氷の山脈・越境
氷の短剣を手に入れた翌朝。
林帆とヨルは山脈のさらに高い場所を目指して登り続けた。風は相変わらず強く、息をするたびに白い靄が消える。足元の氷は滑りやすく、一歩間違えれば奈落の底だ。
「ロープを結ぼう」
林帆は自分の腰とヨルの腰を太いつるで結び、二人を固定した。これでどちらかが滑っても、もう一人が支えられる。
三時間ほど登ったとき、前方の岩陰から何かが動く気配。林帆が身構えると、それは白い毛の猿だった。体長は人間ほど。目は知性的に輝いている。
「雪猿だ。普段はおとなしいが、縄張りに入ると襲ってくる」
老怪が説明する。
猿は林帆たちをじっと見つめた後、突然手を振り、先へ進むように合図した。どうやら敵意はないらしい。
「通っていいのか?」
猿はうなずき、自分は岩の上に座り込んだ。
林帆は礼を言い、その前を通り過ぎた。
さらに進むと、道は二つに分かれていた。左は急な崖、右は緩やかだが遠回り。
「どっちに行く?」
林帆は右手の紋章をかざした。紋章がかすかに左を指す。
「左だ。近道のようだ」
崖道は狭く、足場も悪い。ヨルは顔を青ざめさせながらも、林帆の後に続く。
突然、背後からガラガラという音。振り返ると、雪猿が三匹、追いかけてきていた。襲う気配はない。むしろ、助けに来たようだ。
猿たちは二人を追い越し、崖道の先で待っていた。そして、ある場所で手を振り、ここが危ないと知らせている。
「あそこか」
林帆が注意して見ると、足元の氷に細かいひび割れ。踏めば崩れる危険がある。
「迂回しよう」
猿に導かれ、別のルートを進む。一時間後、ようやく危険地帯を抜けた。猿たちはそこで立ち止まり、手を振って去っていった。
「助かったな」
「この世界にも、優しい生き物がいるんだね」
ヨルが微笑む。
その日、日が暮れる頃、ようやく山頂が見えた。あと少し。
最後の力を振り絞って登りきると、そこは広い台地だった。風はなく、空気は澄んでいる。目の前には、氷でできた神殿。
「これが…根源の神殿か」
林帆が近づくと、神殿の扉が自動的に開いた。中は広く、天井は高く、壁には無数の氷の彫刻。
中央に、氷の台座。その上に、一冊の書物と、一振りの杖。
「また書物と杖か」
近づこうとしたその時、台座の前に人影が現れた。銀色の長い髪、白いドレス。夢で見た女だ。
「よく来た。待っていた」
女の声は透き通り、優しい。
「私はこの神殿の守護者、セレス。あなたが私の力を受け継ぐ者か」
「あなたの力?」
「私はかつて、この世界のバランスを守っていた。しかし、大戦で肉体を失い、今はこの神殿に宿っている」
セレスは手をかざし、書物と杖を林帆の前に浮かせた。
「これが“根源の力”の全て。あなたに託す」
「なぜ俺なんだ?」
「あなたは星の力、マナ、そして三力――全てを兼ね備えている。これまでに誰も成し得なかった」
林帆は書物と杖を受け取った。書物は重く、知識が詰まっている。杖は温かく、力が宿っている。
「これを使って、世界のバランスを守ってほしい」
「約束する」
セレスは微笑み、その姿を消した。
林帆は杖を背負い、ヨルと共に神殿を出た。外はもう星が出ていた。
「これで終わり?」
「いや、始まりだ。この力を使いこなすのは、これから」
彼は空を見上げた。二つの月が輝いている。
「帰ろう。みんなが待っている」
二人は山を下り始めた。
旅はまだ続く。でも、少しだけ肩の荷が降りた気がした。




