ぼくらの異世界[2]
学びに貪欲な梅乃杜大学の学生たちを瞬時に黙らせるほどの課題を初回授業で出す『文学概論2A』が終わったあと、僕は急いで資料とペンケースをトートバッグに流し込む。そのまま、斜め前方を確認した――よし、まだいる!
「冴夕!」
荷物をまとめている最中の冴夕に駆け寄って目立たない程度の声で名前を呼ぶ。冴夕はビクリと肩を揺らした。
「ま、真央……」
気まずそうに俯く冴夕に、本当にゴメンと思う。
「冴夕、このあと時間ある?」
「え……」
「昼休み、一緒にどうかな」
「え、と……」
「嫌だったら嫌って言ってほしい」
じっ、と冴夕を見つめる。少しして、僕と冴夕の視線が交差した。
「…………いやじゃ……ない。うん。私も話したかった……」
人の流れが落ち着くのを待ってから二人で教室を出るつもりだったけど、冴夕はお弁当を持ってきていたし、僕はパンを買ってきていたのでそのまま教室で食べることにした。
大きな階段型の教室にはまばらに生徒の姿がある。冴夕の隣に腰を下ろして、上半身だけ冴夕のほうに向けた。普段は意思の強さを感じさせる彼女の吊り目が弱弱しく机の上のお弁当箱を見つめている。手に持った箸入れを開こうという素振りすらない。
僕は机の下でぎゅっと拳を握りしめて、名前を呼ぶ。
「冴夕」
「!」
ぴくりと箸入れを持ったままの指が反応した。
「……メッセージありがとう。それと……謝らせてゴメン」
「……」
「あの日、あんな言い方してゴメン。むしゃくしゃしてて冴夕に当たった。本当にゴメン。僕が悪かった」
「…………」
冴夕はぎゅっと唇を結んだままお弁当箱を見つめている。
「ごめ」
「真央、悪くないじゃん」
再度の謝罪を遮るように冴夕は小さく呟いた。
「私が勝手に勘違いして、真央がショック受けてないわけなかったのに、何も聞かずに舞い上がって……傷つけた……。ごめん……ごめんね…………」
消えてしまいそうな声で言葉を紡ぎながら冴夕はどんどん俯いていく。
冴夕を最初に傷つけたのは僕だ。現実を受け止めきれずに、冴夕と話すことから逃げて、最悪のかたちで互いの進路を知った。あの日の冴夕の心はきらきらしたものでいっぱいだったろうに、僕が泥をかけてしまったようなものだ。だからどれだけ謝っても足りないと思っている。けど、冴夕は自分で自分をさらに責めてしまう。勝ち気な顔で負けず嫌いで大真面目で、僕が知る限り誰よりも繊細な女の子。
だから、このまま変な意地を張り合っても平行線のままだってことも僕は知っている。
「……僕的には僕が悪いと思ってるんだけど」
弾かれたように冴夕が顔をあげる。くしゃくしゃの顔でぶんぶんと首を横に振った。
「そろそろご飯も食べたいし、お互い様にしよっか」
僕は右手の小指を冴夕に差し出した。それを見た冴夕はふふっと笑って左手の小指を立てる。そして、互いの小指をきゅっと絡めた。小さな頃から仲直りのときはいつもこうだった。(どうして指切をするようになったのかは覚えていない……)大学生になってこれは恥ずかしいかなと思いつつも、なんだかんだずっと続けてきた癖は抜けない。
あ、と思う。
「爪の色かわいいね。紅梅匂……中紅梅と淡紅梅。春の合わせだ」
「塗ってあげようか」
「いや、それはちょっと」
ぷっ、ふふ……と、互いに顔を見合わせて笑う。絡めたままの冴夕の細い指はあったかかった。




