おとなりの異世界[2]
玄関に荷物を置いて、そのまま風呂に入った(といってもシャワーだけだ)。
シャワーの水音に僕の溜息はかき消される。ああー、と意味もなく出した声も。
――こんなにも何かに悩んだことってあったけ。ないなぁ。だっていつも僕は最適を見つけることができていた。だから、どんな雑音も気にならなかったんだ。努力していれば最適解はすぐそこにある。じゃあ今の僕は努力してないのか? でも、頭が働かなくなるまで何かをインプットすることは努力じゃないのか? 知らない知識を目いっぱい詰め込んで、さらにそれを消化して昇華させるためにもがいている。
――あれ、そもそも僕は何がしたくて梅乃杜大学に来たんだ?
勢いよく排水溝に流される水を見る。ぐるぐるぐる水流が渦になって……。
なんだか僕の思考も一緒に流されていきそうな気がして、慌てて水を止めた。
◇
髪を乾かして、椅子に腰かける。テーブルの上に置かれたままの資料をみてふと思う。
……静かだ。
一日目にゼミの顔合わせ、二日目にミーティングからの無茶な合宿。まだ三日目なんだ。
夏澄くんをはじめとしてゼミのみんなは賑やかなんだなと一人になって改めて感じた。
僕は椅子を引いて立ち上がる。コーヒーでも入れて、合宿で見た作品をまとめて、そこから研究内容のきっかけを探して……あれ、インスタントコーヒーってもうないんだっけ? 頭のなかでこれからやることをリストアップしていく。そのとき――
――コンコン。
クローゼットの奥からノックの音が聞こえた。
僕は弾かれたように部屋の奥を見る。そして……思い出した。
この部屋はクローゼットの奥に小さな扉がついていた。小さくしゃがめば通れるような、両開きの小さな扉だ。デザイナーズ系の外観をしたアパートなので、数ある突拍子もない飾りのひとつなのかと思って引っ越し以来放置していた。(廊下にもだまし絵が描かれていたり、どだい手の届かない場所に窓があったりするからだ)そして、去年一年間は勉強に集中していたこともあって思い出す暇もなかった。
――異世界って意外と近くにあるのかもって思わないか?
夏澄くんの言葉がリフレインする。
このとき僕は疲労困憊で判断力が低下していた。本来であれば明日以降のタイミングで大家さんに相談をするなり、そのまま放置をするのが得策だったと思う。
けど、一泊二日かけて異世界のなんたるかをスパルタで叩き込まれた僕は、扉の前に積んでいたプラスチック製の収納ケースをクローゼットから取り出して、その扉と向き合っていた。
ドアノブと呼ぶには小さすぎる、人差し指と親指でつまめるサイズの取っ手がついた小さな扉。
二つの取っ手の間には申し訳程度に薄い木片が挟まれている。僕はその木片を引き抜いて、取っ手に手をかける。ばかばかしいと思う気持ちが九割以上、よくわからない緊張感が一割未満。そして静かに扉を開ける。
キィ……。
小さく金具が軋む音がして、その扉は開いた。




