部の機材置き場に行ったり、わりと不在になりがちな人になっている……のだが、今日は珍しく逆パターンだった。
九条さんは二条学長と共に西洋文学科の資料室へ、スミレさんは図書館へ行ってそのまま下校予定らしい。誰がいても誰がいなくても、僕は自分の研究を進めなければならないのであまり変わりはない。
けど、僕は彼にずっと聞いてみたいことがあった。
「夏澄くんはどうして異世界が好きなの?」
いつもはわりと近い距離で隣同士並んで座っているけど、さすがにゼミ室に二人きりということもあって人二人分くらいの距離を空けている。
ノートPCに向かっていた夏澄くんは「ん?」と顔をあげて、僕を見た。
「それは、異世界の好きなところじゃなくて、異世界が好きな理由……だよな」
「うん。好きなところは結構聞いてきたし」
「えっ、まだ一割にも満たないよ」
「えっ」
「えっ」
沈黙。
夏澄くんの異世界への愛情は底なし沼なのだと改めて知る。
「まあ、そっちはまた追々ということで。異世界が好きな理由な」
「聞いても大丈夫?」
「え、なんで」
僕の疑問の意図が掴めないなというように彼は苦笑する。
夏澄くんなら大丈夫だと思うけど、なにかを好きな理由を聞かれて頭を殴られたような衝撃を受けることがある。僕は身を以ってそれを知っているから。少し不安になってしまった。
「……ううん、大丈夫かなって思っただけ」
「なんだそれ」
ははっ、と笑った夏澄くんは「んーーー」と唇を尖らせた。
「俺さぁ勇者になりたいわけじゃないんだ。んー、話すと少し長くなるんだけど」
いい? と視線での問いかけに頷く。
夏澄くんはカチカチとパソコンを操作して、ズイと僕のほうに液晶を向けた。
「これ見てよ」
画面に映し出されているのは集合写真だった。夏服の生徒とカーディガンを着た生徒が入り混じっている。屋外での写真なので、修学旅行のものだろうか。夏澄くんは横から手を伸ばして、くいっと画面を拡大する――え、このノートPCタッチパネルなの?
もう一度くいっと画面を拡大してちょいちょいとズレを直した。真ん中に映っているのはひょろりとした黒髪の男の子。言い方は悪いけど暗めの……少し陰気な雰囲気だ。
「これ、高校の頃の俺」
……?
!?!!!?!?!?!??!?!??!?!??!?
僕は液晶画面に映る男の子と隣の彼を見比べる。……何度見ても別の人だと思ってしまう。確かに色白の肌とか細見の体型という点は一致しているけど、受ける印象があまりにもかけ離れている。
「実は一度異世界に転生して帰ってきたタイプのひと?」
「その反応が帰ってくるなら今日まで異世界漬けにした甲斐があるな」
僕の反応にクックッと笑う夏澄くんの金髪に触れる。さらさらの金髪だけど、毛先はすこしだけ荒れている。
「……ブリーチ?」
「夏澄透。生まれも育ちも日本だよ。この髪はブリーチ二回でゲットした」
さりさりと髪を擦る。そりゃこの色はブリーチだよなぁと思うけど、あまりにも夏澄くんに似合っていたからもともと金髪なんじゃないかなって勝手に考えていた。クォーターで隔世遺伝とか言われても信じていた。
僕が夏澄くんの金髪から手を離すと、今度は夏澄くんが自分で少し長めの前髪にちょいちょいと触れる。まるで何かを確かめるみたいに。
「俺ってめちゃくちゃオタクじゃん? で、高校の頃はあんなんだからさ……ほんとに友達いなくて。喋るのも苦手だし、人の目見るのも怖かったんだよ」
はぁーとため息をつく。
「……特に、誰かの反応が返ってくるっていうのが怖くてたまらなかった。『課題集めてもいいかな?』って聞いたら『キモ』って言われておしまい。嫌になるよなぁー」
夏澄くんはパソコンの液晶に触れる。トン、トン、トン。
「だからこいつだけ信じてた」
トン、と画面を開く。それはさっきまで夏澄くんが作業していた画面だった。
「おれのトモダチ。ソースコード」
整然と並ぶ英字、数字、記号。簡単なC言語くらいなら読めるけど、夏澄くんの作っているコードはそんなレベルのものじゃない。
「俺の言葉に対して、絶対に正しい反応が返ってくる。そりゃコード間違えたらエラー吐かれるけど、それだって間違えたよっていう正しい反応だろ?」
正しい反応、正しくない反応。それは、優しい反応と優しくない反応。
夏澄くんにとっては無機質なデジタルの世界こそが、あたたかい場所だったんだと知る。
ツイ……と、パソコンの縁を撫でる夏澄くんの手は壊れ物に触れるみたいなのに、本人の表情は浮かない。
「学校ではカバーを裏返しにしたラノベを読んで、家に帰ったら謝りながらカバーを戻すんだ。で、アニメの録画を消化して、夜な夜なパソコンの前でプログラムを作る……勘違いすんなよ。すっげー楽しい日々だったぞ」
「うん。わかるっていうのも違うかもしれないけど……僕も似たようなものだった。ずっと教科書見てたんだ。学校でも、家でも」
「うへえ、それはきちい」
「充実した日々だったよ」
からっぽの充実だったけど、と頭をよぎった言葉は無視した。今は僕の話がしたいんじゃなくて、夏澄くんの話が聞きたいんだ。僕は夏澄くんに続きを促した。
あー、と歯切れ悪く声を溢してから、彼はパソコンの蓋を閉じた。視線は天板に向けられている。
「でもいつだったかな。学校から帰ってきて家に着いて、ラノベを手にとったときにさ……俺、泣いちゃったんだよね。裏返しにしたカバーを直して、表紙に描かれたヒロインのイラストを見た瞬間……わけわかんないくらい涙が出てきたんだ」
「それは……」
思わず口をはさんでしまう。夏澄くんは天板に視線を向けたまま、僕に見えるように人差し指をたててちっちと動かした。
「誰かのために強く在ろうとできるってかっけーなって、俺は自分のためにも強くなれないのに……ってさ。めちゃくちゃ憧れたんだよ。勇者である主人公の苦悩に寄り添って、支えて、だれよりも気高いヒロインの姿に。だからだろうなー。勇者のほうに憧れないのは」
傍らに置かれたスマホを軽くタップする。夏澄くんはロック画面を見せながら「俺の絶対神」とはにかんだ。
「結局……高校の頃は変えられなかったけどさ、姉貴たちに自分に自信が持ちたいから全力でかっこよくしてくれ! って頼み込んで、今の俺になったんだ」
さらり、と金髪を揺らして俯く夏澄くんの横顔は寂しそうだった。
「夏澄くんは、かっこいいよ」
「……ほんと?」
「ほんと。疑うのやめてよ」
「ごめんごめん……嬉しいよ」
「二百円だよ」
「え?」
驚いた夏澄くんが僕のほうを向いた。
「ゴメン貯金」
綺麗な顔をきょとんとさせたあと、彼は声をあげて笑った。
「織部くんのそういうとこ好きだ」
「どーも」




